ぐるりみち。

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僕が本を読む理由は「別世界に意識をぶっ飛ばす」ため

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photo by murphyeppoon

 読みました。

 先日、「電子書籍端末を買ったら、書店に行く機会が増えたよ!」という記事を書いたけれど、最近の読書に費やす時間は、少し減ったように感じる。それなのに、リアルでもネットでも、書店で本は買うので、積ん読がたまっていく一方……あばば、これはいけない。年末年始は読書週間にしよう、そうしよう。

 それはともかく、ぼくら社(id:bokurasha)さんが記事に書いている、「本を読む意味」。言われてみれば、あまり考えたことがなかった。せっかくなので、「読書」と「本を読む意味」について、考えてみるべさ。

 

思春期の、本を読む理由

 小中学生の頃、昼休みは外で遊ぶのが大好きだったけれど、雨の日に図書室に籠って本を読むのも好きだった僕。おもしろそう!と感じた本は、かたっぱしから手に取って読み耽っていたような記憶がある。もちろん、国語の教科書は先に読み尽くすタイプ。

 そういえば、少し前に児童文学に関する記事を書いていた。読んでいた本は、こんなの。

 これらの作品を読んでいた理由は何ぞ、と問われると、小学生の僕なら「おもしろそうだから」「楽しいから」と答えるんじゃないかしら。だって、小学生だもの。単純明快。

 ただ、それを今、言葉にするならば、「ここではない、別の世界に入り込めるから」となるだろうか。特に、当時の僕の好きな作品は同年代の男の子が主人公のものが多い。ファンタジーでも、SFでも、推理モノでも、やたら感情移入しながら読んでいた。

 幼い僕にとっての「本」、そして「読書」とは、別世界への入り口であり、わくわくどきどきさせてくれるおもちゃのような存在だった。

 

高校時代の、本を読む理由

 高校に入ると、児童文学は卒業し、さらに、アニメ・コミックの文化にどっぷりと浸かってしまったこともあり、一般的な文芸作品からは遠のいた。が、しかし、ライトノベルには魅了されていた。

 

キノの旅―The beautiful world (電撃文庫 (0461))

キノの旅―The beautiful world (電撃文庫 (0461))

 
半分の月がのぼる空 1: 1

半分の月がのぼる空 1: 1

 
空の境界(上) (講談社文庫)

空の境界(上) (講談社文庫)

 

 

 好きだったのは、この辺りの作品。その後、高校3年生の頃に、担任の薦めで『不動心』を読んだことをきっかけに、新書に手を出し始める。新潮新書が多かったかな。『バカの壁』とか、『本気で言いたいことがある』とか。

 

不動心(新潮新書)

不動心(新潮新書)

 
バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)

 
本気で言いたいことがある(新潮新書)

本気で言いたいことがある(新潮新書)

 

 

 この頃は、「考えさせられる読み物」を中心に読んでいた。新書は他人の意見と考えをまとめたものと言えるだろうし、前半のラノベを見ても、『キノの旅』を好んでいた辺り、示唆的な作品を好んでいたようだ(らっきょは違いますね、はい)。

 ゆえに、高校時代の、本を読む理由は、「多くの気付きを得ることができるから」。別世界への没入感は薄いが、他人の独自の視点で物事を見ることで、「そういうのもあるのか!」という発見があった。

 

大学時代〜現在の、本を読む理由

 大学に入学し、文芸系のサークルに所属するようになったことで、読書に関しては、完全に雑食となった。もはや「本」という括りすら関係なく、気になった「読み物」は何でもかんでも読んでいた。小説、ラノベ、新書、ケータイ小説、ブログ、サウンドノベル、ギャルゲー、などなど。

 そのスタンスは今も変わらない。年を重ねるに連れて、「読み物」の範囲は広がっていくばかり。電子書籍という、媒体の変化も含めて。これまでは興味すらなかった、雑誌を読むようになったのも、最近の話だ。

 

 そして今、改めて「本を読む理由」について考えてみると……。小中学生の頃と、高校時代、どちらの理由もはらんでいるのが、今、ってことになるだろうか。

 

 昔から変わらず、「物語」作品は好きだ。それは、単純に読んでいて楽しいからでもあるし、読んでいる間だけは別世界に没入できるからでもある。付け加えれば、最近は「物語」においても、気付きのある、「考えさせられる作品」を好んで読むようになってきた。

 それに、新書や、たまに専門書、そして、ブログやメルマガ、ウェブ上の記事を読むのも好きだ。そこには、老若男女、あらゆる人間独自の視点があって、考えもしなかった意見や、読んでいて楽しくなる文章がある。いろいろな人の考えを知りたい!という欲求は、常に持ち続けている。

 

 「読書」という行為に意味を持たせるとすれば、それは「学びを得る」こと。その「学び」とは、自分の中にはない、「他者」という別世界からもたらされるもののこと。

 「本」という媒体、さらに細分化すれば、「文字」の存在が、その役割を果たしている。誰かの頭の中にあるものを、言語化・活字化し、形として、他人に伝えるための手段。考えてみると、本ってすごい。文字ってすげえ。

 

 なーんて、真面目に考えてしまったけれど、簡潔に言えば、僕が「本を読む理由」は、「別世界に意識をぶっ飛ばす」ためだ。うん、これが一番しっくりくる。

 そこには、学びや気付きがあるかもしれないし、ないかもしれない。後味の悪さが残るかもしれないし、感動させられるかもしれない。教養とか、娯楽とかは関係なく、自分の生活からちょっと離れて、少しの時間、自意識をどっかにぽーいとするための手段としての、読書。それが、僕の「本を読む理由」だ。

 

 それなら別に、映画でもゲームでもなんだっていいのかもしれない。確かにそうだ。だから僕は、本も映画もゲームもアニメも好き。ただ、その中でも、主に「文字」のみによる情報伝達が行なわれる本においては、自分のペースで自分なりの解釈ができることもあり、没入感はかなり強いんじゃないかと思う。活字至上主義ではないけれど。

 そのような、意識ぶっ飛ばし機能(現実逃避ではない)を持った趣味のひとつとして、僕はこれからも本を読むのだ。

 

 意図したわけじゃないけれど、「本」関係の記事が続いている今日この頃。

 

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