死後に“ロスタイム”があったら?死者に寄り添う少年少女の青春小説『時給三〇〇円の死神』


 死にゆく人の未練を晴らすべく奮闘する、少年少女のハートフルストーリー。
 ──そう聞くと、フィクションとしては別に珍しい設定でも何でもないように思う。

 その手の物語において主人公が関わるのは、何らかの未練や無念を残した幽霊=死者たち。ある人は家族や恋人を慮り、ある人は遣り残したことが気掛かりで、あの世へ旅立てずにいる。

 そして幸か不幸か、そんな幽霊の姿を見ることができてしまう主人公は、その未練を晴らすために奮闘する。たくさんの後悔や別れと向き合い、辛く悲しい思いを重ねながら、それでも最後には笑顔で旅立つ人々を見送り、自分も日常へと戻っていく──というのが、その手の作品でよく見るストーリー展開かしら。

 しかし、本作『時給三〇〇円の死神』で描かれるそれは、 “ハートフル” とは程遠いところにある。

 家族と仲違いしたまま、不慮の事故で死んだ学生。定職に就けず、家族も壊し、己の不甲斐なさと社会の理不尽を呪いながら死んだ中年男性。虐待を受け続け、殺されてなお母親を求める子供。夫から愛されず、産むことだけを求められ、使い捨てられたも同然の新婚生活を送る女性。

 思わず「救いはないんですか!?」と叫びたくなるほどにやるせない、絶望のただ中で亡くなった《死者》たち。死にゆくだけのそんな彼ら彼女らと向き合うのは、彼自身もまた、絶望と諦観を抱えて生きている高校生。金に困っていた彼がスカウトされたのは、 “死神” のアルバイトだった。

 時給300円という絶望的にブラックなアルバイトを始めることになった彼と、その同僚であり、クラスメイトでもある少女。少年少女を中心に据えたこの小説は、決して心温まるとは言えない《死者》との交流を通して、2人がひとつの「答え」にたどり着くまでの物語だ。

「この世にはね、死んだはずなのに死ななかったことにされた人たちがいるの」

(藤まる著『時給三〇〇円の死神』Kindle版 位置No.495より)

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生き地獄にもなりかねない、死後の【ロスタイム】

 さて、突然ですが、あなたはある日、不慮の事故によって死んでしまいました。未練を残したまま、理不尽にもあの世行きの切符を手にしてしまったあなた。

 ところが、その「死んだ」という事実がなかったことになり、「自分が死ななかった世界」で過ごすことになったら……どう感じるでしょうか。

 たとえるなら、それは「自分が死ななかったパラレルワールド」。自分が「死んだ」という記憶はそのままに、「自分が死ななかったIFの世界」で過ごすことになる。正確には平行世界とは異なるし、「死」という事実を覆すことは不可能。その世界はいずれ消え去り、死んだ自分は旅立たなくてはいけない。

 死者が生前の未練を晴らし、それまでの人生を整理・清算するために与えられた、閉じられた世界。それは、ある種のモラトリアムと言えるかもしれない。そんな世界があるとしたら、自分は何をするだろう? ──きっと、仮初めとはいえ、与えられた命を存分に謳歌するんじゃなかろうか。

 会いたい人に会い、やりたいことをやり、自分が生きたという証を残すために奔走する。そうすることができたら、どんなに素晴らしいだろう。たとえ自分の死が確定していて、猶予期間が終わればこの世にサヨナラするのだとしても。死ぬ前のその時間を活喩し、自分が生きた証を残すことができるのだから。冒頭に挙げたような物語でも、そのような「死者が生きた証」を残すべく主人公が協力する展開が、ひとつの王道としてあるように見える。

 しかし、もしもその「自分が死ななかったIFの世界」で過ごした時間が、すべてなかったことになってしまうとしたら?

 それは一瞬の夢のような世界でしかなく、モラトリアムが終わり、自分が死の運命を受け入れた途端、すべてがリセットされるとしたら……どうだろう。

 遣り残したことを清算し、未練を晴らしたとしても、全部なかったことになってしまう。家族に手紙を書いたり、生前に伝えられなかった思いを誰かに伝えたり、未完成の作品を完成させたり。その世界で自分が取った行動、遺そうとしたメッセージが、自分の死と共に消えてなくなってしまうとしたら。

 

 ──それはもはや、生き地獄でしかないのではないだろうか。

 

 現実には干渉できない夢のような空間で、確定した自分の死を待つだけの時間。いつ終わりが来るとも知れないなか、生前の後悔や無念を突きつけられ続ける。死んでしまった以上、その無念を晴らすことはできず、後悔を消そうと足掻いても、自分が消えると同時にすべてがリセットされてしまう。

 いわゆる不可視の「幽霊」としてただ漂っているだけならば、まだ良かったかもしれない。自分がいない世界を傍観者として眺め、一抹の寂しさを感じつつも、いつかは納得して旅立つことができるはずだから。誰にも見えない幽霊なら、まだ諦めやすいようにも感じる。

