たくさんの「知らなくてもいい」ことの上で、社会はまわっている


 読みました。僕は文系大学卒の20代男ですが、確かに「OSにお金を払ったこと」はありません。PCを買い替えるときに変わっているものであって、僕自身もその周囲の知り合いも、自らOSのみを買うような印象は持っていない模様。

 とは言え、テレビに出ているアナウンサーさんが、関連する情報を知らず、うっかり見当違いの発言をしてしまうのは確かに、知っている人からすれば失笑ものだと思う。

 でも、それだけだ。「ハァ?」くらいには思っても、人の神経を逆なでするほどのものではなかったんじゃないでしょうか。ただし、これが不特定多数の人に不快感を与える内容、例えば、差別問題などだった場合は、不勉強を責められても仕方がないと思う。

 でも考えてみると、僕らは思った以上に、「知らないこと」を「当たり前」のものとして認識し、生活している。それは、社会のシステムだったり、身近な道具の仕組みだったり。果たしてそれらは、どこまでが「知るべき」ことで、どこまでが「知らなくてもいい」ことなんだろう。

 

知識の大半は、知らないでも生きていける

 自慢じゃないが、僕はかなりの常識知らずだ。

 会社を辞めるまでは雇用保険の存在すら知らなかったし、今でも諸々の保険については漠然としか分からない。料金振込と口座の操作でしか銀行には行かないし、郵便局に足を運ぶのも1年に1回あるかないかだ。

 パソコンがどうやって動いているのかも知らないし、スピーカーがどうやって音を出しているのかも分からない。自分の着ている服が作られる過程も見たことがないし、流行がいかにして決められているのかも知りえない。おいしい野菜の選び方も知らないし、遺伝子組み換え作物がどのように作られるのかも分からない。

 前半、お金に関する話題は、知っていても損しない、というか知らないと損をする知識だとは思うけれど、その他の大半は、たとえ知らなくとも、社会生活を送るにあたって支障を来すようなものではない。

 自分が構造や動かし方を知らなくても、飛行機は飛ぶし、電車は走る。その作り方を知らずとも、洋服や食品は店舗で買うことができる。お金を払えばネットには繋がるし、相手がどこの誰か分からなくても、話すことはできるし、誹謗中傷を浴びせることだってできる。

 物事の多くは、知らなくても、全く問題はない。

 

「常識」という名の、知らなければならないこと

 しかし、「みんなが知っていて当たり前」であるとして、知らない人は容赦なく責められることもある、そんな知識がある。それが、「常識」と呼ばれるもの。

 一口に「常識」と言っても実に様々だ。口に出すまでもなく、本当に誰もが知っているような共通認識から、「社会人なら当たり前だろ?」と強いられる一般常識、一部の界隈でしか通用しないローカルルールなど多岐に渡っており、環境によっても、求められる知識は変わってくる。

 僕らは、人間がいつか死ぬことを知っているし、どうやって生まれてくるかも、知識としては理解している。営業先へはスーツ姿で向かわなければならないことも知っているし、上座や下座といった上下関係のマナーも分かる。Twitterではフォロー、リフォローするのに了解を得る必要はないし、ラーメン二郎ではロットを乱すべからず、といったことだって知っている。

 「常識」こそが正義であるかのように語る人は、どこにだっている。しかし、その多くは、「そこにいる多数派がそうあるべきと推奨している共通認識」なんじゃないだろうか。

 けれど、その「常識」に抗うのは、そこでうまく立ち回るに当たっては得策ではないし、知らずにいることもまた、罪であるとして罰せられる。だからこそ、常識は、知らなければならない。

 全ての物事に関する「常識」は、そのコミュニティによって別のものであるという前提は、意識しておく必要があると思う。

 

 「それはおかしいだろ、常識的に考えて……」と言ったところで、「は?どこの常識だよ」と複数人に突っ込まれてしまえば、もう為す術もない。そこではそれが「常識」であることを受け入れるか、「常識破り」に挑戦するか。いずれにせよ、「自分の世界の『常識』が絶対である」という思い込みは危険だろう。

誰かの信じる「普通」や「常識」は、他の誰かにとってそうではない - ぐるりみち。

 

「知らない」ことで損をするか否か

 人は、物事の多くは知らなくても、普通に生活していく分には問題ない。しかし一方では、知らなければ責め立てられ、そこから排斥すらされる恐れのある、知るべきこと=常識もある。

 「知るべき」ことと、「知らないでもいい」こと。両者の区別に基準を設けるとしたら、まず、「損をするかしないか」がひとつの区分になると思う。

 「常識」は、知らなければ仲間はずれにされる可能性があるし、保険や貯蓄などのお金に関する知識は、知っておけば節約に繋げることができる点、知らなければ損だとも言える。

 なので、自分がそれを知ることで何かがプラスになるのであれば、学べばいい。逆に、知らないことで何かがマイナスになる場合も、学んだ方がいい。

 また、自分が損をすることに納得する、もしくは、それが大きな損だと考えていないのなら、無理に知ろうとする必要もないと思う。金銭的に余裕があり、お金まわりのことはあまり気にならないのなら、知らずとも生きている。食に関心がないのなら、おいしい店やおいしい食品の選び方を知るよりも、安く買う方法を学べばいい。

 全てを知ることはできないのだから、どこかで取捨選択をする必要が出てくる。むしろ、無意識に取捨選択をしてきた結果が、今の生活にたどり着いているんだと思う。

 今、問題なく生活ができているのなら、特にどうこうする必要はない。なんでも「知らなきゃ!」と意識高く動きまわるのは、結構疲れるし。それよりは、そんな日々の生活の中で「困った」ことや「失敗した」ことを思い返して、それをなくすべく、それだけを「知ろう」とすればいいんじゃないだろうか。

 

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