火事屋『わたしと先生の幻獣診療録』(1) P.45
時代の「変革期」を描いた物語は、いつだって心躍らされるもの。
剣から銃へ、蒸気から電気へ。技術革新は言うに及ばず、激動の時代を経て移り変わる価値観や政治体制の変化は、創作物においては人気のテーマであるように思う。日本の歴史を紐解いても、武士の終焉を描いた「幕末」などは常に人気のジャンルですしね。
近代においては、そういった変革をもたらす存在として「科学」が果たした役割は言うまでもなく大きい。科学技術の発展は、庶民の生活の豊かさに直結する要素だとも言えるほど。反面、科学の隆盛に伴い失われゆく「伝統」との衝突も、避けては通れないように見える。
本作『わたしと先生の幻獣診療録』も、そのような「変革期」を描いた作品のひとつに数えられる。ただし、前述のような「歴史」を前提とした創作物とは少し異なるし、描かれる「変革」は激動の時代に巻き起こる革命ではなく、むしろ緩やかな変化として示唆されているように読めた。
──とまあ “それっぽい” 導入でもって書きはじめてみましたが、そんなことはどうでもいいのです。要するに、ロリっ娘とモフモフが登場する素敵マンガを読んだのです。
本作を一口に言えば、「『魔術』が『科学』に取って代わられつつある時代で奮闘する、小さな魔術師と無愛想な獣医師、2人と幻獣とのふれあいファンタジー」。絵本のようにかわいらしいキャラクターと幻獣にほっこりしつつも、設定の妙と世界観に自然と惹き込まれる、素敵な作品です。
古きが新しきに取って代わられつつある、狭間の世界にて
火事屋『わたしと先生の幻獣診療録』(1) P.8
『わたしと先生の幻獣診療録』の主人公は、魔術師の家系に生まれた女の子・ツィスカ。獣医を目指して “先生” のもとで手伝いをこなしながら、他方では、魔術の存在が人々のあいだで希薄になりつつあることに複雑な思いを抱いている様子。
ツィスカが師事しているのは、見るからに無愛想な獣医師・ニコ。てっきり放任主義のツンデレ系師匠なのかと思ったら、いつも弟子のことを考え、厳しさと優しさでもって接するスーパー良い人だった。 “獣医師” でありながら、人並み以上に「魔術」に対する理解はあるようだけれど──1巻時点では、それ以上のことは語られていません。
火事屋『わたしと先生の幻獣診療録』(1) P.13
本作に登場する「魔術」からは、「限られた魔術師しか使役することができないが、かつては人々のあいだで日常的に重宝されていた技術」といった印象を受ける。人々の生活を豊かにしてくれる存在ではあるものの、誰にでも使えるわけでなく、不確定要素も多い曖昧な技術。
対する「科学(本作では特に近代医療)」は、僕たちもよく知っているあの「科学」だ。本作中では、それまでは「神秘」としか言いようのなかった現象や手法について、論理・実験・観測によって解き明かしたもの。 “『誰がやっても』同じ結果を得られる” 、 “平等” な人類の知恵であり、文明である。
火事屋『わたしと先生の幻獣診療録』(1) P.22
おもしろいのは、「魔術」と「科学(医療)」の双方がまったくの無関係ではない、ということ。魔術を使う行程で「◯◯の効果がある」触媒として機能していた植物は、科学的にも同様に「◯◯の効果がある」成分を持っていると解明・規定されている。 “おばあちゃんの知恵袋” 的なものを思い出した。
言うなれば、それまでは適性・血筋を持った人たちだけが「魔術」を媒介とすることで実行できた方法が、「科学」によって体系化・概念化されたことによって、呪文や触媒を介さずとも誰もがその恩恵に預かれるようになった格好(概念化されたことによって逆に、「神秘」としての魔術・まじないは効力を発揮できなくなりつつある)。
おそらく厳密には別種の技術であり、途中で踏んでいる行程も異なるものの、最終的にもたらされる結果はほとんど同じ。魔術に頼らずとも安定して結果が得られる程度には科学技術が進歩しつつある時代の変革期の世界が、本作の舞台となっています。