 けれど、「自分が死ななかったIFの世界」では、また状況が異なってくる。その世界では、自分という存在が認識されているだけでなく、それまでと何も変わらない日常があり、人間関係があり、「自分が死ななければ歩むはずだった人生」があるのだ。

 そんなものを突きつけられて、はたして自分は正気でいられるだろうか。「死者が自分の気持ちを整理するための時間」と言えば聞こえはいいけれど、結局は死ぬことに変わりはない。ただただ後悔に苛まれ、絶望し続けるだけの時間になってもおかしくはない。

 もし、あの時に出かけていなければ。もし、普段から健康を心がけた生活をしていれば。もし、カッとなって言い返したりしなければ。──自分が生きることは決して叶わない世界で、もし・たら・ればを積み重ねるだけの時間に、意味はあるのだろうか。

 そんな、死ぬ前の猶予期間──生と死の狭間の夢のような時間は、本作では【ロスタイム】と呼ばれている。普通の人は知りもしないその境界線の時間を認識できるのは、やがて死にゆく《死者》と、その未練を晴らす手伝いをする “死神” たちだけ。

 絶望の中で【ロスタイム】を過ごす《死者》と、彼ら彼女らに寄り添い救おうとする “死神” たち。その、切なくも温かい……いや、全体的に重苦しく辛いばかりの関係を描いた物語が、この『時給三〇〇円の死神』という作品だ。

 

ハートフル(ボッコ)な《死者》との交流

 正直に言って、作中をつきまとう空気感は、全体を通して重苦しい。「重い」だけでなく「苦しい」も付け加えたくなるほどで、さらには「辛い」や「キツい」もおまけしちゃうぞっ☆ と言いたくなるほどには、ハートフルボッコな展開が待っていたのだ。それも複数回。

 なぜって、 “死神” として働く主人公たちが関わるのは、冒頭でも軽く触れた「虐待」や「不倫」といったような、穏やかじゃない事情を抱えている《死者》たちだから。リアルにありふれていてもおかしくはない、十人十色の家族の闇に次々と切りこんでいく展開は、読んでいて胃痛を感じるほどだった。

 しかも、キツいのは個々の事情だけではない。客観的に見れば被害者である《死者》たち自身もまた、各々が闇を抱えている。

 と言うのも、彼らの多くは自身の「未練」が何なのか、自分でもわかっていない。死んでしまったという事実は認識しつつも、突如訪れた【ロスタイム】に戸惑いながら、とりあえずは生前どおりに生活しているだけに過ぎないのだ。

 ──ところが、それも実のところ、表面上「わからない」と振る舞っているだけのケースもある。自分の未練が何であるか薄々わかっているのに、ひた隠しにしている《死者》もいるのだ。

 

 なぜなら、自分の「未練」と向き合うということは、自身の後悔や絶望と向き合うことでもあるから。

 

 もしも違う選択をしていたら、自分は死なずに済んだのかもしれない。死んでしまうのなら、もっと家族と仲良くしておけば良かった。どうして自分は、あんな生き方しかできなかったのだろう。情けない、不甲斐ない、やるせない──。

 どれだけ後悔しようとも、それはすでに変えることのできない「過去」になっている。自分が死んでしまった以上、その事実を変えることはもはや叶わない。家族との仲も、自分の生き方も、何もかも。「晴らしようのない未練だってある」という当たり前の事実を、本作は容赦なく突きつけてくるのだ。

 だからこそ、《死者》はみんな嘘をつく。

 自分は後悔などしていないと、人並みに幸せに過ごすことができていたと、絶望の日々を送っていた生前の己を否定する。理不尽な世界で、理不尽に死んだ事実を、認めたくはないから。すっかり絶望しきってしまった自分を守るためには、そうするしかないのかもしれない。

 一見すると穏やかそうに見えて、けれどその内心では深い絶望を抱えながら、【ロスタイム】を過ごす《死者》たち。本作は、「死んだ人の未練は晴らすことができない」という至極当然の現実を、現実にあっても不思議じゃない「家族」の問題と絡めながら、生々しく描き出してくるのだ。

 

ライトノベル的な「軽さ」に救われる

 そんな重苦しいストーリーのなかで際立つのが、 “死神” のアルバイト仲間にしてクラスメイト・花森雪希の、底抜けの明るさだ。

 過去の出来事やトラウマから、悪いほうへ悪いほうへと考えてしまいがちな主人公・佐倉真司をからかい、弄び、激励するその姿は、まさしく「天真爛漫なヒロイン」そのもの。ライトノベルっぽくもある──というか筆者の前作のヒロインと少し被る──キャラクターに、読者目線でも「救われる」実感があった。

 主人公が愚痴るまでもなく、 “死神” のアルバイトは最悪だ。嘘つきだらけの《死者》と関わりながら、その未練を知り、晴らす(断ち切る)のは困難極まりない。ようやく手がかりを見つけたと思ったら、その未練が、現実的には実現不可能なことすらあるのだ。

