各所で大きな話題となっている本件。個人ブログでも多くの方が取り上げており、既に語り尽くされた感はありますが……自分なりにもちょっと考えてみようと思う。
ブチ切れている人、やっぱりと頷く人、興味を持ったから聴いてみようという人。ネットでの反応を見ていると、今回の件を受けて、多くの人が何らかのアクションを起こしている。そのような中、僕が感じたのは、これを機に、広い意味での「作品」について考えるきっかけとなればいいな、というものです。
音楽や絵画といった芸術作品に限らず、小説や漫画、アニメなど、僕らは日々、数多くの作品を「消費」している。単純にそれを、娯楽として楽しむのも悪くはない。けれど、自分がその作品の何に惹かれ、楽しみ、そしてどこに価値を求めているのか。
それを考えたからといって、何かが変わるとは限らない。が、意識することによって、自分が「作品」を楽しむ上での参考になったり、新しい視点を持ったりすることにも繋がるのではないだろうか。
作品に「価値」を見出すのは消費者
今回の件に関して言えば、げきおこ状態になっている人たちの感想としては、「騙された!」というものだろう。
彼らの間には、「耳が聞こえない作曲家のつくった楽曲」という前提が共有されている。楽曲の背景にはそのような「物語」が存在し、ゆえに感動させられていたファンの人たちが、その前提を覆されて憤っているという格好だ。
僕自身は、彼の曲を耳にして、「良い曲だなー」くらいの感想を持った上で、後に「聴覚障害の作曲家」という情報を知った。それを聞いて「すげえ!」とは思ったけれど、もともと楽曲自体に「いいね!」という感想を抱いていたこともあって、その「物語」は後付けの、価値の補強的なものでしかなかったと思う。
言うまでもないが、芸術や文芸、どのような分野の作品においても、どこに価値を見出すかは、人によって千差万別だ。
漫画を読んで、「この躍動感溢れる作画がすばらしい」という人もいれば、「伏線の張り方、ストーリー構成が秀逸」という人もいるし、「キャラが最高にかわいいですぞwww◯◯たんハァハァ……ギュフフwwww」なんて人もいる。全裸のフィギュアが16億円で落札されるような例もありましたね*1。
ひとつの楽曲にも無数の物語がある
ひとつ、具体的な例を挙げてみませう。“しょこたん”こと、中川翔子さんの歌う「happily ever after」という楽曲がある。
この曲は、彼女の3枚目のシングルで、紅白歌合戦でも歌われた『空色デイズ』のカップリング曲だ。あまり目立たないとされるカップリング曲だが、かなり人気のある曲で、人によって違う感想を持っているのもおもしろい。
例えば、しょこたんファンの友達に聞くと、こんな感想が返ってきた。
「え?ハピエバ?ギザ最高っすわー!空色デイズより好きよwww」
彼の場合は、「大好きなしょこたんの歌う楽曲のひとつ」として好みであり、そこに価値を見出していると言える。それ以外の要素は、特にない。
一方、アニメ好きの友達に聞くと、こうなる。
「もう神!神だよあの歌は!グレラガ11話な!主人公の覚醒曲として、くっそ熱い展開の最中に流れて、しかも歌詞が泣けるっていうね!!ギガドリr」
彼女の場合は、「アニメの挿入歌」という前提があり、アニメにおける使用場面や歌詞といった点に価値を見出している。前述の彼のように「しょこたんの歌」という前提はなく、さほど歌手には重点が置かれていないことが分かる。ところで、「グレラガ*2」って略し方はメジャーなんでせうか。
他には、歌詞とその背景の物語に価値を感じる人も。この曲の作詞を担当した、meg rockこと日向めぐみさんが、若くして亡くなった、ユニットの相方である岡崎律子さんを想って書いた歌詞であるらしい、という点。もちろん、作曲家が好きな人もいる。
このように、ひとつの楽曲に関しても、様々な感想、そして想いがある。音楽に限らず、上に挙げた漫画のようなツッコミ方もあるし、文芸作品に関して言えば、作家論や作品論といった捉え方も存在する*3。
外からもたらされる付加価値と、内から現れる物語
僕らは日頃から、数多くの「物語」を消費している。本来、ひとつの作品について語ろうとするならば、付加要素でしかないはずの物語。しかし、それを最も大切な「価値」として考え、消費している人は意外と多い。冒頭の件での反応を見ても、それは明らかだ。
どこに価値を見出すかは人それぞれ。その点に文句を言うつもりはない。けれど、今回の件で、そんな、後で外から付け加えられた付加価値が、実は非常に不確かなものであるということが露呈してしまった。
自分が、作品のどこに魅力を感じているのか。どのような価値を見出しているのか。そして、何を求めているのか。本件をきっかけとして、普段はあまり意識していないそれらを考え直してみるのも悪くはないんじゃないだろうか。
また、音楽に関しては、そこにアーティスト自身の物語などの付加要素が加えやすい一方で、人それぞれの「固有の物語」を生み出しやすいようにも思う。ある曲を聴いた時の場所、環境、精神状態、人間関係などは人によってばらばらであり、耳で聴く音楽は、その瞬間の体験が、音楽とセットの経験として記憶に残りやすい。
例えば、失恋した時に聴いていた曲。新生活の不安でいっぱいだった時の曲。友達とドライブに行く時にいつも流れていた曲。幼い頃に親と聴いた思い出の曲。などなど。
これらは全て、自分たちの内から現れてくる物語だ。そこには、その人固有の経験と、作品=楽曲との繋がりがある。それをひとつの大きな「価値」として、大切にしていくのもいいと思う。
また、逆に、大勢で似通った価値を共有するような音楽もある。小学生の時に運動会で踊った曲、中学時代に流行った曲、高校のバンドで演奏した曲など、それらは、同じ世代や仲間との間で、共通の価値観のものとして共有されるものだ。月日が流れて、久しぶりに再会したような時にも、同じような気持ちで語り合える作品。そのような価値観は、ずっと大切にしていけるんじゃないかしら。
先日も、「変わらない作品が僕らに教えてくれるもの」的な記事を書いたけれど、作品と人との関係性を考えてみることはおもしろい。他人とひとつの作品について語ることも楽しい。作品の持つ「物語」を見ていると、それに騙されたり、失望したりすることもあるけれど、その感情すら大切にして、作品との関係を大切にしていけたらいいな、と思う。