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ぐるりみち。

日々日々、めぐって、遠まわり。

【月初雑話】ぐだぐだと続けているブログが1000記事を超えたので、ジャンル別に自薦記事をまとめてみた

ダンボー ポメラ

 塵も積もれば、なんとやら。

 特に専門分野もない、“個人の日記レベル”の文字列に過ぎない弊ブログですが、ふと振り返ってみれば、もう3年も書き続けているらしい。……暇なの? 暇人なの? パソコンに向かっているその時間、もっと別の生産性のある活動に使えないの?(生産性のある活動、とは)

 まあ、大半は好きでやっている趣味みたいなもんですし、ここ最近は本当に好き勝手に書きたいものが書けているので、楽しけりゃあそれでよかろうもん。

 あまりに自由すぎて、コメントもツッコミも入りづらくなっている気がしなくもないけど……べ、別に寂しくないし。「オ◯ニー楽しい!」と叫びながらブログを書けるようになったら一人前だって、ばっちゃも言ってた。はてブやTwitterでコメントくれる方、いつもありがとうございます。

 

ブログ 1000記事突破

 で、管理画面を見てみたら、4桁の投稿数がこんにちは。よくもまあ、これだけ続いたもんですわい。ひとつの記事の文字数が2,000〜6,000字程度のはずなので……何文字くらい書いたんだろう……。ぼく、さんすうはにがてなんです……(そっと目を逸らす)

 ともかく桁が増えたとあれば、良い機会なので、過去記事をかるーく振り返ってみようかと思いまして。……というか、さすがに1,000も超えると自分でも全記事の把握は不可能。ワケがわからない。「おすすめ記事」をピックアップする必要性に迫られているような気がした。

 そんなこんなで、本記事ではこのブログ「ぐるりみち。」の過去記事のなかから、個人的に思い入れのある・印象に残っている記事を、ジャンル別にまとめてみました。目立った4つのカテゴリーから各10本、計40記事を振り返ってみた格好。よかったら読んでちょ。

 

インターネット

平成生まれの僕が見てきたインターネットの世界(リンク

 ちょうど3年前の記事。自分のブログについて話す際には毎度のように挙げている、代表記事。「インターネットは楽しい!」を自分なりに表現し振り返ったら、こんなんなりました。だいたいFLASHのせい。次に二次創作小説。加えて同人音楽。そして、エ口でネットリテラシーを育んできた。

 

「半年ROMってろ」が僕らに教えてくれたこと(リンク

 「昔の2chはよかった!」「2chのおかげで今の私があります!」と肯定的に捉えるつもりはないけれど、あるネットコミュニティにおける“お約束”の存在が、少なからず「ネットの使い方」を教えてくれた側面はあるのではないかと。そのひとつとして、「半年ROMってろ」の話。

 

ネットの三大原則「知らない」「伝わらない」「関わらない」(リンク

 上記記事と関連して、自分なりにネットの使い方を考えてみた……のだったと思う。改めて読み返してみると、なかなかにふんわりとした書き口。今はちょっと同意できない部分もあるものの、前提としての「伝わらない」ことの意識は、今も何より重要なポイントだと思います。

 

ネット炎上10周年を前に考えた「炎上」を避ける7つの考え方(リンク

 2005年の「きんもーっ☆」事件から10年ということで、「炎上」についてあれこれと書いてみた記事。昨年の時点で「“炎上”の意味が変わってない?」と書いていたようですが、最近はさらに多義を含んでいるような……。「バズ=炎上」あるいは「ネガコメ=炎上」のイコール表現とか。

 

個人ブログとして、読者さんに「選択肢」を提供したい(リンク

  2年前時点での、自分の「ブログ」に対するスタンス。わかりやすい評価軸としてのPV数・収益が重視されがちな一方で、それは大手メディアやアフィリエイトブログの指標なんじゃ……? とも。どうあがいても勝てないし。それならむしろ、誰とも知れない「誰か」に届くものを書きたい。

 

「批判」できる人に憧れるだけの人生だった (リンク

  ブックマークコメントをはじめ、たとえ短文でも筋の通った批判を展開している人が比較的多い――というのが、自分の「はてな」のイメージ。そういった人たちに憧れつつも、自分には知識も論理的思考力もないため、ネットの片隅で「好き」を叫ぶしかないのです。らーぶらーぶ。

 

ネットコミュニケーションで「句点」を使わないのはどうして?(リンク

 割と時代性のある、ネットにおける文章表現・コミュニケーションの話。ここでは「句点がないと、会話っぽくて読みやすい(親しみがわく)よね!」といった形でまとめていますが、結局はケースバイケースな気もする。親しんできた文化圏による違い?

