あけましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
――ってなわけで、珍しく1月の1〜2日にかけて「今年の抱負」のブログ記事を書いています。けいろーです。みなさま、この元日はいかがお過ごしでしょうか。初詣には行かれたのでしょうか。おみくじは引いたのでしょうか。おせち料理を食べてばちこーん! と舌鼓を打たれているのでしょうか。
僕は今、いつもどおりに近所の喫茶店に来て、普段どおりにコーヒーを注文して、毎日そうしているようにChromebookに向かっています。「さすがに今日くらいはいっかー!」と思って原稿作業はしないでいるものの、昼間には日々の習慣であるネットサーフィン(という名のRSS消化)をしておりました。びっくりするほど通常運転。
どうしてこんなにも「年末年始」の空気を感じられていないのかと考えて、すぐに思い至るのは「冬コミ」の存在。このご時世でもうずっとコミケに行けておらず、恒例行事がないことで季節感を感じにくくなっているのかもしれない。しばらくコミケ出費がない今なら、「口座残高が増えて増えて仕方ねえぜ!」と満面の笑みで言い放てる……と一瞬よぎったけれど、なんやかんやで出費はあった。なので多分、そんなこともないんじゃないかな。知らんけど。
さて、そんなわけで「年始!」という感覚を少しでも呼び起こすべく、ここまでそれっぽい前置きを書いてきました。背筋をピンと伸ばした姿勢で、喫茶店の入り口から時々吹き込んでくる寒風を下半身に受けつつ、カウンター席でキャッキャウフフとゲームの話をしている若者たちの向こう、おそらく初詣帰りと思しき人たちが足早に通り過ぎていく光景を眺めていたことで……ほーら、“年始パワー”がここに溜まってきただろう? ここだよ、ここ。ふくらはぎあたりに。
ふくらはぎから年始パワーを解放させつつ、それではいざいざ、考えてまいりましょうか。今年の抱負を。自分はいったい、2023年をどうやって過ごすつもりなのかを。がんばれ、ふくらはぎ。
2022年は「準備体操」の期間だった説
2022年。例年どおりにライター業務をこなしつつ、気になる映画やアニメ、コンテンツと親しみ、大好きなVTuberとVRChatのカルチャーを追いかけて、ついでに自らもちょろっと「手を動かす」機会が増えてきていた昨年。
たとえば、音声配信。
過去に何度か手を出しつつも、いつも数回で更新をやめてしまっていたそれを、改めて年始に始めてみて……でもやっぱり更新しなくなり……と思いきや、また再開して。「継続」と「停止」の境界線上を反復横とびしながら、気づけば2023年を迎えていたPodcast活動。
あるいは、バーチャル。
VTuberとVRをざっくりまとめた「バーチャル」の世界に魅入られ続けて、ついに自らも「身体」を受肉した2022年。と同時に、2020年頃にお試しでレビュー動画を作っていたときの経験を思い出しつつ、“そちら側”にちょっとだけ足を踏み入れてみて、ハマりそうな気配のある動画制作&YouTube活動。
それ以外にもいくつかの分野――ここではあえて何とは明言しませんが――に興味を持ち、あれやこれやと手を出したり出さなかったりしていたのが、「2022年」という1年間だったように思う。そうと意図していたわけではないけれど、こうして振り返ってみると昨年は、何かを始める前の「準備体操」の期間だったのかもしれない。
「やっていき」の精神を思い出せ
準備体操を済ませたら、次の行動は決まっている。
身体を、手を、心を動かそう。
好きなことを、楽しむために。
やりたいことを、やりたいように。
ただし、気をつけなくっちゃいけないこともある。
VTuberさんの活動を見ていて、2022年の自分がたびたびモヤモヤしていたこと。いや、振り返ってみればもっと前、この「ブログ」に注力していた2015年前後にも、同じようにモヤモヤしていた懸念事項。ブログを遡れば、当時のモヤモヤがこびりついた記事が今も残っているんじゃないかしら。
インターネットは、繰り返す。とはいえ、すでに経験済みのそれを、わざわざ自分から見つけに行く必要はない。数年前に味わって、ブログに吐き出していたそれを、どうしてまた自分から追体験しに行くんだろう――と、我ながら気づくのが遅かった。
