充実した1日の最後は、体力をゼロにしてから家に帰りたい


 昨日はブロガーズフェスティバルに行ってきました。さすがに3回目ともなると慣れたもの──なんてことはまったくなく、懇親会ではいつもどおり隅っこのほうで小さくなっておりましたが。

 違った点を挙げるとすれば、食べそびれた昼食の分も空腹を満たすべく、例年以上にメシをかっこんでいたことくらい。数時間も集中して話を聞いたあとのメシのうまさよ……おっほー!

 今年も多くのブロガーさんのセッションを聞き、初めて会う人とお話することもできて、大大大満足の1日でございました。具体的な内容に関しては別の機会にまとめるとして、「とにかく、最高に良い1日だった!」と声を大にして言いたい所存。ありがとうございました。

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 で、そんな「良い1日」を過ごした日はなんとなくいつも、まっすぐ家に帰る気が起こらないんですよね。楽しかった1日を、そのまますぐ終わりにしてしまうのがどこかもったいなく感じて、ふらふらっと寄り道したくなる。

 僕だけかもしれないけれど。そんな話を、ちょろっと。

 

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ひとりぼっちでさまよいたい

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 楽しかった、おもしろかった、充実した時間を過ごした。──そういった充足感・満足感を強く覚えた日にかぎって、なんとなく「寄り道したい(しよう)」と夜の街を歩くようになったのは、多分、大学生くらいのころだったんじゃないかと思う。

 いわゆる「まだ帰りたくない」アピールではなく、自分の場合は「ひとりで寄り道したい」が基本。誰かを誘って飲み直すでもなく、いつもひとり、ふらっと夜の街に消えていくので、一部の友人は「なんかアイツやばくねえ?」と話していたとかなんとか。……否定できねえ(^q^)

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 時間にして、だいたい1〜2時間くらいかしら。飲み会やイベント後の1時間ちょっと、駅前をぶらぶらと気ままに歩いたり、あるいは駅から駅へ線路沿いを歩いたりするようなことが、学生時代に何度かあった。終電との兼ね合いはあるものの、結構遅くまでぶらついていた僕氏。

 その変な“癖”は社会人になってからも変わらず、会社の先輩方からも怪訝な目で見られていたかも。

 思い返してみると、入社当初は人見知りゆえの気まずさもあって、意識的にひとりで帰るようにしていたことは否めない。けれど、慣れてからもたびたびふらっとひとりで帰っていたので、苦手な人を避けることが主目的ではないと思う。……たぶん。きっと。おそらく。

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 ひとりで夜の街(道)へ繰り出し、具体的に何をしていたかと言えば、本当にただ“ぶらついていた”、それだけでござる。途中、居酒屋やバーに入るようなこともほぼなく、ただただ歩いていた格好。目的はなく、お金も使わず、ただただ体力ゲージが削られるのみ。

 例えば新宿だったら、歌舞伎町をあみだくじのように大久保方面へ歩いてみたり、逆に西口ビル群を見上げながら中央公園を目指してみたり。上野だったら、まだミニリュウの出ない不忍池をぐるっと一周してみたり。

 スタート地点によってはお散歩ついでに交通費を節約するべく、線路沿いを歩いて移動することもよくありました。距離にして、10kmが限度かな。

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 歩く街はさまざま、道もいろいろ。Googleマップさんは方角の確認程度にしか使わず、ぶらつくときは、いつも決まってひとりぼっち。だけど、その日が楽しい1日であればあったほど、最後はひとりでとっとこ、てちてちと歩きたくなるのです。不審者さんじゃないよ。

 夜道を歩く時はね、誰にも邪魔されず自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ、独りで静かで豊かで……。

 

眠る瞬間まで充足感を維持するための追い込み?脳の冷却タイム?