 

ネットの文章に人柄は出る?〜文字本位の人間として生きていく(リンク

 リアルで付き合いのある相手から、「文章がお前っぽい」と言われると嬉しい。ネット上で絡んでいる相手とリアルで対面して、「文章の雰囲気に近い」と言われても嬉しい。ネット上の文体が、リアル人格とほぼイコールの存在として承認欲求を満たしてくれている、自分の話。

 

「ひさしぶり。はじめまして。」(リンク

 上の記事と関連して、ネットでのやり取りからオフ会に発展した際の独特のコミュニケーション(?)について。それを踏まえて、相手の“顔が見えない”ネット上での立ちまわり方に関しても、それとなーく書いてみた記事。

 

インターネットに疲れたら、別のインターネットを探しに行こう(リンク

 特定のサービスを使い、決まったユーザーと話してばかりだと忘れがちだけど、今も昔も「インターネット」の世界は広大だ。疲れたときには、ふらっと別のネットを探しに行くのも楽しいと思う。そうすることで初めて、自分の間違いあるいは強みに気づくこともあるのでは。

 

読書・文章

「読書」の方法と「文章力」を考える、2015年に読んだ8冊の本(リンク

 「そういや去年は読書論と文章本をたくさん読んだな……」と年明けに思い立ち、それまでとは少し異なる形でまとめ記事にしてみたもの。どちらかと言えば、自分のためのアウトプットになった気がする。過去の感想記事を引用するのではなく、改めて自分なりに要約してみた。

 

「本棚の10冊で自分を表現する」と、こうなった(リンク

 翌2015年、こちらは、Twitterで話題になっていたハッシュタグに便乗したもの。他にも数多くのブロガーさんが“表現”していて、見て回るのが楽しかった覚えが。秋になると、この手の本・読書系のネタが流行る傾向にあるのかな……?

 

忙しい人のための読書記録方法〜Evernote、読書メーター、ブログ(リンク

 自分が実践している「読書記録」の方法について。 感想の再利用という点で読書メーターは重宝するし、複数媒体で記録することによって、ある種の文章力も養われるんじゃないかと思ってます。短文による「要約」と、ブログでの「書評」は別物ですしね。

 

インプットの基礎としての「○○でやったところだ!」の積み重ね(リンク

 『乱読のセレンディピティ』っぽさがあるけれど、それとは別に「進研ゼミのマンガ」に紐付けて読書の効用を書いた記事。ああだこうだと書いてはいるけれど、結局は予習・復習と、複数の書物を関連付けること、その基本が大切なんだろうなーと。

 

本の感想をアウトプットしておいたほうが良い3つの理由(リンク

 こちらはアウトプットの話。あまりブログでは見られないけれど、再読した本の書評記事ってそこそこ需要があるんじゃないかと思うんですよね。過去の感想が残っていればなお良い。単純な話、5年前の自分と現在の自分では感想も少なからず異なるだろうし、その比較はおもしろそう。

 

川上量生監修『ネットが生んだ文化 誰もが表現者の時代』要約まとめ(リンク

 「章ごとに筆者の異なる本……しかもかなり分厚い……閃いた!」という思いつきで、全7章を章別に要約・感想をまとめたうえで、さらにその要約のまとめ記事も書いてみた。「ただ冗長なだけじゃねーか!」とも思うけれど、要約スキルは上がった……ということにしてください、はい。

 

作品の“独創性”と“個性”はどこにある?〜守破離と肩書き(リンク

 「モーパッサンの一語説」を取っ掛かりに、たびたび語られる「個性」について自分なりに考えてみた内容。とにかく流行り廃りが激しく、コンテンツの消費速度も早い昨今は難しくも思うけれど、ゆえに実践できれば、頭ひとつ抜きん出るチャンスはある……かも?

