2014年4月21日は、「ゲームボーイ」が発売して25周年に当たる日だったそうですね。なんてこった。2日も遅れてしまった。1989年と言えば、僕が生まれた年でもあります。ゲームボーイから遅れること8ヶ月、東京のちっさな病院で、おんぎゃあとこの世に生を受けました。
そういった面でも思うところのあるゲームボーイをはじめ、テレビゲームと自分とのこれまでのお付き合いについて、ざっくりとまとめてみました。
※ここでの「テレビゲーム」は、広義としての“ゲーム”、据え置き型、携帯型などを含めたものになります。
はし゛めての ケ゛ーム
ぼくと「ゲーム」の出会いは、幼稚園の頃。
ある日、会社から帰ってきた父ちゃんを「おかえりにゃしゃーい!」と玄関まで迎えに行くと、何やら見慣れぬ紙袋を持っている。なんぞそれ?と問いかけると、「これは ケ゛ームた゛ きさまに くれてやる」とのこと。な、なんだってー!
げーむ!!
幼いながら、そんなものがあるとは知っていた。なんか、ぴこぴこと音が鳴って、画面の中のキャラを自分で操作して遊べる、ちっちゃな箱型のこんぴゅーたー。
今、考えると、周りの友達の家にもあったんだろうけど、基本的には外でひゃっはー!と遊びまわっているような少年だったので、実際に触れたことはなかった。そんなぼくも!ついに!げーむであそべるというのか!きゃー!おやじかっこいー!
私のおとうさんがくれた初めてのゲーム。それは『スーパーマリオランド』で、私は6才でした。その内容は楽しくスリリングで、こんな素晴らしいゲームをもらえる私は、きっと特別な存在なのだと感じました。今では、私がおとうs*1
ちなみにこのゲーム、小学校高学年に上がるくらいまでは持っていたような記憶があるけれど、結局、クリアできずに売りました。
小学生の子供には難易度高くねっすか? ……え? そんなことない? デュフフww某、あ、アクションはににに苦手でしてなwwwwヌルコポォwwww
スーファミは神器
その後、ソフトは『ワリオランド』や『星のカービィ2』を増やし、ポチポチとゲームボーイを楽しんでおりました。もっと先、中学に入ると「ゲーム音楽」全般にハマることになるのですが、その初恋はこのころに触れた『星のカービィ2』の曲だったかと。グリーングリーンズ*2が原点。
そして小学校に入学し、しばらくしたころ。うろ覚えだけど、確かスイミングスクールで良い成績をとれたか何かで、父親が「なんでも買ってやるぞー!」と言ってくれたんだと思う。既にカービィの魅力に取り憑かれていたぼくは、迷わずあの名作をお願いしたのです。
『星のカービィ スーパーデラックス』。テレビでは繰り返しあのCM、「カービィちゃん♪ カービィちゃん♪ スーパーデラックス、カービィちゃん♪」が流れていたこともあって、その存在を知ってしまっていた。
テレビの大画面で! カラフルなゲームができる! ただ、「スーパーファミコン」本体はいいお値段なこともあって、おねだりにおねだりを重ねて、確か、他にも条件を出されて、それもクリアして、ようやっと買ってもらったんだと思う。
その感動は、今でも覚えている。ちっちゃなゲーム屋さんで、店員さんから箱を受け取って、車まで引きずりながら持っていった重みを覚えている。家に着いて、説明書とにらめっこしながらテレビに赤白黄のコードを繋いで、スイッチオン。からふるだああああ!
その後、スーファミ本体を売ることになる中学生になるまで、何百回と見ることになる、「Nintendo」と「HALKEN」の文字。ぼくの少年時代は、カービィと共にありました。間違いなく、今までで最もクリア回数の多いゲーム。
ピコーン♪
テロテロテロテロタタッタッターンタタッタッタターン
パラッパンパララパラッパパラパラパラララン♪
パラッパンパララパラッパパラパラパラララン♪
パラッパンパララパラッパンパラッパン
っっっタン♪
0% 0% 0%*3
スーファミでハマったゲームとしては、『スーパードンキーコング』『スーパーボンバーマン』『スーパーマリオコレクション』『スーパーマリオワールド』などのアクション系シリーズに始まり、『スーパーマリオRPG』『聖剣伝説2』などのRPGも多少は。
ちなみに、RPGの2作品は、ゲーム音楽としてもハマることに。中学生に入って、外での行動範囲が広がり、初めて買いに走ったサウンドトラックは『聖剣』だし、『マリオRPG』で知った下村陽子*4さんの楽曲は、今も大好きだ。
“このおれさまが せかいで いちばん! つよいって ことなんだよ!”
