1人でぼーっとお仕事をしたり、読書を読んだりしながら、長閑に過ごした週末。そこは、周囲をちびっ子が駆け巡り、ゴツいカメラを持った兄ちゃん&おじさまが行き交い、おしゃれマダムがオーホホホ! と談笑している代々木公園。
で、思ったんだけど……公園って、すごくね?
ここには夢がちゃんとある
はっきり言って、カメラを持って行かなかったことを後悔している。あいにくの曇天模様ではあったものの、「雨が降ってなければモーマンタイ」とでも言わんばかりに、日曜日の代々木公園はたくさんの人で溢れかえっておりました。大盛況でござる。
で、それだけ大勢の人がいると、各々が公園で「何をしているか」も当然のごとくバラバラなわけであります。「ベンチで読書をする青年」「ボール遊びをする親子」「お散歩中の老夫婦」などのパッと見でわかる人はもちろん、傍目には何をやっているかわからない人も。
そんな十人十色多種多彩な休日模様を見ていると、「世の中にはこんなにもさまざまな『休日』があるのか……」なんて、空を仰いでそれっぽいことを考えてしまうのでした。いや、だって、普段は周囲の人間の過ごし方なんて気にしませんですしおすし。
実際のところ、日曜お昼の数時間でどんな人たちが確認できたかと言えば。
- 毛並み抜群のスラっとした美犬を引き連れた、壮年の外国人夫婦
- 四畳半ほどのシートにびっちりと円陣を組んで座り、密談するお姉さんたち
- 肩を組んで池の淵ギリギリまでダッシュして遊ぶ、数人の大人と大勢の子供
- キレッキレの踊りを披露する制服の女の子を、ノーパソ片手に撮影する男の子
- 急に駈け出したと思えば、芝生上ででんぐり返ってバイバイバイを繰り出す少年
- 複数のカメラマンに囲まれて、水辺のベンチでポーズを取る美人さん
- 漕いできた自転車を水辺に停め、絶妙な角度から池と一緒に撮影するお兄さん
- 木々に囲まれた中心の空間、木漏れ日の下でバイオリンを弾くナイスミドル
- 遊歩道から離れた隅っこのベンチでギターを抱えて弾き語るおじちゃん
- 台本を片手に掛け合い、台詞の微調整を繰り返す演劇グループ
- 練習用和太鼓に向かい、数十分ぶっ続けでバチを振るうパフォーマー集団
- 数十人という大所帯で鳴子を打ち鳴らし練習に励む、よさこい軍団
こんな感じ。まだまだ出てくる。というか、この人たちだけでひとつのイベントが開催できそうな面々なんですが。
ついでに人間だけじゃなく、動物も水辺でキャッキャウフフしているのが見れて、すんごい和んだ。カラスが水をごくごく飲んでいるシーンが、清涼飲料水のCMに使えそうなレベルで美味しそうに見えてびっくり。あと、他のカラスに口移しもしてた。
(´-`).。oO(カラスって、水浴びするんだな……水辺でパシャパシャしていてかわいい)
— けいろー (@Y_Yoshimune) 2015, 9月 13
なんちゅーか、あまりの公園の自由っぷりとカオスっぷりに、子供の頃には当たり前だった「遊び方」を思い出したような感覚。別にモノがなくたって存分に休日を楽しむことはできるし、過ごし方はひとつだけじゃあないんやで、と。当然っちゃ当然ですが。
そんなこんなで今日は、“週末・2連休自由形”の“泳ぎ方”を、公園で過ごすいろいろな人たちの休日模様から学ばせていただいた格好です。あと関係ないけれど、外人さんの“写真好き”っぷりがしゅごい。どこでも何に対してもカメラ&スマホを構えておったでよ。
パッケージされていない「私の休日」
※5月の代々木公園。
当たり前と言えば、当たり前の光景。
休日の過ごし方なんて人それぞれであって当然にも関わらず、どうして今更「休日の公園」に新鮮さを覚えたのかと考えてみると……。どうも最近は、「パッケージ化されたコンテンツ」に慣れきってしまっていたから、なのかもしれない。
日頃からネットに触れて情報収集をしていると、目に入る「休日の過ごし方」の多くも、どうしても“誰かが過ごした休日”だったり、“誰かがオススメする休日”になっちゃうんですよね。……いや、まあ、自分の経験談でない以上、そりゃあそうなりますよね、はい。
言い換えれば、“誰かが過ごした休日”を参考に、追体験することによって得られる感動や経験、情報や知識はもちろんあるのだけれど、その大部分は予測範囲内のものでしかない、とも。「なるほど、こいつは確かに言うだけある」みたいな。――それはそれで、また楽しいのですが。
他方では、特に最適化された「コンテンツ」として「過ごし方」が詳細に書かれていればいるほど、その“体験”を予習することになってしまうという見方も。
“ぼくのかんがえた、さいきょーのきゅうじつ”を伝えようとし、実際に伝われば伝わるほど、相手がそれを体験する際の感動が小さくなってしまう……かもしれない。考えすぎかしら?
そういったことを考えていると、思い出されるのは『弱いつながり』の言説。
本書で「新しい検索ワードを探せ」という表現で繰り返しているのは、要は「統計的な最適とか考えないで偶然に身を曝せ」というメッセージです。最適なパッケージを吟味したうえで選ぶ人生、それは、ネット書店のリコメンデーションにしたがって本を買い続ける行為です。外れはないかもしれませんが、出会いもありません。リアル書店でなんとなく目についたから買う、そういう偶然性に身を曝したほうがよほど読書経験は豊かになります。
(東浩紀『弱いつながり 検索ワードを探す旅』より)
もちろん、先ほど書いたような公園に来ている人たちだって、大多数は目的を持って足を運んでいるのでしょう。音楽・演技の練習だとか、写真撮影だとか、家族サービスだとか。各々が予定どおりに動いているという意味では、なんら変わったものではございませぬ。
でも、その活動場所を“いろいろな人たち”が一挙に集う「公園」に定めれば、何かしらの「偶然」が起こりやすくなるのではないか、と。そこにいる「人」との出会いやすれ違いがあるかもしれないし、そこにある「自然」から新たな発見や気づきがあるかもしれない。──そう、カラスはかわいいのです。
というわけで、特にオチも何も考えずに書き始めたので、この辺で。とりあえず……アレだ、そんな感じでカラスの魅力を教えてくれる代々木公園へ、よかったら行ってみてはいかがでしょう?