 どうして自分は、こんな不審者じみた行動をするようになったのだろう。いくつか思い至る理由はあるけれど、そもそもぶらつきたくなる前提としてある「良い1日だった!」という感情が大きな要因なんじゃないかと思いまして。

 これまた個人的な感覚でアレですが、「良い1日」を決める要素のひとつに、「気持ちよく眠りにつけるか」というポイントがあると思うんですよ。終わり良ければ全て良し、的な。

 嫌な出来事があれば、モヤモヤを抱えたまま布団に入ることになるし、家でぐうたら過ごして体力が有り余っている日は、寝つくのにちょっと時間がかかる。まあ眠ってしまえばあとは翌朝の目覚め次第だし、大きな問題ではないのだけれど……それでも、寝る前はポジティブでありたい。

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 その点、充足感を覚える出来事があった日はそれだけで「良い1日」ではあるのだけれど、そのまますぐ電車に乗って帰ろうとすると、途端にその感情がふっとなくなり、我に返ってしまうことがしばしばある。いつも変わらぬ電車の光景で、一瞬で日常に引き戻される感じ。

 と言うのも、電車に乗っている間にすることと言えば、スマホをいじるか、本を読むか──あるいは、寝るか。いずれも普段どおりの、それはそれで安定した活動ではあるものの、「良い1日」の感慨も何もあったもんじゃないんですよね。家に着くころには自然とその日の熱も覚めてしまう。

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 そこで、じゃあ「ぶらつく」ことで何か変化があるのかと言うと、2つの効果があるんじゃないかと自分では思っています。帰る前、目的なくぶらり歩くことで得られる、2つの効用。

 ひとつは、「疲労度」的な側面。夜の眠る数時間前に軽い運動=お散歩をすることによって、布団に入ってからの寝つきがよくなるんじゃないか──というもの。別にその日がどんな日だろうが当てはまるので、ここではオマケ的な効用に過ぎませんが。ちなみに、もちろん歩きすぎは逆効果。心地良い倦怠感を覚えるくらいがベストでござる。

 そしてもうひとつが、「脳の整理」的な側面。「良い1日」を過ごしたその帰り道、すぐに日常に戻るのではなく、その日の出来事を頭のなかで反芻する時間を設ける。ただ、電車内でぼーっと思い起こすのも手持ち無沙汰になるので、「歩く」という身体活動を伴わせる形。

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 イメージとしては、「良い1日」の熱に浮かされた頭を少しずつ冷ますことで、その日の記憶を適切な形にして(感覚的ではあるけれど)脳内に保存するような。

 そのまま電車に乗ることによって急速に“覚め”て記憶が消えるのを避け、夜風に当たりながら黙々とひとり歩き、徐々に“冷まし”て整理するイメージ……って、我ながら書いていてすごいふわっとした説明だけど。

 でもたしかに、過去に夜散歩した日を振り返ってみると、「こんな良いことがあった日の帰りにあの道を歩いた」というセットの形で記憶されており、ほかの出来事よりも強い印象で持って覚えている(ような気がする)ので、自分の感覚としてはまあ意味があるんじゃないかな、と。

 昔から忘れっぽいせいか、しっかりと覚えている思い出って少ないんですよね……。

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 そんな感じで、とりあえずそれっぽい“理由”を書き連ねてはみたけれど、実際のところは「夜道を歩くのが楽しい!(^q^)」という不審者然とした“癖”に過ぎないようにも思いまする。

 あるいは、「せっかくいろいろあった素敵な1日なんだから、最後まで体力を使い切るべ(^q^)」という、ある種のMOTTAINAI精神に端を発するのかも。──アレだ、RPGで、回復担当キャラの魔法が使用不能になるまでMPを使い切ってから宿屋に泊まる、的な。あれ? でもHPじゃなくMP?

 

 

 何はともあれ、夜道をぶらつこうが何をしようが、最高の1日を〆てくれるのはラーメンである。これだけは、声を大にして言いたかった。ごちそうさまでした。

 

 

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