いつもとは異なる視点でぶらり歩く街々


f:id:ornith:20160423220759j:plain

 原宿に行ってきました。特に目的はなく、なんとなく。

 

 ……いや、正確に言えば、いくつか気になるお店があったので、週末の混雑に乗じて店の外から内から様子をうかがい、何も買わずに帰ってくるという下見――もとい、ウィンドウショッピング的なサムシングをしてきたと言えなくもないのですが。

 そもそも僕にとっての「原宿」は、都内でもアウェイ感がいっとう強い街なのです。まったく住む世界が違うというか、オシャレすぎるというか、眩しいというか。それなら、池袋や新宿、上野の雑踏に紛れているほうが落ち着く。――でも、下北沢は大丈夫なんだよな……あれれ?

 で、先日たまたま『脱オタクファッションバイブル』なる本を読んでいたせいか、今日はそれとなーく、道行く人の「服」を見ながら歩いてみたんですよ。もちろん、すれ違う全員の頭頂部から足下まで隈なく見るなど無理なので、それとなーく全体像を俯瞰して見るような形で。

 そんななか、ちょっと考えたことをば。

 

普段、街中を歩くときって、何を見てる?

 まず、僕は自分のことを「アウトドア」な人間だとは思っていないけれど、日常的に「街歩き」をしている頻度で考えると、おそらく人並み以上には歩いているんじゃなかろうか……という自己評価がございます。

 主な交通手段は電車。ただし、東京都心に出てしまえばそのかぎりではなく、時間や体力さえ許せば、5km程度ならとっとこ歩いてしまうこともしばしば。交通費の節約になるし。ついでに運動にもなる。さらには気になるお店が見つけられるかもしれない。一石三鳥。わぁい。

 考えてみれば、生まれてこの方、自分ひとりでタクシーに乗ったことがない。誰か同行者がいるとき、年に1回乗るか乗らないか程度のもので、普段の生活だろうが旅先だろうが、タクシーを使おうと考えることはありませぬ。それなら、歩く。10kmまでならイケる。

f:id:ornith:20160423221329j:plain

 ――とまあタクシーの話は置いといて、普段からそのように「歩きがち」な僕ですが。その道中で何を考えているか、何を見ているかというのは、意外と意識したことがなかった。

 そりゃあもちろん、改まって考えないかぎりは、「僕はこれを見ながら歩くぞー!」なんて、普段から意識している人は少数派なんじゃなかろうか。強いて言うなら、風にはためいて見え……になるスカートとか、胸元だとか、そういった男のサガを刺激するポイントくらい? ……しょうがないじゃない! 男の子なんだもの!

 

 OTOKOのSAGAはともかく、自分はと言えば――特定の「モノ」を見ているというよりかは、「道」全体を俯瞰しているようなフシはあるかもしれない。

 道路表面に入っているヒビ割れに目が留まったりだとか、脇道までしっかり覗きこんでみるだとか、歩道と車道の間の縁石で反復横跳びをしてみたりだとか。特に「脇道」に関しては、常に視線を向けているような覚えがある。何かないかなー? ネコいないかなー? 的な感覚で。

 

「写真」を見れば、自分の「目線」がわかる?

 一方で思ったのが、こんなときに普段から「写真」を撮っていれば、自分の視点・目線がどこにあるか、それとなーくわかるんじゃないかしら、と。

 無目的に歩いただけのブログのお散歩記事を見ると、「建物」や「緑」が多く中心に据えられている……ように、見えなくもない。花々というよりは木々の「緑」、あとは「青空」を好んで切り取る傾向があるように感じる。

 そしてもうひとつは、やっぱり「道」かしら。「ぼくって、石段フェチの気があるんじゃ……」という記事を過去に書いたけれど、それもそのひとつ。石造りの階段とか、脇道に伸びる細い坂道とか、もっと単純に路地裏とか、そういった「道」は自分でも好きだな、と思うので。

 ともあれ、文字どおり、自分の興味関心を“映し出す”手段として、カメラあるいは写真の存在は大きいと感じたのでござった。あえてファインダー越しに覗き込んで景色を見ることで、再発見できる事柄もある――なんて、どこぞに書かれていたような気もしますが、そんな感じ。

 

意識的に「目線」を変えるための簡単な方法

 そこで、冒頭の話に戻るのです。今日はいつものように、単にぶらり歩くのではなく、道行く人の「服」をそれとなーく観察しながら散策してきたわけなのです。

 でもぶっちゃけ、わかったことは少ない……というか、もともとファッションの知識が貧弱なので、端的な感想しか持ち得ないのでござった。「あのジャケットかっくいいなー」とか、「あの人のシャツ、サイズがおかしい?」とか、「イカした着物だけど素材はポリだな……」とか。

 

 でもその一方でおもしろかったのが、そうやって他人の服――もとい外見全体に気を払うようになると、自然とその人の背景なんかも想像してしまうんですよね。ファッションスタイルは言語化できなくても、風貌や身だしなみを見て、あれこれと妄想はできる。

 そこまで行くと、いわゆる「人間観察の楽しみ方」的な話になりそうですが……。でも確かに、それぞれの街によって行き交う人の層はどこか違うし、平日休日、さらには時間帯によっても異なってくると思う。そういったポイントに注視して、共通項を探してみるのもおもしろそう。

f:id:ornith:20160423221927j:plain

 ここでは、僕自身が普段あまり意識しない、「服」という要素に注視した街歩きについて考えてみたけれど、当然、お散歩を楽しむポイントは多種多彩。例えば「同行者」の存在があれば、それだけで複数の目線から街歩きを楽しむことができるんですよね。

 新しいお店を目ざとく発見する人とか、怪しげな看板ばかり見つけて報告してくる人とか、においでいち早く飲食店を嗅ぎつける人とか、音だけで車の種類を聞き分ける人とか。同じ道を歩き、同じ景色を見ているようでいて、その人の目に見えているものは、意外にそれぞれ異なる。

 

 旅行など、なかなか遠出をする時間が取れない人にとっては、こうした考え方が刺激になることもあると思うのです。普段とは異なる「目線」から街を俯瞰することで、見慣れたはずの景色を、別の側面から楽しむこともできるのではないかと。

 職業柄、街中のデザインや広告が気になってしまう人の視点も、それを知らない人が話を聞けば、むちゃくちゃおもしろかったりするわけですし。そのように、各々が自由に切り取り、文章・写真・イラストとして可視化したモノが、時に価値あるコンテンツになる……のかも?

 

 

関連記事