『ちょっと今から仕事やめてくる』選ぶべきは、社畜か、死か、ヤマモトか。


 会社勤めしていたころを思い出した。上司の理不尽と、意外と楽しい営業活動と、仕事のちょっとした達成感と……大失敗。自分の場合はいい上司に恵まれたから良かったものの、本作の主人公のような状態だったらどうなっていたかはわからない。ゆえに他人事とは思えない。

 これからの新生活。仕事や人間関係で失敗したり、理不尽を被ったり、耐え切れず挫けそうになることもあるでしょう。そんなときに元気をくれるかもしれないのが、第21回電撃小説大賞で<メディアワークス文庫賞>を受賞した本作、『ちょっと今から仕事やめてくる』です。

 

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青く無我夢中な「社会人1年目あるある」

 本書の主人公は、「その辺にいそうな最近の若者」として描かれているように見える。ちょっとヒネたところがあり、上司に対して独り言で毒づきはするものの、根は真面目。プライドは高く外部からの揺さぶりに弱いが、やるときはやる。そんな人間だ。

 彼をそのままコピーしたような人間はいないにしても、自分が社会人1年目として四苦八苦していたころを振り返ってみると、彼に共感できる部分は少なからずあったように思う。「若かったなー」「青かったなー」みたいな。まだ20代だけど。

「本当に出来る人間っていうのは、どんな環境にいてもできるんだよ。社会に出てから一番重要なのは、体力でも、我慢強さでもない。頭のよさだ。どんな人とでもやっていける適応能力だ。要は『人間力』がある奴が一番強いってこと」

 就職活動中の主人公の台詞ですが……なんとまあむず痒くなりますね。主人公自身も文中で自らに「馬鹿野郎!」と叱責しているように、このような “それっぽい” 物言いは無意味でしかない。社会の理不尽さと自分の無力さに気付かされた途端、薄っぺらい知ったかぶりだったことに気付かされて、頭を抱えるのです。はっはっは。……はぁ。

 

 本書はそんな「過去の自分」にも見える主人公が無気力と停滞感に苛まれ、駅のホームから線路に飛び込もうとした瞬間を、ある男に救われるところから物語が始まる。

 

 主人公を助けた “ヤマモト” と名乗る関西弁の男は、どうやら小学校時代の同級生らしい。彼に元気づけられ奮起した主人公は仕事も前向きに頑張るようになり、プライベートでも2人は意気投合して仲良くなる。

 しかし、本物の同級生は海外滞在中で、実は赤の他人だったことが判明。どういうこっちゃねん……と調べたところ浮かび上がってきたのは、 “ヤマモト” は3年前に勤め先で自殺しているという事実。ますますもってどういうこっちゃねん。と思ったら主人公の仕事の雲行きがおかしくなってきて──という話。

 つらたん。

 

社畜 or Dead ...... or ... ?

 仕事でも何でもそうだと思うけれど、目の前に複数あったはずの選択肢が見えなくなってきたことが自覚できたら、それは間違いなく危険信号だ。

 会社で役立たずと罵られようが他の場所では活躍できるかもしれないし、どれだけ自分の無力感を悟ったところで必要としてくれる人はいるはずだし、周囲からどんなに全否定されようと、自ら命を絶つ理由にはならない。見えづらいだけで、実は選択肢はいくらでもある。

 しかし、徹底的に追い込まれ心を挫かれると、それ以外の選択肢が見えなくなってしまう。会社に居場所がない。どこに行っても邪魔者扱いされる。自分はクソみたいな人間だ。──それなら、いなくなっちゃったって、いいじゃないか、と。

 本作の主人公もそのように精神をやられ、あわや……という寸前まで堕ちかける。センセーショナル過ぎない程度に、表現を選んでその過程を描いているように読めたけれど、まったくありえない話じゃないところがまた恐ろしい。職場の閉鎖性は、時にマイナスにしか働かない場合もある。

 この物語では、そうして追い込まれた先で、さらに選択肢を奪われるような状況にまで事態が展開する。「どうにかなる」まで耐え忍び働くか、自ら「いなくなる」か。その2択が、1択に。そうなってしまえば、自分ではもう止めようがない。選ぶしかない。

 ──外部から、別の「選択肢」が舞い込んでこないかぎりは。

 

“ヤマモト”という選択肢

 「選択肢は多いほうがいい」なんて言うこともあるけれど、それも時と場合によりけりだ。あまりに多すぎる選択肢をすべて比較検討するのは難しいし、とにもかくにも忙しい現代人にとって、そのような選別にかける時間は惜しいもの。

 そう、物事はシンプルな方がわかりやすい。
 白か黒か。本物か偽物か。正義か悪か。
 ──生か、死か。

 時間がなければないほど、余裕がなくなればなくなるほど、追い込まれれば追い込まれるほどに人間の視野は狭くなり、複数あるはずの「選択肢」から目を閉ざしてしまう。決めつけてしまう。それしかないんだ、と。そうするしかないんだ、と。だから冷静な周りからすれば、「どうしてそうしちゃったんだよ!」とツッコみたくもなってもおかしくはない。

 

 閉ざされた視界を広げるには、誰かが外部から意図的に働きかけるしかない。トントン、と肩を叩いて振り向かせてくれる存在が必要だ。そして、本作でその役回りを果たしているのが、まさしくこの “ヤマモト” なのです。

 

 読んでいておもしろいな、と思ったのが、その「気づかせる」役になっているのが身近な家族や友人ではなく、序盤から「正体不明」の存在として描かれている人間であること。ろくに自分のことを知りもしない人間(?)が、重大な役回りを担っているんですよね。

 捉えようによっては、詳しく知らない相手のことだからこそ肩を叩くことができたとも読めるし、ちょっとしたきっかけや刺激で意識の方向を変えることができる、と示しているようにも見える。さらには、その働きかける外部の存在は、必ずしも人間である必要はない、とも*1

 いずれにせよ、現代には “ヤマモト” の存在が必要不可欠なのは間違いない。それは身近な人間かもしれないし、偶然出会った他人かもしれないし、自分の時間を意識させてくれる趣味かもしれない。

 言い換えれば、選択肢。あるいは、別視点、外部基準──なんでもいいけれど、一箇所に自分の思考や思想、存在そのものを縛られるのは怖すぎる。それを回避するための代案として、いつも側に “ヤマモト” を意識しておいてもいいんじゃないかな。

 

 さくっと読める文量。
 明瞭かつ読みやすい文章。
 作品に込められたメッセージも単純明快。

 

 だけどきっと、大切なことを思い出させてくれる作品です。

 

※余談:意図的かどうかはわかりませんが、会社との決別のシーンで、もう一人のキーパーソンであるようにも見える「先輩」の表情を描写していないのはズルいなー、と。「どちらの意味」にも受け取ることができるため、それこそ“物事はシンプルじゃない”ことの証左となっているように読めました。

 

 

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*1:これは文中で明確に否定されているようにも読めますが。