今現在(24歳)に至るまでファンであり続けることになる、『ポケットモンスター』シリーズと出会うことになるのは、小学4年生の時。正確には、1年生の頃には友達の家でプレイさせてもらっているし、アニメも毎週見ていたのだけれど、ソフトは持っていなかった。
ピカ版のタケシ戦は鬼門。
誕生日に買ってもらったのが、ピカチュウバージョン。ヒトカゲが好きなのに、ピカチュウ一択とかないすわー……と思ってたら、ストーリー上で御三家が全て手に入ってびっくりした記憶が。ピカ版マジ最高っす。あ、ピカチュウはスタメンでした。ボックスの。
放課後は友達同士で公園に集まって、通信ケーブルを繋いで対戦していた思い出。通信ケーブルと、充電池の予備を持っている人は神認定されていました。うらやま。対戦ゲーだと、その後は『ドラゴンクエストモンスターズ』が大流行したなあ。
『ポケモン』は本当に大好きで、新作が出れば必ず買ってきた。金銀が出たときなんかは、あまりに欲しすぎて欲しすぎて、12月1日から毎晩、ベランダに出てサンタさんにお願いしていたくらい。25日朝、枕元には、金と銀が両方ありました。ありがとうサンタさん!!
で、現在は廃人予備軍。ポケモン友達は減ったし、プレイする時間も減ったけど、やるときは個体値厳選します。それ以上は語るまい。マンダのりゅうせいぐんはつよい*5。
放課後は◯◯んち集合な!コントローラー忘れんなよ!
小学校高学年当時と言えば、「NINTENDO64」の全盛期。学校が終わると、みんなそれぞれ家へダッシュ。自分のコントローラーを引っ掴んで、決まっている友達の家に集合。熱い対戦の始まりだ―!
『大乱闘スマッシュブラザーズ』『マリオカート64』『カスタムロボ』『マリオパーティ』などは鉄板。あとはやっぱり、『ゴールデンアイ 007』。最近も、友達の家に集まっては、Wii版をプレイしつつバカ騒ぎをしております。色褪せないなー。
個人的には、後に出た『パーフェクトダーク』の方が武器もステージも多くて好きなんだけど、意外とメジャーじゃないのかしら?ラップトップガン愛してる。あと、ファーサイトでサーチとか。狙い撃つぜ!テンポよく復活場所にセンサー爆弾を設置していくの十八番です。
携帯ゲームの通信機能にせよ、64の4人対戦にせよ、僕らの世代にとっての「ゲーム」は、間違いなく、友達との間での重要なコミュニケーション手段だった。特に、転校の多かった僕*6にとっては、ゲームの話題のおかげですぐに友達を作れたと言っても過言ではない。
もちろん、毎日のようにゲームをしていたわけではなく、学校の校庭でサッカーをしたり、公園で缶蹴りをしたり、外で遊ぶことも多かった。ゲームはあくまで「数ある遊びのひとつ」に過ぎず、それがコミュニケーションの全てだったというわけではありませんが。
そんな、複数人で頻繁にゲームをしていたのも、小学校を卒業するまで。中学に入ると、メインは1人でプレイするRPGに移行していくことになります。
RPGの世界と、ゲーム音楽の魅力
ここまで、びっくりするほど任天堂のゲーム機しか出てこなかった。僕が他メーカーのゲーム機に触れることになるのは、中学に入ってから。と言っても、プレイステーションとワンダースワンくらい。セガサターン?ドリームキャスト?知らない子ですね……。
日本のRPGと言えば、『ファイナルファンタジー』あるいは『ドラゴンクエスト』。ドラクエは小学生の頃にハマっていたが(ただしモンスターズ)、FFはからっきし。初めてのFFは、なんとⅧでした。
CGやべー!戦闘かっけー!と、そこそこ楽しんではいたのですが、結局、クリアには至らず。なんか、機械っぽいボスが出てくる辺りで断念したような記憶が。むしろ、音楽の方にハマってた。「The Man with the Machine Gun」のかっこよさは異常。ラグナ編のアレ。
どうしてやめてしまったのかというと、戦闘が冗長で飽きてきた……というのもあるけれど、友達に借りた別のゲームに夢中になってしまったことが大きい。不朽の名作、『テイルズ オブ ファンタジア』。しかも、なぜかゲームボーイアドバンス版という。
きーすきーすきーす♪なオープニング。クラースさんマジイケメン。
