初めて「エモい」と感じた、普通じゃない家族の物語『平浦ファミリズム』


 「エモい」という感覚が、いまいちよくわからない。ロジカルではなく、エモーショナル。言葉にしたいけれど、言葉にできない。「感情が高まって強く訴えかける心の動き」*1と言われて何となく理解した気にはなったものの、あまり自分の感覚には馴染まず、普段口に出すことはなかった。

 ところがどっこい。今しがた小説を読み終え、充実した読後感に浸っていた己の内から湧き出た感想が、この「エモい」だった。──おもしろかった。良い話だった。そういった紋切り型の一口感想に続いて、強く揺さぶられた己の感情のモヤモヤを言語化しようとしたところ、口を突いて出たのが「エモい」だった。……なるほど、これはたしかに、まっことエモい物語だ。

 『平浦ファミリズム』は、第11回小学館ライトノベル大賞・ガガガ対象を受賞した、紛うことなき「ライトノベル」である。昨今の流行を無視したラノベに似合わぬあらすじに惹かれ、ブログ「スゴ本」のDainさんのレビュー*2まで目にしてしまったら、そりゃあ読まずにはいられない。

 ますます「多様性」が叫ばれるようになりつつも、他方で出る杭は打ち、理解不能な臭いものに蓋をすることを良しとする、「世間」への皮肉とも受け取れる物語。一般的には「普通じゃない」家族と周囲を取り巻く関係性が描かれる本作は、読みごたえあり、テーマ性ありと、むちゃくちゃ自分好みの作品だった。

 ガガガ文庫というレーベルは、どうしていつもこうなのか……!(褒め言葉)

「普通」以外を排斥する社会なんざクソ食らえ

 ジャンル的には青春小説、あるいは家族ものに分類されるだろう本作。「喧嘩っ早いトランスジェンダーの姉、オタクで引きこもりの妹、コミュ障でフリーターの父」という家族構成が並ぶあらすじからして、一筋縄ではいかなそうな第一印象を受けた。

 そのような家族に囲まれて育った主人公・平浦一慶もまた、世間的には「普通じゃない」と言われそうな高校生。学校にはろくに通わず、亡き母から学んだエンジニアとしての才能を活かし、家でアプリ開発に勤しむ日々。むしろ自分から進んで孤立することを選んでいる、周囲に無関心な無愛想の天才肌。他方で家族に対する愛情は人一倍大きいという、見方によっては “ラノベらしい” 主人公と言えるかもしれない。

 「家族がいれば、それだけでよかった」という文句からもわかるように、本作は「家族」を中心に据えた物語となっている。序盤から家族関係は良好に見えるため、さぞやハートフルなストーリーが展開する──わけでもなく、物語の要所要所でその壮絶な過去が描かれる。理不尽、無責任、凄惨──そのような表現が脳裏に浮かぶ彼らの過去は、必ずしもフィクションに限ったものではなく、現実にも起こりうる話だと感じた。つらい。だるい。くるしい。

いじめられる側に問題があるという言葉をたまに耳にする。でもそれは、いじめる側の人間と、それを見て見ぬふりをする人間のために作られた言葉だ。人を傷つけることを許容する、しかも無関係すらも装う、大衆の暴論にすぎない。そうして彼らが眼を閉じ、果たさなかった責任は、いつだって少数派の人間がその重荷を背負うことになる。所詮、世の中そんなものだ。

(遍柳一著『平浦ファミリズム』Kindle版 位置No.719より)

 同じガガガ文庫の作品ということもあってか、読んでいて、ふと『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』の主人公・比企谷八幡の顔が脳裏にちらつくことがあった。斜に構え、物事の本質や裏を読み取り、「他人を信用しない」ことで己の平穏を保っている。そんな2人は、どこか似ている。

 ただし、本作の主人公・一慶は文武両道。185cmの長身で野球経験者という、ラノベっぽくない(?)スキル持ちだ。しかも数百万円単位で稼いでいる天才エンジニアとくれば、ぼっちでコミュ障を自認する八幡と比べるのはお門違いであるようにも思うけれど。強いて言えば、2人ともに際立って “善良なひねくれ者” と言えるかしら。

