「つまらなかった、運動会!」
「「「運動会!!」」」
「面倒だった、合唱コンクール!」
「「「合唱コンクール!!」」」
とても運動神経抜群とは言えず、むしろ体育の時間は隅っこで目立たないように気配を消すように努めている……そんな子供だった僕は、運動会がそこまで好きじゃない。球技があったら最悪。チーム戦とかマジで勘弁して下さい……。
大きな学校行事と言えば、文化祭や音楽祭などもありますね。
文化祭は中学校以降のものだとしても、小中学校で“合唱コンクール”的な行事があるところは多いはず。「ちょっと男子ぃ、まじめにやってよぉ〜」なんて、おなじみの光景ですね、はい。ぼぼぼぼくは真面目にやってたし! 音痴だけど!!
そんな諸々の「学校行事」の思い出・自分語りと、思うことについて。
スポンサーリンク
足を引っ張るまいと必死だった、運動会
体育は、苦手です。
体力テストの結果は、軒並み平均以下。ソフトボール投げとか、周りからめっさ見られてるし、ぜんっぜん飛ばないし、苦痛でしかなかった記憶ががががが。
あ、でも、20mシャトルランと反復横跳びはよかった。シャトルランは、6年生で転入した小学校で初めてやったんだけど、 “運動できない組” で1人だけ最後まで残ってて、鼻高々だった。どうして運動会の種目にないんや! もしくは反復横跳びなら、ヒーローになれたのに。たぶん。
そうは言っても、運動全般は苦手な僕。
サッカー、バスケなど、集団球技の時間は最悪でした。
動かないと突っ込まれるし、必死に頑張っても「余計なことすんな!」と罵声が飛ぶし。その結果、「いかにしてこぼれ球が飛んできそうな位置を見極めてカバーし、拾ったらどれだけ早くうまい人にパスを回せるか」というスキルだけは磨けたような気がする。
運動会も、同じ。
運動能力に置いてクラスの下層に属する自分がするべきは、とにかく「足を引っ張らない」こと。なるべく苦手な競技には関わらないようにして、人並みの成果は出せる短中距離や、「運」の要素が強い種目に入れるように自己申告。借り物競争はジャスティス。
「運動会・体育祭の思い出って何があったっけ……」と考えて思い浮かぶのは、アレっすよ。女子のおっπ。機能性に優れ、しかも、目で見て楽しめる体操服、すばらしい。たまらん。あ、石を投げるのはやめてくださいすみませんごめんなさいだってそれくらいしか楽しみががががg
それと、昔っから音楽が好きだった僕は、各種目で流れるBGMに集中して、一人、勝手に楽しんでいたような思い出も。定番曲はもちろんクラシックなんだけど、たまーにゲーム音楽やサントラ曲が聞こえてくると、一人で興奮してた。うひょー。
運動会は、おっπと音楽。うむ、文化的だ。
無難に過ごした、文化祭
中学時代の文化祭の思い出は、まったく思い出せない。たぶん、末端で雑用やら何やらをこなしていた程度で、自分が自発的に何かに取り組んだ、ということはなかったんでしょう。覚えていないのなら、嫌な思い出もなかったのかな。それはそれで。
高校時代は男子校ということも手伝ったのか、遠慮も揉め事も少なく、自然な格好で行事に参加し、それなりに楽しんでいたような記憶があります。
というか、生徒会の中でも有志のような立ち位置にいたり、所属していた演奏団体(バンドなんてリア充っぽいものではない)の練習が忙しくて、クラスの出し物に関してはちょこちょこ手伝っていたくらいだったかしら。当日は、全力を尽くしたけど。だって、
わざわざ! 男子校の! 文化祭に!
カップルで来るとか! 喧嘩売ってんだろおい!
そんな感情でクラス全員が一丸となって、全身全霊で恐怖を味あわせてやったぜ(※お化け屋敷)。あまりに気合と怨念を込めた結果、女の子に接近しすぎて、「ああ…良い匂いがする……」なんて、ヘブン状態になってた友人がいたけれど。犯罪スレスレじゃね?
