「そういうのもあるのか」を知れる、ゆるく楽しい“暮らし”のエッセイ集『ひきこもらない』


 phaさんの書く文章は、柔軟剤のようなものだと思っている。

 必要不可欠ではないけれど、日々の生活で摩耗し、くたくたになった繊維を柔らかくほぐしてくれる。そして、特定の環境ですっかり染みついてしまった匂いをリセットし、ふんわりリラックスできる香りをもたらしてくれる存在だ。……なんだかうまいこと言おうとして失敗した気がしなくもないけれど、要するに「凝り固まった考えを解きほぐしてくれる」的なアレです。

 既刊すべてを読んでいるわけではないけれど、phaさんの言説からはいつもそのような読後感を得られて心地良い。いわゆる「世間一般」とか「常識」とか「普通」からは少し外れているけれど、別にそれらを否定するわけではなく、自身の考えを強く主張するでもなく、「こうやって考えてもいいんじゃない?」「こういう選択肢もあるよ?」と、ゆるく提示してくれる感じ。

 自分がまだ会社員だったころに読んだ『ニートの歩き方』もそうだし、退職して半無職・半フリーみたいな生活をしていた時期に読んだ『持たない幸福論』もそうだった。

 phaさんの文章はいつも、そのときどきで自分が感じていた「生きづらさ」に対して、別の選択肢を示してくれる存在であったように思う。時に社会から押しつけられ、時に自分の内からわき上がってくる、諸々の「こうすべき」をリセットしてくれる処方箋。

 そんなphaさんの新著『ひきこもらない』を読みました。

 

 

スキマ時間にゆるーく読める、「暮らし」と「生き方」のエッセイ集

 第一印象は「いつものphaさんの寄せ集め」っぽく感じられたのだけれど、それもそのはず。主に幻冬舎plusで公開されている連載記事をはじめとした、phaさんのコラム・エッセイ集――それが本書『ひきこもらない』です。

 “コラム集” ということで、トピックは多岐にわたっている。「街」や「家」についての考え方、チェーン店の使い方、スーパー銭湯とサウナ、「旅先で普段どおりに過ごす旅行」のススメ――などなど。いくつか章タイトルをかいつまんでみると、その雑多ぶりがわかるはず。

  • 夕暮れ前のファミレスで仕事がしたい
  • 牛丼ばかり食べていたい
  • 37歳になったらサウナに行こう
  • ぼーっとしたいときは高速バスに乗る
  • ニートが熱海に別荘を買った話
  • ときどきゲーセンのパチンコが打ちたくなる

 何も知らずに見れば、「いったい何の本なんだ……」と感じるかもしれないけれど、個々の文章がまったくの無関係というわけでもない。どれも「暮らし」にまつわるトピックであり、より広げて言えば「生き方」や「人生」がテーマ。実際、冒頭では次のように書かれている。

 

 多分、自分たちのような人間は、脳の欠陥のせいなのかなんなのかわからないけど、「普通の平穏な暮らし」というのが致命的に無理なのだ。

 無理に普通の暮らしに嵌め込もうとしても、やっぱり何かがうまくいかなくて、自分の中のストレスや周囲との齟齬がたまっていって、そのうち爆発し、自分にとっても周りにとっても良くない結果になる。そういう失敗は僕も何度もやったし、周りでも月一くらいのペースで目にし続けている。

 だから、平穏や安定や協調というものが向いていない僕らのような人間は、常に落ち着きなくいろんな場所を移動し続けたり、定期的に仕事を変えたり家を変えたり、人間関係をシャッフルしたりリセットしたりと、とにかく全力でふらふらし続けることが必要なのだ。

 この本はそんな僕が、街や家や旅や移動について、つまり「どこに住んでどんな風に暮らして、この社会の中をどのように動き回れば楽しく生きられるか」ということについて書いたものだ。

 

 特定の話題について掘り下げているわけではないため、人によっては読んでいて物足りなさを感じるかもしれない。ただ、「ニート」や「フルサト」といった形で話題が限定されていないぶん、気負う必要なく、スキマ時間に少しずつ読み進められる「読み物としての楽しさ」がある。

 また、これまた人によっては――特に長年にわたって同じ企業・環境で働き続けている人ほど――反感を覚えるかもしれない「働き方」「生き方」論についても、本書はかなりマイルドな後味。「こんなことがあったんですよー」というエッセイ調になっているため、変に反感を買わず、「そんな人もいるのかー」という温度感で読めそうな印象を受けた。

 というか単純な話、話題がばらけているので、誰でもどこかしら共感できる部分があるんじゃないかと思うんですよね。例えば、以下の部分。

 

