クリスマス生まれの僕と、サンタさんの話


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きっと君(サンタ)は来ない
ひとりきりのクリスマス・イブ

 

年に一度の記念日

 12月は一年の最後の月。年末イベントあり、冬休みあり、そしてクリスマスと自分の誕生日ありと、とってもとっても大切な月でした。

 

 ――そう、僕はクリスマス生まれの男の子(過去形)
 それゆえ、人並み以上にサンタさんに憧れ、その存在を信じてきました。

 

 小学校高学年にもなると「えぇ?まだサンタとか信じてんのぉ?www」とバカにされることもありましたが、それでも僕は、ずっとずっと信じてきました。

 なぜなら、サンタさんはいつも、僕の希望通りのプレゼントをくれたから。12月1日から24日まで毎晩欠かさずベランダに出て、「ポケモンの金か銀、どっちかをください!」とお願いし続けたら、クリスマスの朝には金と銀の両方が枕元にあったから(ちょろい)

 良い子にしていれば、辛いことがあっても我慢をしていれば、親にも先生にも文句を言わず模範生としてあり続ければ、一年の終わりにおっきなおっきなプレゼントをくれる存在。それが、僕にとってのサンタさん。12月25日は唯一、願いが叶う大切な日。

 

 ずっと、ずうっと、それが僕の毎年の楽しみでした。

 

いつか終わる夢

 ちょっとだけ成長した僕は、中学生になりました。

 

 中学にも入ると身体に変化も現れ始め、声も変わり、成長痛を抱え、ヒゲも生えるようになってきます。口周りを無精ヒゲでチクチクさせながらも、それでも僕はサンタさんを信じ続けていました。

 

 そして迎えた、中学2年生のクリスマス。

 

 クラスの女子がお化粧をするようになり、男子はJ-POPや洋楽の知識量を競ってみたり、不真面目っぽさを見せてカッコつけたりしている中、それでも僕はサンタさんを待っていました。厨二病は発症してたけど。

 12月24日の夜、わくわくしながらも眠りにつき、その翌朝。目覚まし時計の音に飛び起きて目を向けてみたところ、枕元にプレゼントの存在を確認しました。

 

 ……ほうら。ね、やっぱりサンタさんはいるじゃないか!
 信じていれば夢は本当になるんだ。今年は何をくれたのかな。

 

 期待に目を輝かせながら包装を解いたその中には――。

 

 

 

 カミソリが入っていました。

 

 

 

※イメージ

 

 

 

 瞬間、確信した。
 この世には、神もサンタもいないと。

 

 そこにあるのは、我が子の身だしなみを整えさせようとする親の思惑だけだ、と。

 

 袋の中身を見つめて固まる無垢な僕。
 そこに、起きてきた母親。

 

 「あー、そろそろ必要かと思ったから、それでいいよねー?」と何の疑問も持たずに話しかけてきたカーチャンに対して、「うん! ありがとう!」と咄嗟に返すことができた点は褒めてあげたい。内心、ものっそい動揺していたにも関わらず。よくやった、僕よ。

 

 ――薄々、わかってはいたのです。
 神も、仏も、サンタもいないのだと。

 

 だって、赤いお鼻のトナカイさんなんて日本じゃ見たことないし、空飛ぶソリなんてのも聞いたことないし、あんなにふくよかでたくましい白ヒゲのおっさんが夜な夜な「Ho Ho Ho!」なんて高笑いしながら徘徊していたら怖すぎる。日本の警察はそこまで無能じゃない。

 

 それでも、ぼくは……!
 ……それでも! ぼくはあぁぁぁああぁぁぁぁぁッ!!!!

 

 ――そして僕は、反抗期を迎えないまま、大人になりました。

 

偶像としての「サンタ」に夢を見る

 成人した今は、もちろん知っています。

 

 もともとはニコラスとかニコラと呼ばれる聖人の伝承が由来だとされているとか、実際に子供たちのため世界的に活動を行なっている協会があるとか、季節商品としてマーケティングに使われがちとか、女の子がコスプレするとやたら可愛く見えるとか。ぼく、トナカイ!踏んでください!

 

 大人になって知った「サンタ」はイメージとは違ったけれど、それでも彼が存在することは間違いないと、今は考えています。

 魔獣を連れ、空を駆け、煙突から夜な夜な民家に侵入する、ファンタジックな存在としての「サンタクロース」は存在せずとも、子供に夢を与える「サンタさん」は紛れもなく存在するのだと。

 

 「サンタ」として活動する団体はもちろん、幼稚園の劇などでサンタを演じる園長先生とか、街中でプロモーションとして寒空の下がんばっているどこかの社員さんとか、師走の百貨店で子供のためにおもちゃを選ぶお父さんお母さんとか。

 その一人一人が「サンタさん」であることは疑いようがなく、子供に夢を与えるという意味では、少年時代に夢見たその姿と何ら変わるものではありません(ファンタジー要素は除く)。

 

 もしくは、こう考えたっていい。
 きっと、サンタクロース社会にも事情があるのだと。

 

 住宅環境の変化によって煙突から家に入れなくなったサンタさんが、「魔法を使って鍵を開けて〜」といった形で説明されることになったように、日本社会の変化によって、プレゼント配達の事情が変わってしまったのかもしれません。

 僕の場合、中学生になって、我が家のルートを担当するサンタさんが異動になったとか(多くの企業で、営業員のルート変更はよくあること)

 あるいは、あまりに子供の望むものを与えすぎるサンタ業界に対して、「甘やかすな!」と親世代からクレームが入ったとか(「クレーマー社会」とは散々叫ばれてきましたが、その矛先がサンタ社会にまで!)

 

 そう考えると、まったくもって生きづらい世の中ですね。
 これもぜんぶ、妖怪のせいだ。

 

 

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