ぐるりみち。

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毎日を楽しく生きるコツ!人生を豊かにする「ハム太郎メソッド」

 「その日のことは、その日のうちに」なんて言葉をしばしば耳にする。

 というのも、僕らの頭はまっこと都合よくできている。物事を後回し後回しにしてしまえば、「できない」ことの責任を過去の自分や他人をなすりつけてしまうことができるのだ。

 けれど、それはあまり好ましい考え方とは言えない。そうならないためには、「1日」をひとつの区切りとして振り返り、日頃から整理する習慣を持つ必要があると思う。そのうえで日々を楽しく過ごすためには、どのように考えればいいのだろう。

 

「つまらない日常」なんて言うけれど

 僕らは変わらない毎日を送っているように見えて、その1日1日には意外とたくさんの要素が詰まっている。

 朝起きて、いつものルートで出勤して、暗くなるまで働いて、帰宅して、眠るだけ。 “それだけ” と言えるかもしれないけれど、細分化して見ると……どうだろうか。

 端から見ればルーチンワークでしかなく、自分でも「代わり映えのない1日」と感じている日々。しかし、その過程には複数の小さな選択があり、実際に起こした行動があり、結果として得られた経験がある。

 僕らの日々は、そのような積み重ねによって成り立っている。朝ごはんは何を食べようとか、今日はどのネクタイをしていこうとか、仕事の進捗状況が芳しくないから残業しようとか、ビールは週末まで控えてノンアルコールで我慢しようとか。そんな、小さな選択の集合体。

 

 だから、その日々を「つまらない」と感じるのであれば単純な話、「楽しくなりそう」な選択を選んでみればいい。いつもと違う選択肢をチョイスしてみればいい。

 ──ほら、ロールプレイングゲームやアドベンチャーゲームやエ口ゲーだと、「選択肢」が表示されることがあるじゃないですか。「はい」「いいえ」なんて単純なものから、ルート分岐に関係のある、重要な複数の選択肢まで。

 そのなかでも個人的に好きなのが、よく一番下に出てくる、アホみたいな選択肢。制作側のおふざけだったり、ギャグだったりするやつ。

 普通なら「はい」「いいえ」の二択のところに、なぜか「磯野ー! 野球しようぜ―!」みたいなのが紛れ込んでるという、空気が読めない感じのアレ。僕は、あの手の遊び心が大好きなのです。良い場面、真面目な場面をぶち壊す感じがたまらないのだ。>そっとしておこう

 

 そう考えると、そのように「敢えていつもと違うことをしてみる」という考えは、退屈な日々を気軽にぶち壊す選択肢となりうるものだと思う。

 とりあえず、いろいろやってみればいいのです。周囲に迷惑をかけず、自分が深い傷を負わない程度に。たとえば、「ある朝、馬のかぶりものをして出勤したら即座にクビになった」なんて、そんなことにはなかなかならないでしょう。……ないで、しょう?(震え声)

 

「いつもどおり」を選択した結果

 この考え方に沿うと、「つまらない日常」ですらも自分自身の選択の結果だと言うことができる。 “いつもどおり” に “何もしない” を「選択」し続けていることでもたらされる結果。「A」か「B」かだけではなく、「何もしない」もまたひとつの選択肢。

 おそらく、仕事に忙殺されている人や精神的に余裕のない人などは、自然とこの「何もしない(いつもどおり)」を選ばざるを得ない状況にあるんじゃないかと思う。

 とにかく足を動かして前に歩くことに精一杯で、ほかの道=選択肢がまったく目に入っていない状態。目に入るどころか、思いつくことすらできていないのかもしれない。だからこそ、 “いつもどおり” を続けるしかない。そうするしかない。

 

 この状態は、端から見ると結構怖いものがある。その歩いている場所が整備された道のりで、将来もずっと安泰だと確信できるものならいい。そこでわざわざリスクを犯す必要もないはず。

 しかし、しっかりと舗装された道を歩いていたはずが、いつの間にか底なし沼に足を踏み入れいてた──なんてこともないとは限らない。一見すると平らな道だけれど、実は両脇は崖になっていて、一歩踏み外したら終わり──ということだってあるかもしれない。

 

 自分の進む道が安全かどうかは、実際のところ、自分自身にはよくわからない場合が大多数なのではないかと思う。客観的に助言してくれる人間が周囲にいればいいけれど、第三者の意見すらも本当かどうかはわからない。

 結局、一度は大なり小なり危ない目に合わないと、危機感を実感することは難しいないのかもしれない。あるいは、過去に足を踏み外してしまった人や、自分で別の道に逸れることを選んだ人の経験を聞くとか。他人の失敗談は、自分にとっても重要な参考となるように思う。

 

「振り返り」と「整理」

 自分の進む道の上で、いつ、何が起こるかはわからない。目に見える障害物がどーん! と待ち構えているかもしれないし、目に見えない落とし穴が仕掛けられている可能性だって十二分にある。

 その道を極めるのであれば、障害物は乗り越えるものだし、落とし穴は飛び越えるもの。時間をかけてよじ登るも良し、一度落ちて、何とかして這い上がるも良し。そうすることによって得られるのが、いわゆる「スキル」「成長」というものなんだろう。