GBA版は戦闘のテンポも悪いし、ついでにOPもないしで、ファンからはひっじょーに評判が悪いのだけれど、それが初めてだった僕にはどこ吹く風。何の違和感もなくハマっておりました。
後にプレステ版もプレイして、「ゲームにオープニングアニメと歌があるうううう!!」と超興奮した覚えがある。隣町までCD探しに行ったよ。パッケージが細長いの。
この辺りの、高品質のRPGに触れ始めたことで、小学生時代からのゲーム音楽好きが加速する。サントラを借りにTSUTAYAへ通い、ネットではアレンジをあさり、いろいろな楽曲を聴きまくった。
この「音」を重視した作品選びが、後にオタク路線へと進むことを決定づけるのですが。HAHAHA。「鳥の詩」との出会いは全てを変えました(真顔)*7
カルチャーとして、コンテンツとして、コミュニケーション手段として
その後は、前述の楽曲の影響でギャルゲーに手を伸ばす事となり、サウンドノベルへ移行し、物語重視の「読み物」としてのゲームにハマることになったり、音ゲーに手を出したり、ネトゲーに病みつきになったりもするのですが。
ゲームをなぜプレイするのか、と問われれば、単純に「楽しいから」というのが一番にはくるけれど、それだけではないようにも思う。キャラクターを操作して進めるのが好きであると同時に、そこにある「物語」と「音楽」、その両者が、僕にとっては重大な要素となっていました。
物語と音楽には、ただコントローラーを握って操作するだけのゲーム、言い換えれば作業でしかないものに、強いわくわく感を与える力がある。
この先どうなるのかという期待。好きなキャラが死んでしまえばショックを受けるし、エンディングでは感動させられる。ここぞという時にかっこいい曲が流れれば、むちゃくちゃ燃え上がる。ゲームの音楽は、その場面場面と常にセットで記憶されているものだ。
僕の中で、何よりも強く印象に残っているデモムービーがひとつありまして。それまでは全く知らなかったゲームなのに、ムービーを見ただけで心惹かれ、購入にまで踏み切ることになった作品。
日本ファルコムの、『イースⅥ -ナピシュテムの匣-』。デモムービーをゲーム屋さんで見て、当時の中二心をくすぐられたのか……は分からないけれど、釘付けになるほどには魅力的だったんだろう。
動画と音楽の融合と、そこに付随するゲームのストーリー。そんな複数の要素がうまい具合に組み合わさり、しかも魅力的に感じられた。動画+音楽と言えば、FLASHアニメなどもあったが、その後のMADムービー好きを決定づけることとなったのは、これだと思う。このムービーと、ゲームとの出会いは、大きな衝撃を伴うものだった。
かたや、「所詮、ゲームは娯楽で、無意味なもの」だと言う大人もいる。一面的には、それも真実なのだと思う。何の生産性もなく、ただ時間を浪費するだけの暇つぶし。まったく、間違ってはいない。
けれど、そんな無価値で無意味なゲームに対して、自分なりの価値や意味を見出している人だって、少なからずいるんじゃないかしら。クリアした時の達成感。感動するストーリー。癒される音楽。などなど。
僕にとっての価値は、「物語」と「音楽」なのだと思う。そして、ゲームの中でそれら物語や音楽が当たり前の要素として組み込まれるようになるまでには、過去の多くのゲームソフト抜きにはありえなかったものだとも。それは紛れもない文化であり、歴史だ。
小学生時代は、友達とのコミュニケーション手段として。中学校時代は、心惹かれるコンテンツとして。その後も、様々な価値観を提供してくれるカルチャーとして。テレビゲームは、常に僕の側にあるものだった。
それによって失われたものもあるだろうし、親にもあまり良い顔をされるものではなかった。けれど、ゲーム抜きには知り得なかった世界や、繋がることのなかった友人関係もある。だから、大人になった今も、「所詮はただのゲームだろ」なんて言うことはできないし、否定するつもりもない。
まったくコアなゲーマーではない、ちょいちょいと有名どころの作品に触れただけの僕ですら、ゲームにはこのような感情を抱いているので、それこそ、プレイヤーの数だけゲームの「価値」があり、思い入れのある作品もあるんだと思う。
いつか、完全にゲームを「卒業」する時がくるのかもしれない。けれど、それまでは、あの色鮮やかな電子の世界に浸って、画面の向こうの世界を想い続けたいのです。