ぐるりみち。

平成生まれのフリーライターのブログ。本・映画・マンガ・アニメの各種レビューに、旅行・グルメ・街歩き日記など。

「何事も経験すべき」「やらない後悔よりやる後悔」は正しいの?

人生何事も経験だと言う人に腹が立ちます。
本当にそうなのか?
私は、人生はいかに幸せに生きるかだと考えています。

 

経験は人生を幸せに過ごすための単なるツールの一つでは。
それが悪い経験ならいけないはずだ。

 

何事も経験という考えの人に是非、戦場にいってもらいたい。
今まで味わったことのない恐怖や苦しみを味わってほしい。

 

はたしてそれで人生何事も経験だと言えるのだろうか。

人生何事も経験だと言う人に腹が立ちます。 - 本当にそうなのか?私は、人生は... - Yahoo!知恵袋

 

 こんな質問を発見した。正直、質問者さんが何に対して怒っているのかよくわからないのだけれど……たしかに、どんな場面でも誰に対しても、「何事も経験だ!」と言うのはどうなんだろう。

 この言葉は、自分もよく使う言いまわしだ。例えば、誰か友達が行動に躊躇しているときに背中を押す意味で。もしくは、自分の選択に自信が持てないときに自らを奮い立たせ、言い聞かせる意味で。

 そのような「あと一歩」が足りないときに、この言葉は踏み出すための力となってきた。――少なくとも、自分にとっては。

 しかし、他人に対してこの言葉を投げかけることについて、ふと疑問に思った。「何事も経験って言うし、まずはがんばってみろよ!」と声をかけるのは、無責任なんじゃないだろうか。

 

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自分を行動へ駆り立てる言葉

 ある物事について、行動に移そうかそれともやめようか……と悩んでいるとき。自らを鼓舞するためにこの言葉を持ってくるのはありだと思う。

 悩む時間が長ければ長くなるほど、それは「自分でもやったほうが良いこと」だと考えているものだと思う。だってそれが嫌なら、「やーめたやめた!」とすぐに放り投げて忘れてしまっているはず。それなりに悩むということは、それだけ気持ちが大きいものなのではないだろうか。

 それに、「何事も経験」という言葉は言い訳にもなる。そう言って失敗したときに、「まあ、これもひとつの経験だよね」と自分を納得させることができれば、その後悔を引きずらずに次の挑戦に向うことができる。

 加えて、一度そうして失敗してしまえば、その経験をもとに次の失敗を回避することもできるかもしれない。物事の成否に関係なく「経験」は多様な学びをもたらしてくれる可能性があるため、無意味だと切り捨てることはむしろ難しいようにも思える。

 

他人の背中を押す言葉

 では、自分ではなく他人に対してこの言葉をかける場合はどうだろう。悩んでいる相手に「とりあえず、やってみろよ!」という文脈でもって、「何事も経験だ」と助言するようなケース。

 この言いまわしに限らず、他人に対して助言を行うときには、少なからずある種の「責任」が発生する。軽い気持ちでかけた言葉によって、その人が取り返しのつかない失敗を犯してしまえば、自分も強く後悔することとなる。

 もちろん、最終的に決めるのはその人自身なので、そこで「お前の言う通りにしたからこうなった! お前のせいだ!」なんて逆ギレされても困るし、「知らんがな」と感じるのもなんら不思議ではない、自然な感情だとは思う。

 とは言え、最後の決断の判断材料になったことは否めないし、失敗して打ち拉がれている姿を見れば、申し訳なく思う。こんなことになるなら、止めておけばよかった……と。

 そうなることもあり得ない話ではないので、他人への助言はどこか慎重になりがちだ。自分自身のことなら「ええい、ままよ!」と踏み切れる決断でも、他人にそれを強要するのはどうかとも思う。どうすれば良いんだろう。

 少し前に “アドバイス罪” なんてものも話題になっていたけれど、他者への助言は得てして難しい。ただ、本記事で書いている “助言” はどちらかと言えば親しい間柄の話であり、 “アドバイス罪” は不特定多数とのやり取りを指すらしいので、また別問題な気もするけれど。

 

やらない後悔よりやる後悔

 他方で「やらない後悔よりやる後悔」という言葉もある。「何事も経験すべき」と似ているが、こちらは「後悔」というネガティブな要素に視点が当てられている。

 やって失敗すれば後悔する。やらなかったら「やっておけばよかった」と後悔する。それならば、やって後悔するべき。――だいたい、そんな意味合いかしら。

 自ら進んで後悔しようとする人は、なかなかいないと思う。 “後悔” は気持ちの良いものではないし、マイナス感情の中でも引きずりやすい印象がある。やんなきゃよかった。ああしておけばよかった。やっちまった――。ひとたびハマってしまえば、うだうだぐだぐだと、後ろしか見えなくなってしまう。

 そんな後悔を吹き飛ばすために、「何事も経験」という言葉は力になる可能性をはらんでいると思う。やっちまったもんはしゃーない、これも勉強、経験だと思って、次からは気をつけようや――という、前向き指向。励ましの言葉としては、ありきたりかもしれないものの。

 「後悔先に立たず」という言葉もあるように、結局はメンタル的な問題なのかもしれない。起こってしまったことを悔やんでも仕方がないのだから、悔やまないように普段から事に当たれ、と。それが難しいんですがねー。

 

すべき経験、避けるべき後悔

 冒頭の質問に戻ると、「幸せに生きるためには、悪い経験は避けるべきだ」というのが質問者さんの主張だと読める。その例として、「戦場の恐怖と苦しみ」を挙げている。

 戦場云々は極端な例だとは思うけれど……それにしても、「悪い経験はいけない」と言い切ってしまうことには疑問を覚える。挫折も失望も味わうことなく、良い経験だけ積み重ねていくだけの人生――それって、とてつもなくつまらないものなんじゃないだろうか。

 実際に「悪い出来事」をすべて避けられるような人生を送るためには、どうすれば良いのだろう。先人の知恵に学び、他者の成功体験だけをなぞり、ひたすら追いかける。……これって、楽しいのかな? そもそも、そんなことを実践できる超人がいたらお目にかかりたい。

 一方では、「避けるべき経験」はたしかにあるとも思う。それこそ、戦争だとか。人の生死に関わるようなもの、悪いトラウマになりうるもの、大きな代償を伴うもの。そのような、経験によって失うものが大きすぎると想定される場合は、行動すべきではない。

 結局のところは、徹底して打算的に考えるしかないのかもしれない。行動した場合と、しなかった場合。そこで得られると推定される経験と、得られない経験。もたらされうる後悔と、何もしなかった場合の後悔。――それらをそれぞれ天秤にかけて、選択すること。

 でもやっぱり、「経験」は尊いものだとも思う。感情も、モノも、行動も、何かを生み出すのは、いつだって誰かの経験だ。成功も失敗もすべて引っくるめて、書店やネットを見渡せば、そこら中に誰かの「経験」が溢れ返っている。

 今現在の自分を動かしているのだって、黒歴史やら何やらもすべてひっくるめた「経験」なのだから、存外バカにできないもの。なので僕は、やりたいと思った「経験」は、やっぱり失敗してでもやったほうが良いと思う。

 良いも悪いも、起こったことのすべては等しく経験値。レベルアップするためには、それを積み重ねるしかないのです。その過程で、大きな勝負に出て一気に稼ぐか、地道にコツコツと努力値を貯めていくか――その選択は、人それぞれ。人生のはぐれメタルを探しに行くのもあり。もちろん、死なない程度、取り返しのつく程度にね。

 

 

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