少し前に、Twitterでナイチンゲールの逸話が話題になりました。その内容は一般的に語られている「白衣の天使」のイメージからはかけ離れており、驚いた人も少なからずいるのではないかしら*1。
ナイチンゲール「薬が足りないのでこの箱の中にある備蓄を出してください」
— クリフ (@bottikurihu) 2017年1月2日
医療長官「委員会の許可が無いと開けれないよ。次の委員会三週間後だけどね(ざまぁ)」
ナイチンゲール「(無言で斧を振るって箱を叩き割る)」
医療長官「(絶句)」
ナイチンゲール「開きましたので持って行きます」
こちらのツイートに対する反応*2のみならず、Wikipediaの項目を斜め読みしてみても、とにかく「やべえ」「ぱねえ」ことが伝わってくるナイチンゲール女史の生涯。……気になる。子供向けの歴史マンガでも良いから、その不撓不屈の精神を垣間見れる作品はないんすか!
そこで目に留まったのが、『うしおととら』でおなじみの藤田和日郎先生によるマンガ『黒博物館 ゴーストアンドレディ』。先ほどのツイートに対するコメント群のなかでも複数人から名前が挙がっており、「ゴーストアンドレディはいいぞ」の大合唱。
そんなん、読むしかないじゃん! ──ということで、さくっと読んでみた。上巻だけ買っておいてゆっくり読み進めるつもりが、あっという間に下巻までポチって読了。むちゃくちゃおもしろかった。婦長さん、目がマジやばい。だけど、マジかわいい。
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ナイチンゲールの半生を“幽霊”が語る伝記ファンタジー
本作の舞台は、ロンドンにある犯罪資料館「黒博物館」。ある日そこに、ひとりの老人が訪ねてくる。彼の目的は、博物館に展示されている怪しげな品々のひとつ、 “かち合い弾” 。弾丸と弾丸がぶつかってできた不思議な形の銃弾は、幽霊が劇場に遺したものだと言われていた。
そんないわくつきの銃弾のもとへ、老人を案内をした博物館の学芸員。しかして彼女は、そこで信じられないものを見る。──自身の「頼み」を聞いてくれたら、 “かち合い弾” の由来を話してあげよう──そう口にした老人が突如気を失ったかと思うと、中から幽霊が出てきたではないか!
幽霊の名は、〈灰色の服の男〉。この物語の語り部であり、登場人物でありながら、舞台に立てなかった主人公でもある。本作は、語り部である彼── “ゴースト” が語る、1人の “レディ” の物語。聞き手は僕ら読者と、意外と表情豊かでおちゃめな学芸員さん。かわいい。
“レディ” とは言うまでもなく、「フローレンス・ナイチンゲール」その人だ。一般的なイメージとして語られがちな「白衣の天使」「近代看護教育の母」の呼び名よりも、「クリミアの天使」「ランプの淑女」の異名がしっくりくる。そんなナイチンゲール像が描かれている。
また、幽霊である〈灰色の服の男〉自身も、ある意味では “実在” した存在だと言えなくもない。彼の元ネタは、ロンドンのドルリー・レーン劇場にしばしば現れたという、「灰色の男」の幽霊。その怪談話にいくつかの要素を付け加えられた人物が、本作の語り部である。
2人の出会いは、そのドルリー・レーン劇場にて。どこか狂気的な雰囲気を身にまといながら、「自分を殺してほしい」と頼むフローレンス。そんなレディに、ゴーストは興味を持つ。彼女はまるで、自分が大好きな “悲劇” の主人公のようではないか──と。
それは、幽霊として何千回も劇を見て過ごすだけだった彼にとっては、降って湧いた「役者」になる機会だった。──それならば、喜んで殺してやろうじゃないか。ただし、悲劇は悲劇らしく、お前が徹底的に絶望したその瞬間に命を絶ってやる──と。
また、本作では〈灰色の服の男〉以外の幽霊として、〈生霊〉が登場する。どんな人間でも抱えている負の感情の塊──背後霊のようなもので、普通は見えないが、常にお互いを攻撃し合っている。