僕は、「壁」をやってました。全力で。
女性と男子が険悪になる、音楽祭
小学校の「合唱コンクール」は、まだみんな真剣に取り組んでいたはずだけれど、中学に入ると、面倒になるんだよね。主に男子、体育祭で全力を出していた層が。そうなると、お約束の「男子!真面目にやってよ!」が発動されるのだけれど、もちろん効果は薄い。
で、真面目過ぎる女の子なんかが、「どうしてやってくれないの……」と涙目になったりしちゃうんだけど、「なんで俺らが……」と男子は男子で真剣に参加する理由がないし、かったるいし、意味不明だし。
それがいざこざに発展すると、僕のような、外野というか、流されるだけの傍観者勢は「早く帰りたい……」となって、ついには先生が召喚され、「おいこら男子!学校行事なんだから真剣にやれ!」とお叱りを受けるのです。ぐぬぬ……。
……ってあれ ?これ、誰も得してなくね?
最初から最後まで険悪なクラスもありましたが、終わりよければ何とやら。他方では、賞を取ったり、イベント後特有の「やりきった!」感があったりで、「結構良かったじゃん」な空気になる場合もあったので、行事としては悪くないの……かも?
付け加えるとすれば、誰も得していないように見えても、何かしら良い効果はあるっぽいんですよ。
あとで知ったんだけど、険悪な状態のクラスを取り持とうとした音楽祭の中心人物、すなわち、伴奏者(女子)と指揮者(男子)がそれぞれ男子と女子をまとめようとしたり、共に練習に励んだりする中で、親しくなって──という話。
ちくしょう! 青春じゃないか!!(血涙)
学校行事が「全員参加」である必要性
こうして見ると、少なくとも中学・高校の「体育祭」と「音楽祭」に関しては、全員参加である必要性はないんじゃないかな、というようにも思えます。
希望者のみの参加にするか、あるいは、いずれかの選択制か。苦手意識や反感を持つ生徒を無理に参加させるからいざこざが起こるのであって、彼らには何の楽しみもメリットもない。それをきっかけに、いじめへと発展する場合だってあるでしょうし。
「多感な中学生の時期に、そのような行事で集団行動を学ぶ必要がある」という話も分からなくはないのですが、それなら、例えば「文化祭」オンリーでもいいんじゃないかと。
なぜ「文化祭」に限って全員参加にするのかと言えば、「何をするか」についてある程度は生徒の自由が認められ、なおかつ、それが学外に開かれたイベントであるため。
クラスの出し物は強制だとしても、クラス内で決めることができるし、一人一人の役割も極端には大きくならないはず。それ以外、ステージイベントなどについては、参加するもしないも自由だし、見る側で楽しむことだってできる。
そして、それが学外に開かれた、地域のイベントである点。「身内」でない他人に見せることを前提とすれば、動機付けにもなるし、それこそ地域交流、社会勉強にもなる。今はどうか分からないけれど、体育祭や音楽祭って、基本は生徒と保護者、関係者のみの行事、だよね?
もちろん、「文化祭が一番かったるい」っていう人だっているでしょうし、一概には言えませんが。ただ、現在主流の学校行事を調整しようとするのなら、こんな形にするのもありなんじゃないかしら(※門外漢の個人による勝手な印象です)。
とは言え、運動が苦手で一部競技は苦痛でしかなかった僕でも、それなりに体育祭は楽しめていたし、終始グダグダだった音楽祭も、終わった後に配られるCDで振り返ってみれば、浮かんでくる思い出もそれなりにはあるのよね。思い出補正って、こわい。
振り返ってみると、学校側が学校行事で考えるべきは、集団行動の中で、生徒一人一人が楽しめるような行事作りをすることなのかもしれない。
実際、運動会の競技種目なんかは、運動が苦手な子に向けた工夫をしているような学校もあるようですし。今となって考えてみれば、僕が転校して回った4つの小学校でも、それぞれ種目に個性があったような気がする。
──なんて、希望を外野が語るのは簡単ですが、そうするとまた、ただでさえ多忙な先生方の負担がさらに増えるんですよね……。やっぱり、選択制にするのが手っ取り早いのかな。そもそも、「理不尽を経験させるべきか否か」論みたいなのもありそう。ごちゃごちゃ。