結果、スタートダッシュを切りそびれてしまった感覚もあるものの、それによって得られた実感もある。どうしようもないやるせなさと、時として「好き」や「楽しい」の気持ちを減退させてしまう、モヤモヤに対抗するための考え方。そこで思い至ったのが、ちょうどモヤモヤをブログにぶちまけていた時期にも共鳴した記憶のある、「やっていき」の精神でございます。
気持ちよりも 行動 を、
過程よりも 成果 を、
一発よりも 継続 を、
社会よりも 個人 を、
モブよりも 主人公 を、価値とする。すなわち、左記の事柄に価値があることを認めながらも、私たちは右記の事柄により価値をおく。
(やっていき宣言 | yatteiki.fmより)
数年ぶりにこの文言を読んだのだけれど、その一字一句に頷くしかない。
というか、こんなにもピンとくる言い回しで明言されていたんだっけと、すっかり忘れておりました。Twitterで、ブログで、Podcastで、今もしばしば見聞きする「やっていき」。この一語のことをなんとなしに考えつつ、ゆるりふわりとネットの海を漂っていたら、久々にこのページに行き着いた。
今の自分に必要なのは、この精神なのでは……?
なんとなく「エンジニアのみなさんが使う言葉」という印象もあり、当時の自分が口走ることは憚れていたこの言葉。けれど、今になってようやく「ものづくり」に近しい世界へと足を踏み入れつつある今の自分なら、自然と口に出せる気がする。――やっていきを、やっていこう。
2023年を、やっていこう
とはいえ、「やっていき」はあくまでもマインドの話に過ぎません。具体的な目標や抱負は、また別途考る必要がある。
たとえば、昨年は「(他者の)応援」が小テーマとして自分の中にあったのだけれど、なんだか中途半端にしか実践できなかったという反省がある。「創作や活動をがんばっている人のことを、ライターとして応援したい!」と思いつつ、しかし変に一歩引いたところから取り組もうと考えたことで、受け身の態勢に終始しがちだった。結果、「応援」の形も中途半端になってしまった。
じゃあそこに、「やっていき」の精神を乗っけてみたらどうだろう。
自分や相手の気持ちを変に考えすぎるよりも、まず行動する。過剰にリスクを避けるために安牌を選びがちだった過程を再検討し、得られる成果を重視する。一度きりの応援で満足するのではなく、その後も継続して施策を提案する。“界隈”などという不確かな集団を見るのではなく、個人を盛り立てる。モブに徹するマインドを排除し、主人公としての共演であると考える。
――すごい。パッと思いついた例に当てはめてみただけなのだけれど、なんだか良い感じに修正できてしまった。この調子で、今年やりたいこと、挑戦したい活動、実現したい目標を整理しつつ、それぞれに「やっていき」をライドさせていけば、それっぽい抱負ができあがりそうな気がしてきたぞぉ!
具体的な目標についてはここで書くのも野暮――もとい、今はNotionの整理で手がいっぱいでまだまとめきれていない――ので、それはまた後ほど。機会があれば、noteかPodcastあたりにぽいっと投げておこうかと思います。
そんなこんなで長くなりましたが、例年以上にやる気に満ち満ちている年始の今。このご時世もあり、直近2年くらいはいろいろなことにブレーキを踏んでしまっていたような気もするけれど、今年はエンジンをかけてブルンブルルンブォンブォンブォーーーーン!!!! と突っ走っていきたい所存です。準備体操も済みましたしね。
ここまで、年始から3,000字以上にも及ぶ個人のボヤキを読んでくださった、そこのあなた。本当にありがとうございます。すっかりブログで文章を書かなくなって久しいのに、こうしてチェックしてくださっていてマッッッジで感謝しかございません。𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
それでは、皆々様。
共に2023年を、やっていこう。
特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」