ぐるりみち。

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小さな変化は足元から!休日は「歩く速さ」と「歩き方」を変えてみよう

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新しく履物が欲しくなったので、下駄を購入!かわいい!

 

 ゴールデンウィークも折り返し。晴れた日には車を運転したくなるけれど、レンタカーを借りれば高くつく。そもそも行楽地は混んでいる。そんなこんなで、電車で行ける近場をぶらぶらと歩きまわったりして過ごしております。

 その道中、ふと立ち寄った履物屋さんで下駄を買いました。考えてみれば、着物用の雪駄と夏用のスポーツサンダルはあれど、シンプルな「下駄」は持っていなかったので。何ヶ月か前、妹が二枚歯の下駄を買ってきたのを「いいなー」と羨ましがっていたこともあり、もう即決でござった。

 

 ファッションにはてんで関心のない自分だけど、新しいものを手にすればやっぱり気分は高揚するもので。ウキウキしながらポカポカ陽気の休日の街へと繰り出して、思ったことをば。

 

 

どうしてわざわざ不便な履き物を選ぶの?

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谷中銀座商店街前にて。にゃーん。

 

 着物で街中に繰り出すとき、雪駄を履いて外にでる場合もそうだけど、普段履きのスニーカーや革靴と比べると、雪駄や下駄はぶっちゃけ不便で仕方がないんですよ。特に自分のように歩く速度が速く、いまだに階段は一弾飛ばしでドヒューンと早足で移動する人にとっては。

 歩幅を広く取れば取るほど鼻緒が食い込むし、勢い良く早足で歩けば足にかかる負担も大きくなる。ちょっとでも走ろうものなら節々が痛くなることは想像に難くなく、満員電車で踏まれれば超痛い。上り階段なら一段飛ばしできなくもないけれど、下りは慎重にならざるを得ない。

 

 「移動」にフォーカスした実用面で見れば、雪駄も下駄も不便なことこの上なし。強いて言えば、「素足で開放感抜群!涼しい!」なんてメリットもあるけれど、「移動」に関しては動きづらいだけでござる。人によっては、「なんで好き好んで歩きづらい履き物を……」と思われていても、不思議じゃあない。

 もちろん、お祭りや花火大会といった夏の風物詩においてはその真価を発揮する。浴衣とセットで「俺は!夏を!満喫しているぞ!!」と自他ともに納得するような格好だし、神社の境内に立ち並ぶ屋台の中、耳にする“カランコロン”の音は心地良い。夏って……いいよね……(遠い目)

 

 とは言え、やっぱり「移動」の面で見ればデメリットしかないのもまた事実。慣れない足元は歩きづらく、最悪の場合には鼻緒が切れてさあ大変、なんてことにもなりかねない。たとえそうなっても、浴衣女子に「いった〜い!鼻緒切れちゃった……おぶって?(上目遣い)」なんて頼まれる青春イベントは発生しない。ときめきはメモらない!

 

足元から自然と変化する意識と「歩き方」

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川越。日本で唯一、現在も営業稼働中の屋上観覧車……らしい。

 

 しかし一方で、そうした「不便」は必ずしも悪いものだとも思わない。電車の運行休止に悪態をつきつつも、そうして辿った別のルートで思わぬ出会いがあったとか。バックアップを取っていなかった携帯電話のアドレス帳が消えて慌てている中で目に留まった、随分前に作った手書きの電話帳に懐かしい名前を見つけて連絡したとか。そんなことも、往々にしてあるのではないかしら。

 

 「履き物」に関しても同様で、雪駄や下駄を履けば自然と歩く速度は遅くなる。普段以上に時間に余裕を持った行動が求められるが、予定のない休日ならば急ぐ必要もない。のんべんだらり、のんのんびよりといきましょう。にゃんぱすー。

 そうやって歩みが遅くなれば、過ぎ去る景色の速度も遅くなり、視界は当然広くなる。いつもは通り過ぎるだけの看板が目に留まったり、周りを歩く人の顔や表情がわかるようになり、「あれ?この人、いつもこの辺でよく見かける人じゃね?」と気づきやすくなったり。