火事屋『わたしと先生の幻獣診療録』(1) P.42
世間からは胡散臭い目で見られるような時代であっても、「魔術」を行使するシーンは神秘的。こうして見るとどこか神楽舞のようでもあり、祈祷・勤行・厄払いといった、現代にも残る「伝統」や「文化」あるいは「宗教」とも通じるように感じられますね……。
摩訶不思議でかわいい幻獣たちと、医療マンガとしての少女の成長物語
火事屋『わたしと先生の幻獣診療録』(1) P.65
そんな狭間の時代で、ツィスカは普通の動物だけでなく、魔術と同様に存在を忘れられつつある「幻獣」たちも救わんと奔走する。獣医師見習い、かつ魔術師の血を引く者として。
1巻で登場する幻獣は、リンドヴルム、サラマンダー、ヴォルパーティンガー、アルラウネ、ケルピー。多くはRPGなどでもおなじみの、伝説上の動物ですね。どの子も何かしらの問題や病を抱えてツィスカと出会うわけだけど、それぞれに逸話と絡めて語られていて興味深い。
火事屋『わたしと先生の幻獣診療録』(1) P.144
見た目はサンショウウオ(トカゲ?)のようなサラマンダーに、 “モグラ型の植物” であるアルラウネなど。幻想種ならではの特徴を持ちながら、それでも等しく「生物」である彼ら。現実ではお目にかかれない彼らだけれど、どこかリアルな動物じみていてかわいらしい。
しかし当然、そんな幻獣たちを相手に治療するとなれば、そりゃあもちろん一筋縄ではいかない。類似の動物と同じように治療を施そうにも、近代医療によって作られた薬が効くかは怪しい。
そこで実施されるのが、獣医師・ニコの「医療」と、魔術師・ツィスカの「魔術」とを組み合わせた治療。魔術と共に人間の前から姿を消しつつあり、また苦しんでいる幻獣たちを助けるのが、新旧2つの技術のコラボレーションという。見るからに “ファンタジー” な作風であるのになぜかしらリアリティも感じられる、その絶妙さ加減がたまらない。
火事屋『わたしと先生の幻獣診療録』(1) P.36
また、幻獣の逸話や「魔術」をはじめとする世界設定が印象的であると同時に、「医療マンガ」としての要素もはらんでいる本作。そもそもメインの2人は「獣医師」とその見習いだし、見た目に摩訶不思議な部分はあれど、患獣はみんな等しく「動物」だ。タイトルからして “診療録” ですしね。
その要素が前面に出ているのが、3話の「ヴォルパーティンガー」。腫瘍だらけで先が長くないウサギに対して、どのように向き合うべきか。物言わない動物を相手に、確実に効果があるとも限らない治療を施すべきなのか。まだ幼いツィスカにも、その選択は容赦なく突きつけられる。
火事屋『わたしと先生の幻獣診療録』(1) P.105
過去、数多の作品で問いかけられてきたテーマかもしれないけれど……やっぱり、何度突きつけられてもドキリとさせられる。
しかし、結果として作中で出された答えは、本作ならではのものだった。まだ「魔術」という神秘を行使するツィスカがそこにはいて、理解のある師匠もいて、懸ける価値のある可能性があった。魔術or医療という技術目線でなく、「認識」の視点から解決しようとする切り口に驚かされました。
火事屋『わたしと先生の幻獣診療録』(1) P.122
かわいらしい幻獣の登場する正統派ファンタジーであり、患獣に対して真摯に向き合おうとするアツい医療マンガであり、魔術師としても獣医師としても未熟な少女の成長物語でもある。また、科学的・魔術的な設定が混在しているようでいて、民族学的な要素も強く感じられる。
表紙から受ける第一印象とは裏腹に、多種多彩なテーマが混じり合った作品という感想を持ちました。それこそ、読んだ人によっても受ける印象は違ってくると思うので、ほかの人の感想も聴いてみたい。MAGCOMIで一部公開されているので、興味のある方はぜひ読んでみてくださいな!
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