 スペックはともかくとして、いずれも「他人を信用しない」主人公であるように映る2人。似た者同士であるように見えて、その精神性は明確に異なっている。ざっくり言えば、「自意識の化け物」と称された八幡に対して、一慶は「徹底した個人主義」を貫いているイメージ。一慶の目に「他人」の姿はなく、信頼できるのは家族だけ。他人とはリスクであり、バグであり、己と家族の世界で完結していればそれでいい。そう考えている。

他人とは何か。それはリターンがゼロに等しいリスクだ。期待するだけ無駄なんだ。

人は本当の意味で誰かを助けないし、誰かに寄り添うことも出来ない。そんな関係があるとすれば、それは家族以外にあり得ない。ならば最初から、自分ひとりで全てやってしまった方がいい。それにいったい、何の問題があるのだろう。

それでこの世の中は、十分に完結するというのに。

遍柳一著『平浦ファミリズム』Kindle版 位置No.3342より)

 一慶の考え方は独善的すぎるようにも感じるが、当然、このような考えに至るには理由がある。マイノリティを排斥し、当たり前のことができない人を異常と断じ、傷つき苦しむ家族を誰も助けようとしてくれなかった社会への怨嗟と、それを目の当たりにした経験。そのなかで敬愛する母親をも失ったことが、彼のトラウマとなっている。

 もしかしなくても、一慶のこの考え方に共感する人は決して少なくないんじゃなかろうか。

 「 “当たり前” ができない」ことで罵声を浴びた人。人とは違う特徴や性格をあげつらわれ、人格を否定された人。学校や職場になじむことができず、現在進行形で息苦しさを感じている人。

 そこに善意の手助けが、認めてくれる他人の存在があればよかったのだけれど、誰もがそんな幸運に恵まれるわけでもなく。苦しむ自分に手をさしのべるところか、勝手なエゴを押し付け自己満足に浸る他人と相対し、絶望したことがある人もいるのではないだろうか。結果、他人を信じず、期待もせず、一慶のように誰も信用できなくなったとしても、まったく不思議じゃない。そのような経験は、きっとこの世の中にありふれている。

 一慶の場合は、「家族」を居場所とすることで落ち着くのだけれど……。それでもやはり、人は誰かと関わらずにはいられない。学校に行けばお節介な教師がおり、教室では浮いている彼にも周囲を厭わず話しかけるクラスメイトがおり、すぐ近くにも変わろうとしている家族の存在がある。

 主人公が抱える問題が「人との関わり」であることからして、ゴール地点は明らかだ。その過程では、父・姉・妹・母、各々の背景と一慶への想いが語られつつ、「家族」の物語は結末へ向かって収束していく。彼の抱える問題を知りながらも、静かに見守ろうとする家族の思いやりが温かい。

 そして終盤では、それまでに関わってきた「他人」も巻きこんで、徐々に態度を変えていく一慶の姿が描かれる。理不尽に抗う戦いと、家族の温かさと、他人が踏み込んできたことによる心の変化。感情本位ではなく、理性でもって考え、悩み、合理性をもとに人との関わり方を見直そうとする一慶の変化は、読んでいて胸がすくような感覚を覚えた。

 序盤こそ、読んでいて苦しくなるエピソードが語られていたものの、少しずつ彼らの「家族」の有り様を知り、キャラクターに愛着がわいてきたところで急転直下、結末へと向かう展開が最高だった。それまでは各章ごとに少しずつ読み進めていたのが、最後だけは夢中になって、深夜にもかかわらず一気に読んでしまったほど。序盤に張られていた思わぬ伏線の回収も見事。

 そうして抱いた感想が、「エモい」だったわけだ。……うむ、これはエモい。ネガティブとポジティブの感情の振り幅が行ったり来たりして、最後には良い具合に落ち着く感じ。

 エンタメ小説としての都合の良さはあるにしても、作中で描かれている人間関係には体温を感じたし、主人公の負の感情も、大人のかっこよさも、過ちを犯した人の告白も、すべて引っくるめて共感できるものだった。新年一発目に読んだ小説が本作で、心底からよかったと思う。

「傷つけられることもある。裏切られることだってあるかもしれない。だが、そうやって何度も信じて行動し続けた先に、それでも君の隣にいてくれる人たちがいたとしたら、それが君にとっての、かけがえのない他人なんだよ」

遍柳一著『平浦ファミリズム』Kindle版 位置No.4174より)

 

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