 

全ての文章は「嘘」の創作?文章の《物語化》と《表現》の話(リンク

 『危険な文章講座』で論じられていた文章の考え方に関して、思いつきでちょろっと考えてみた記事。それが得意どころか、息するように“物語化”する人も多いSNS……って書きながら思ったけど、これって「ネット上で見えない(あえて書かない)もの」の話にもつながるような。

 

わかりやすい文章・伝わりやすい文章、何が大切?(リンク

 どちらかと言えば「ネット」の範疇の記事ですが、自分の思う「文章力」についての話。十把一絡げに語られることも多い「文章力」のトピックから、「わかる」「伝わる」の要素に絞って考えてみた。真に「万人向けの文章」とはおそらく、新聞の文体が一番近いような気がする。

 

【月初雑話】ブログの文章構成について(リンク

 諸々を引っ括めて、「ブログの文章(の書き方)」について考えたことをざっくりとまとめたエントリ。一口に「文章力」と言っても多岐にわたるし、ブログのそれは一般的な書き方と異なる場合も。長く続けるのであれば、“読まれない”記事の書き方が役立つこともあると思う。

 

オタク・サブカル

平成生まれの僕と「ポケモン」との、20年間のおもいで(リンク

 20周年と聞いて、書かずにはいられなかった。自分にとっては遊んで楽しいゲームであり、貴重なコミュニケーションツールであり……ポケモンがなかったら、今以上に人見知りのだんまりマンになっていたんじゃないか疑惑まである。最新作も買うよ!!

 

『Pokémon GO』発表を見て、いつまでも“ゲーム”でワクワクしたいと思った(リンク

 とんでもない社会現象になるとは想像すらしていなかった、『ポケモンGO』発表当時に書いた記事。あれほどまでにワクワクさせられたPVは他にないし、Nianticとのコラボと聞いて興奮しないわけがないっしょ! 現在進行系で楽しんでおります。ポケモンゲットだぜ。

 

古参ボカロファンが「マジカルミライ2014」で衝撃を受けた話(リンク

 「夢だけどー! 夢じゃなかったー!」を地で体験した感じのライブレポート。遅ればせながらリアルなミクさんと対面して、その感激を文字にして残さない選択肢がなかった。結果、2年後はパンフレット制作に携わる機会をいただき、本当に感無量でござる。

 

カービィとゲーム音楽と『ロボボプラネット』の話(リンク

  ネット愛、ポケモン愛ときて、カービィ愛。発売から少し遅れてプレイしたゲーム最新作に興奮して、ブログに書かずにはいられなかった模様。ガキンチョのころに倒せなかったボスと、20年ぶりに対面・リベンジの機会を与えてくれたHAL研さまーーー!!

 

新海誠さんの作品が好きです『秒速5cm』『ほしのこえ』『言の葉の庭』『君の名は。』(リンク

 これまた大ヒットするとは思っていなかった『君の名は。』の公開に先立って、自分なりに「新海誠はいいぞ」を振り返った記事。これを書きながら、『ef』が10年前と知ってビビった。『秒速5センチメートル』は思い入れが強すぎて、パンフレットはほとんど宝物。

 

初めて読んだ百合漫画『やがて君になる』が好きすぎてハゲそう(リンク

 ほとんど触れたことのないジャンルのマンガを読み、あまりに衝撃的&琴線に触れて、このあふれ出るパトスを言語化しないとボク死んじゃう! 助けて! ……という勢いで書いた感想記事。やがて沼になる。

 

『艦隊これくしょん』に見る、作品の人気と二次創作活動(リンク

 『艦これ』にハマっていた最盛期に書いた記事。どちらかと言えば、「二次創作によって広がる世界観は楽しいよ!」的な話をしたかったんじゃないかしら。今なら、ここに『刀剣乱舞』を加えてあれこれ書けそう(すでにあちこちで書かれてそう)。

 