 

 他方では、「どうしようもない障害は回避してしまう」という選択肢もある。ぐるっと迂回したうえで元の道に戻っても良いし、諦めて別の道を進んだって良い。

 僕らの生活に限って言えば、選択肢は多ければ多いほど豊かに見えるし、何か大きな問題が起こった時の対策・保険となり得ると思う。多くの食材を扱う店があり、あるいは食品店自体の数が多ければ、日々の食事の栄養の偏りやマンネリ化を防ぎやすい──というように。

 リスクを分散し選択肢を増やすための方法として、「情報量」はひとつの大切な要素となる。ただ、それは外部の環境からもたらされるものであるため、情報源を失った場合には代替手段を見つけるのが難しくなるという懸念もある。

 

 そこで自ら選択肢を生み出すための考え方として、実生活の「振り返り」「整理」はとても良い方法なのではないかと思う。──ここでようやく、冒頭の話に戻ります。

 「その日のことは、その日のうちに」。その日の出来事を見直し振り返ることは、ある意味で「別の選択肢」を生み出そうとする作業でもあるのではないかしら。

 

 たとえば、「今日はこういうことがあった」というその日の出来事に対して、「その結果、こうなった」という「事実」を振り返りつつ、「こういうこともできたんじゃないか?」と「IF」を考えてみる。

 過去の「もし」「たら」「れば」を考えることについては、あまり良くない印象を持っている人もいるかもしれない。起こってしまったことを悔やんで、そうはならなかった幻の「可能性」を考えたところで、どうにもならないじゃないか──と。

 

 それが何年も前の昔の出来事であれば、そのとおりかもしれない。けれど、短いスパンで「その日」のことを振り返るのであれば、まだ言い訳がましくならず、素直に受け入れることができるのではないかしら。

 単純な話、素直に「ああすれば良かったかも……」と振り返る作業は、「次」に活かしやすい。「今日はこうだったから明日はこうしよう!」というように、選択の幅を広げることにつながる。「今日は松屋だったから、明日は吉野家だ!」みたいな。……それは違うか。

 

日々を楽しく過ごすためのハム太郎メソッド

 というわけで、これを『とっとこハム太郎』の人間側の主人公、ロコちゃん*1の台詞に合わせて、「ハム太郎メソッド」と名付けよう。そうしよう。──正確には「ロコちゃんメソッド」だけど、こまけぇこたぁいいんだよ!

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とっとこハム太郎 第1話「とっとこ登場!ハム太郎 」後編 - YouTube」より

「今日はとっても楽しかったね。明日はもっと楽しくなるよ。ね、ハム太郎!」

 

 アニメの『ハム太郎』はいつもこのロコちゃんの台詞で終わり、エンディングにつながるのがお約束。

 その日の気分で「もっと」が「も〜っと」になったり、「今日はちょっと……」的なノリの回もあった記憶があるけれど、基本的には「明日は楽しくなるよ!」でまとめる。ポジティブシンキングは大切だ。ブッダもそう言っている。へけっ!

 

 ──そう。つまりロコちゃんは、寝る前にその1日を「振り返る」習慣を持つことで、常に「明日」のことを前向きに考え、日々を楽しく生きているのだ。そして、そのための手段として「日記」を用いているという特徴もある。

 日記の効用はいろいろなところで説明されているけれど、「あとで振り返ることができる」点以上に、「その日の出来事・感情・考えを形としてアウトプットする」ことに意義があるのではないかと、僕は考えています。

 

 所詮は文字や絵なので、その瞬間の感情を100%正確に切り取ることはできない。けれど、自分のなかで感覚として覚えている「記憶」と比べれば、圧倒的に再現性が高く、まだ生の状態に近い「感情」として残すことができるのではないかしら。

 「思い出」や「体験」といったものは、それが実際にあったもの、その身を持って経験したものとして記憶することはできても、その瞬間の具体的な感情まで含めてずっと残しておくことはできない。覚えられるとしても、せいぜい「感動した」とか「怒っていた」とか、その程度のものだ。

 

 そこで、それを文字として形にすれば、曖昧な記憶に具体性が付与され、あとで振り返ったときにもその瞬間に抱いた感情を思い起こしやすくなるのではないだろうか。

 

 「こういうことがあったから、感動した」と出来事と感情を結びつけたうえで、「そのとき、こうも思った」とか「一緒にいた友達はこうしていた」という付属情報を加える。そうすることで、より実感の伴った「経験」として形に残すことができ、自分のなかにも「記憶」として刻みこまれる。

 さらに、その「記録」としての「記憶」に「未来」のことまで付け加えれば、その道のプロであるロコちゃんを超えることもできそうだ。「明日はこういうふうにすれば楽しくなるよねっ!」と具体性を持たせることで、未来のモチベーションにつながる格好。きっと、ハム太郎も「せやな!」と答えてくれるはず。まいどくん*2じゃないよ。

 

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「今日はとっても楽しかったね。明日はもっと楽しくなるよ。ね、ダンボー!」

 

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|●▲●| < しらんがな

 

 

 

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