そんな〈生霊〉のなかでも、フローレンスのそれはご覧のとおり↑の図体のデカさであり、しかも他者ではなく、宿主である彼女を攻撃する奇っ怪な存在として登場する。そもそも〈灰色の服の男〉が見えている時点で彼女は不可解な人間であり、ゴーストが興味を抱くのも必然と言える。
殺す側と、殺される側。歪な2人の関係はやがて、「いつか自分を殺してくれるから」という信頼へと変わり、フローレンスが前へと歩む原動力になっていく。
地獄のようなクリミア戦争での従軍期間をメインに描かれる、彼女の半生。それは、本作においては “悲劇” 的な歴史の事実を踏襲しながらも、同時に、 “喜劇” 的な物語としても楽しめるものだった。そして、劇場の「幽霊」がその “喜劇” 部分を補うというのが、またおもしろい。
すべてに絶望した幽霊の騎士と、決して絶望しない鋼鉄の天使
──とまあ、〈生霊〉だの何だのとファンタジー要素もある本作ですが、それでいて「伝記マンガ」としても成り立っているように読めるのが、これまたすごい。伝記であり、伝奇でもある。
巻末掲載の参考文献の多さからは徹底した事前調査の痕跡が垣間見えるし、作中では実際のナイチンゲールの活動の変遷や実績、逸話までもがしっかりとストーリーに組みこまれている。〈灰色の服の男〉の背景や役割も含め、まったく違和感がないんですよね。
生前は決闘の代理人をしていたと話す彼だが、幽霊となった今は、現実に大きな影響を及ぼすことはできない。しかし、彼同様に霊的存在である〈生霊〉に干渉し、斬り捨てることはできる。
つまり、〈生霊〉に働きかけ打ち負かすことで、間接的にその人間の心を弱らせることが可能なわけだ。そうすることで、敵対する人間を弱らせ、彼女の活動を手伝うことにもつながる。
もともとは「フローレンスを殺す」という約束のもとで着いて行った〈灰色の服の男〉だったが、徐々に彼女の騎士のような存在として、立ち位置が変化していくのがおもしろい。
直接的に手を下そうとはしない(そもそもできない)ものの、いざという場面でフローレンスを邪魔する相手が出てきたら、そこは決闘代理人としての出番である。「『主役』の見せ場に入ってくるんじゃねえや!!」と、相手の〈生霊〉を “代わりに” ぶった斬ってしまうのだ。爽快&愉快。
とはいえ、毎度毎度そんな便利に〈生霊〉を倒せば問題が解決するというわけでもなく、基本的にはフローレンスが己の体ひとつで戦っている。病院の環境改善、資金運用に物資調達、各所への根回しなどなど、歴史に残る彼女の活動が、想像以上に壮絶かつ事細かに描かれていた。
そして、〈灰色の服の男〉の生前の因縁も絡み、物語はクライマックスへ。2人の約束の行方と、 “かち合い弾” の由来が明かされる──。
伝記としてもファンタジーとしても胸のすくような結末は、上下巻というボリュームで読めるマンガのなかでも格別のものでした。それこそ、こうしてブログに書いて、誰かにおすすめしたくなるほどには。あと、無性にシェイクスピアが読みたくりますね、これ。
歴史ものが好きな人はもちろんのこと、『FGO』で知った彼女のバーサーカーっぷりを別視点から垣間見たい人、そして当然、藤田先生のマンガが好きで本作は未読の人にもおすすめしたい作品です。現在、上巻のみKindle版が55%OFFになっているので、興味のある方はぜひ。
©Kazuhiro Fujita 2015
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*1:そういえば以前から、『Fate/Grand Order』がきっかけで話題になっていましたね……(参考:「殺してでも治療する」白衣の天使、ナイチンゲールの壮絶な逸話集 - Togetterまとめ)
*2:ナイチンゲールの「薬を貰うために薬箱を斧で叩き割った」という逸話(※史実)に驚愕する人々 - Togetterまとめ