『ご注文はうさぎですか?』のコメントログから感じる季節感(リンク

 夏の自由研究。「『ごちうさ』1羽のコメントを振り返ったらおもしろいんじゃね?」の思いつきをそのまままとめただけ。ツッコまれて気づきましたが、「季節感」というよりは「流行」――もとい「時事ネタ」っぽい。特に最近は完全にそんな感じですしおすし。

 

好きな「嫁」キャラの歴史を辿れば、自分の好みがわかる?(リンク

 初恋は、はるかぜとともに。「“アニメまとめ”は見るのに、“好きなキャラまとめ”は見ないのはなんでや! 個人サイト時代はみんなバトンでやってたのに!」的なノリで書いた……ような? すでに2年前の記事だから、改めて書いたらいろいろ更新されそう。

 

当時の中学1年生が、2002年のカルチャーを振り返ってみた〜FLASH黄金時代、ピンポン(リンク

 同人誌に影響されて、懐かしネタを語りたくなった……のなら書くしかないじゃない! だいたいFLASHの話がしたかっただけだと思う。ロードオブメジャー……MONGOL800……浜崎あゆみ……175R……は、活動再開おめでとうございます!

 

生活・自分語り

「転勤族」の家庭で育った僕の話(リンク

 徹頭徹尾、自分語り。――であるにも関わらず、今でもたびたびTwitterでコメントをくださる人がいて、なんだか嬉し恥ずかしい記事。転勤族なんて珍しい属性ではないと思う一方で、それでも見知らぬ土地を飛びまわる不安は付き物なんだろうな、と。当然、良い面も悪い面もある。

 

生きづらさやコミュ障は「生きる速度」の違いで説明できる?(リンク

 普通だとか、世間だとか、常識だとか。それらを当たり前と考えていると、とかく生きづらいと感じている人が(少なくともネット上では)多く見受けられる今日このごろ。そんなとき、他者との違いを「速度」に置き換えて考えてみると少しは気が楽になるんじゃない? という言葉遊び。

 

無職7ヶ月目。そろそろ、どげんかせんといかん。(リンク

 無職生活の停滞感をうだうだと書き連ねた記事。改めて読み返すと、我ながらゲロ甘なことをぶーたれておりますが……良くも悪くも楽観的でいられたから、ぶっ壊れずに済んだ部分もあるのかな、とは思う。こういった当時の懊悩を振り返ることができるのも、ある意味でブログの魅力かと。

 

迷ったら、とりあえず「経験値」を稼ぐように立ち回ろう(リンク

 上の記事から2ヶ月後、代わり映えしない生活の自己正当化半分、これから動いちゃるぞという決意半分で書いた記事。恵まれた立場でアホみたいに楽観視しながら迷走している人に対して、ネットを介した第三者の指摘はありがたいもの。先ほどの記事とあわせて、耳が痛いコメントは今でもたまーに読み返しております。

 

「話せる人」に憧れるだけの人生だった(リンク

 「はてな」でブログを始めて、心底良かったと思った瞬間。「話せる人」に憧れて、それでもどうにもならなくて、空回りして、行き着いた果てのインターネットで肯定されたような感覚。固執しすぎるのも問題だけど、自分が好きなコミュニケーションを積み重ねていくのは、楽しい。

 

小学6年生の「ぼく」が24歳無職の「僕」を笑顔でぶん殴ってくる(リンク

 『アナ雪』の感想と見せかけた、卒業アルバム晒しという自爆記事。ドMさんかな? ……うん! ドMさんだよ! この手の自分語りを読み返して思うのは、当時の自分を恥ずかしいと思える分、それなりに変化はしているんじゃないか、ということ。でも、それすらも自己正当化っぽい! わぁい!