 

 些細な変化かもしれないけれど、そうした違いは、純粋に見ていておもしろいし、楽しい。こんな店があったのかーとか、いつの間にやら花壇の花が変わってるーとか、道端のこの木なんの木だっけ?とか。

 「夏の風物詩」として自分や周囲の人の認識を変えてくれる履き物は、普段使いとしても、また違った景色を見せてくれる存在なんじゃないかと、僕は思います。歩く速度が変わることで、見えてくるものもある。

 

“歩くような速さ”で歩いてみよう

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浅草。おなじみ雷門。

 

 仕事や勉強の場でもそうだけど、さまざまな物事に関して「視点を変える」ことの重要性はよく語られているものだ。もっと良い解決策はないか。他の人ならどう考えるか。本当に自分の主張は正しいのか。ある物事を考えるにあたっては、それをより良くするための比較検討の材料として、複数の視点が必要になってくる。

 とは言っても、誰も彼もが即座に「こういう考え方もあるぜ!」とゼロから別の視点を論理的に編み出すことはできないし、そもそも究極的には「客観視」なんてできないんじゃないかという意見もある。結局それは、「他人がそう考えているかもしれない」という想像でしかないのだから、と。

 

 だからこそ、そういった「考え方」の本はいつでも書店に並んでいるし、実際売れているんだろうと思います。このブログでも、『知的複眼思考法』が高い割合で買われているようなので。主観を排して別の視点を持つのは案外、難しい。

 

 その点において、「いつもどおり」を「違うもの」に変えるのは非常に効果的だと言われている。小さなことで言えば、仕事でプロセスを変えてみるとか、常連の店を使わずあえて違う店に足を運んでみるとか。「週末は旅行という名の非日常に癒やされる」なんてのもそうかも。

 そうすることで得られるのは、一口に言えば「そういうのもあるのか」という視点であり、大小さまざまな「変化」だ。「いつもと違う」はちょっと不安ではあるけれど、刺激になるし、楽しいことだってある。その「変化」の中には、いわゆる「別視点」も含まれているのではないかしら。

 

 ちっちゃな「変化」をもたらすために、まずは自分の行動から変えてみるのは初歩中の初歩。と言っても、半分は無意識的にやっているだろう普段の行動を急に変えるのも難しい。――そこで、「履き物」という一例、選択肢でございますよ!

 

 いつも当たり前に履いている「靴」を不便な「下駄」に変えるだけで、自ずと歩く速度は遅くなり、見える景色も変わってくる。ここまでは、先ほど書きました。

 さらに付け加えれば、普段はあまり意識しないようなことも自然と考えるようになる。「いつもはどういう感じで歩いてたっけなー」とか「足はむやみに上げない方が歩きやすそうだなー」とか「立ち止まっているときの重心はこうすりゃ楽かなー」とか。

 

 要するに、独りでに「歩き方」を考えるようになる。“ハウツー歩き方”なんて本を読まずとも、「“歩く”とはなんぞや」なんて改まらなくても、気づけば「歩く」ことを意識して、再確認することができるのです。これって意外と意識しないし、考え直してみるとおもしろい。

 言い換えれば、“歩くような速さで歩く”こと。「待ち合わせ場所へ急ぐ早足」ではなく、「デートの場で相手に合わせた歩調」でもなく、「歩くように歩くための歩き方」。文字にすると何言ってんだこいつ状態だけど、まあそんな変なことを漠然と考えておりました。歩きながら。

 

 多分、自分が好き好んで着物を着ようとするのも、そういった「意識の変化」が楽しいからなんだと思います。歩調も変われば、所作も身のこなしも変わる。それを「当たり前」にするほどまでは行かずとも、たまーの週末に身にまとうことで、「いつもの」とのすり合わせを行なっているような。そんな感じ。

 

 

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