 フロントで簡単なチェックインを済ませて、部屋に入ってドアを閉めた瞬間、「よっしゃー」という気分になる。でも別に部屋で何か特別なことをするわけじゃない。最初は少しテンションが上がって、意味もなく服を脱いで綺麗にシーツがセットされたベッドにダイブをし、ムフーンとか唸りながら裸でごろごろ転がってみたりもするけど、すぐに我に返って落ち着いて服を着て、あとは一人でだらだらとテレビを見たりインターネットを見たりするだけだ。食事なんかも適当にコンビニで弁当を買ってきて部屋で食べたりする。

 

 これなんて、完全に僕そのものである。単なる「ビジネスホテルあるある」の枠を飛び越えた、「完全に一致」状態である。なにこれこわい。まるっきり、旅先での自分じゃないか……。

 もちろん、一致しているのはこの部分だけで、それ以外では多くの違いがあるのだけれど。同じ高速バスユーザーではあるものの、自分はまだサウナの魅力には目覚めていないし、街の歩き方もやっぱり違う。

 旅先で歩きまわるのは同じ。でも、街の構造を見たり住人の生活をあれこれと想像しながら歩く筆者とは異なり、僕は何も考えずぼけーっと夜の地方都市のアーケード街をそぞろ歩きするのが常。ただ、最近になってカメラの魅力を知ったので、今はまた歩き方が変わっていそうな気もする。

 

 僕がどこにでもあるような街を見るのが好きな理由は、多分確認して安心したいのだ。どこにも特別な場所なんてないということを。

 日常というのは平凡で退屈で閉塞感だらけのつまらないものだけど、つまらないのは自分だけじゃない。みんな自分と同じように、このシケた現実の中のシケた現実の街で暮らしている。それしかないのだ。よかった。自分だけじゃないんだ。

 

 共感できる考えがあり、 “完全に一致” の行動があり、かと思えば自身とはまったく異なる考え方が、本書には書かれている。自分ひとりでは思い至らないゆるい思考と出会えうことができ、「そういうのもあるのか!」と感じられるのが、本書の魅力であるように思う。「旅」に限らず。

 自分にとっての「非日常」としての「旅」のなかで、そこに住まう人や街の様子から「日常」を垣間見てホッとするというのは、自分もたびたびやっている気がする……という記事を、そういえば過去に書いていました。

 

 

そうだ、サウナ行こう

 筆者の本を読んだことがない人には、「最初の1冊」として迷わずおすすめできる本書。もちろん、既刊を読んだことのある人であっても、きっと楽しく読めるはず。僕自身、幻冬舎plusのコラムはチェックできていなかったので、まとめて読めてよかった。

 少し話は逸れますが、仕事でも趣味でも生活でも、その人によって「合う・合わない(好き・嫌い)」はあって当然だと思う。でも同時に、忙しない日々のなかではその「合う・合わない」を見直す時間もなく、ただただ漫然と過ごしてしまっているようにも感じられる。

 漠然とした仕事への不満とか、どこか物足りない生活環境とか、「好き」の理由が言語化できない趣味だとか。多分、考える時間を設ければそれぞれ自明になってくるのだろうけれど、それも忙しさを理由に振り返ることができていない現状。……そして、次第に積もる、焦燥感。

 そんな人にこそ、この『ひきこもらない』がヒントになるのではないかしら。

 というのも本書では、個々のトピックと筆者自身の生活様式・活動について、その「理由」を明快にしている印象を受けたので。会社を辞めたのは “ずっとこの土地に住み続けなければいけない” のが嫌だったからであり、旅に求めるのは “単なる日常からの距離だけ” である、と。

 雑多なようでいて、それぞれにはっきりとした「理由」が紐づいている内容。ゆえに「自分もそうだ!」と腑に落ちるかもしれないし、逆に納得できない場合は「自分にとっての “理由” はなんだろう……?」と顧みるきっかけになるかもしれない。押しつけがましくないがゆえに、内省に結びつく。

 それすなわち、柔軟剤。

 ずっと同じ環境にいてこびりついてしまった匂いを落とし、凝り固まってしまった頭をふわふわ柔らかくしてくれる。意識高く、声高に成功を叫ぶビジネス本に疲れ切ってしまった人を癒やし、意識レベルを下げてくれる1冊です。とりあえず、今すぐにでもサウナに行きたい。おふろcafeまで足を伸ばそうかしら。

 

 結局は、旅で少しの非日常を体験しつつ、どこにもユートピアなんてないんだということを確認して、また日常に戻って、「やっぱりうちが一番落ち着くわー」とか言うしかないのだ。それを繰り返していくしかない。

 ただ、旅で一瞬だけ味わうことができる非日常のきらめきや、知らない街を歩いているときのワクワク感、旅からそういった気分を持ち帰ることで、また平凡な日常を少しだけやっていくことができる。そのために旅というものはあるのだろう。

 

 この本自体が、きっと「旅」のようなものなのでしょう。

 

 

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