 他人の人生、それもとびきり重苦しい人間関係に飛びこむ必要があり、恨み節を投げつけられることもしばしば。そんな最上級にヘビーな労働環境にあって、しかも驚愕の時給300円である。「最低賃金? 労働基準法? なにそれ食べれるの?」というレベル。いくら超常的な《死者》と関わるアルバイトだからと言って、「そんなところまで非現実的な賃金設定にしなくても……」とツッコみたくなるやつ。神様ってやつはどうして、どんな作品でも理不尽なんだ……。

 ──とまあ、遠足のおやつレベルのお賃金はさておき、ある意味ではその「300円」を通して絆を深めていく主人公とヒロインの2人の関係性は、見ていてとても心地良い。

 クラスメイトから同僚、悪友、相棒といったふうに変化していく距離感が、付かず離れずといった感じでしっくりくる。前作の2人はもっと特殊な環境・関係にあったけれど、筆者さんの「距離感」の描き方はものすごく自分好みだと再認識させられた。いずれ訪れる別れを予感させながらも、近づきすぎない感じが。

 そして本作は、主人公の成長物語としても楽しめる。

 これまたのっぴきならぬ事情を抱える彼が、いかにして過去と向き合い、「家族」という存在を見つめ直し、それを “死神” のアルバイトに活かしていくか。物語が進むにつれて変化していく主人公の心中。それが、思いのほか事細かに描かれているのが印象的だった。

 《死者》たちとの交流に悩み、心を痛めながらも、それでも彼ら彼女らと向き合い続けようとする姿は、必死に生きようとする人間の姿そのもの。図らずも生命の熱さを感じられ、最後の決断には強く感じ入ることになったのだった。

 

これはきっと、「恩送り」の物語

 ここまでに「救いがない」とか「ハートフルボッコ」とか書いたけれど、厳密に言えば、救いはある。というかむしろ、本作の世界観を考慮すれば、あれが最良のハッピーエンドだったんじゃないかとすら思えてくる。ただし、 “ハートフルボッコ” であることは否定しません。みんなでボコられよう。

 そもそも、本作における “死神” と【ロスタイム】のシステムは、基本的に「ゼロを変えようとして、結局はゼロのままにする」構造を持っていると考えることができる。

 【ロスタイム】中の出来事はなかったことになり、半年間のアルバイトを終えた “死神” は仕事に関する記憶を失う。《死者》の行動は世界に何の影響も及ばさず、未練は晴らされず、 “死神” の奮闘もなかったことになる。すべてはゼロに。結果は変わらず、その過程の記録も残らない。

 それでも、その「ゼロ」に意味を持たせようと足掻き、何かを残そうと求め続けることには、きっと意味がある。本作は、そんな「無意味の意味」の尊さを教えようとしてくれているように感じた。

 死にゆく運命は覆らないし、【ロスタイム】では何も変えられない。それでもなお、夢のような一瞬を過ごした記憶が、誰かの中には残ると信じて。生死の狭間でもがく《死者》と “死神” の関係は、ただ辛く重苦しいだけでなく、人間らしい、生き生きとした最期の感情の応酬として、どこか尊さを感じるものだった。

 また、この【ロスタイム】に関連して、作中の『透明の本』の話も強く印象に残った。

「このロスタイムはいずれなかったことになる。だけどそれはなくなるんじゃなくて、見えなくなるだけ。アカシックレコードの中にある『透明の本』に残り続けるんだって。昔、私を担当してくれた死神の人が、そんな話を教えてくれたんだ」

(中略)

「この話はね、ずっと昔に誰かが《死者》のために作った話だと思う。決してなくなるわけじゃない。生きた証は、世界のどこかに残り続ける。気休めのように感じるだろうけど、《死者》はみんな最後にそこへ辿り着くの。そうやって自分を納得させることで、旅立つ決意をするの。私も、そんな本があるといいなって思うよ」

(藤まる著『時給三〇〇円の死神』Kindle版 位置No.2179より)

 この現実世界に「ロスタイム」があるかどうかはともかくとして、「自分が生きた証は、きっとどこかに残る」という考え方は、純粋に素敵だと感じた。どんな人間であっても、その人が生きた証はどこかに残る。そのように考えれば、やがて自分が死ぬとしても、納得してこの世を去ることができるように思う。

 たとえ一切合切がなくなるとしても、小さな種をあちらこちらに蒔いておくことで、どこかに何かを残すことができる。《死者》から “死神” へ、 “死神” から人へ、人から人へ。記憶からは消えることが決まっているとしても、人を介して伝わったものには、やがて小さな意味が宿る……のかもしれない。

 そのような目線で読むと、本作とその結末から受ける印象もまた変わってくる。「死」と「別れ」の物語ではなく、出会い、つながり、次へ次へと伝えていく、「恩送り」の物語。

 いつかは消えるバトンを、次へ次へと渡していく。

 その物語の重苦しさゆえ、誰にでも勧められる本ではありませんが、少しでもビビっとくる何かを感じられた人が、もしいたら──僕も、このバトンをあなたに渡したい。

  

 明るい作風が好みの人には、藤まる先生のデビュー作『明日、ボクは死ぬ。キミは生き返る。』もおすすめです。同じく生死の狭間で揺れる少年少女を描いた、こちらは “憑依型” の青春ラブコメ。

 

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