 

思春期の音楽生活を支えてくれた、ダブルMDコンポ(リンク

 忘れないうちに……と書いた、「MD」の思い出話。主な付き合いは中学の3年間くらいだったけど、その後も受験勉強まで自室での作業用BGM再生機として役割を果たしてくれるなど、なんやかんやで思い入れのある存在だった。MDの存在を教えてくれたおねーさんは今、何をしているんだろう……。

 

【ぶらり散歩】金曜夜に、高田馬場から中野まで歩いてみた(リンク

 たまたま金曜夜が暇だったので、ぶらっと線路沿いを歩いてみただけの内容。本当にそれだけなんだけど、なんか自分でも好き。しばらくできていないので、タイミングが合えばまた、ぶらぶらっと夜の沿線を歩いてみたい。金曜じゃなくても。

 

趣味としての「街歩き」の楽しさと、自然と外に出たくなる2つの相棒(リンク

 その「街歩き」に関連して思うところをまとめるべく、つらつらと書き連ねてみた記事。身近な街の知らない一面を発見する散策も楽しいけれど、見知らぬ街街へと活動範囲を広げていく道中もそれはそれで超楽しい。お散歩はいいぞ。

 

25歳になるまでエ口本を買ったことのなかった平成男子の話(リンク

 えっちぃのは嫌い……じゃないけれど、モノは選びます! 的な自分語り。ブコメでもちらほらと触れられているように、ネット以前と以後では「エ口コンテンツ」との出会い方・接し方が違っているようにも見えておもしろい。そういや、公園で友達が拾ってたことはあったな……。

 

あとがきという名の与太話

 我ながら「よくぞまあこれだけ書くことがあったもんだ」と感じられなくもない、“1,000記事”という文字。当然、それ自体はひとつの区切りに過ぎず、あまり意味のある数字ではございません。得られるのは、個人的な達成感くらい。自己満足わぁい!

 

 でも考えてみれば、ウェブサイトの指標としておなじみの「ページビュー」だって、分析しなければただの数字。個人ブロガーにとっては、月初に一喜一憂する「モチベーション」としての要素も強そう。

 しかし同時に、その“数字”を構成するのは、性別も年齢も立場も何もかもが異なるだろう十人十色の“読者さん”でもあります。なればこそ、ただただ「アクセス数を稼ぐため」だけの手法が嫌われ、批判されるのも当然の流れ。粗製濫造、炎上商法、丸パクリ――などなど枚挙に暇がありません。まさに現在進行系で批判の渦中にあるDeNAのキュレーションメディアについても、「数字は把握していたが、制作過程は認識していなかった」ことを問題として話されているようですし*1

 

 これって、ブログの「記事数」に関しても同様なんじゃないかと。たまに目に入る「ブログ初心者向けの運営方法」の記事を読むと、なぜだか「毎日更新は必須であり、多更新こそ正義である」かのように書いていることがあって、ちょっと疑問に感じる。……それ、本当? ブログの方針だとか、その人の性格によっても違ってこない?

 最新情報をいち早く発信する必要のあるニュースサイトだとか、特定ジャンルに特化した専門ブログだったら、そりゃあコンテンツの数は重要になってくるでしょう。でも、自分の興味関心がメインコンテンツとなる個人ブログにおいて――たとえそれがお小遣い稼ぎ目的だとしても――文章の推敲もほどほどに、時には全く関心のない分野の記事を濫造しまくることが、はたして“正義”なのかどうか。

 

 もちろん、それが個人のブログである以上、何をどのように書こうが各々の自由です。というか、その自由こそがブログ(ネット)の魅力だと思いますし。その日にあった個人的な出来事と、読んだ本の感想と、ネットニュースに対するツッコミと、それらすべてを1日に投稿するくらいのブログがあってもいい。……むっちゃ濃密でおもしろそうじゃないっすか!

 けれど一方で、「なかば無理やり、ただ闇雲に更新するだけ」というのは、少なくとも他人におすすめできる方法ではないように思います。そんなん、どっかで嫌になってもおかしくないじゃないっすか。とにかく数を稼ぐことに終始して、文章の推敲もままならず、途中でプロセスの分析・見直しをすることもなく、内容もどんどん雑になり……って、ただの苦行では……。

 

 たしかに、「多更新によってブログを習慣化する」ことで得られるものがある人や、何らかの価値に結びつく場合もあるにはあると思う。実際、半年で数百記事を投稿する過程でトライ&エラーを繰り返し、編集力を身に付けた人や、目的を持ってウェブメディア的なブログ運営を行なった結果、大手メディアから声がかかった――なんて人もいらっしゃいますし。

 ただ、そういった人たちは、「そもそも自分の目的を持っていて、計画的に運営を続けたことで実績に結びついた」とか、「時間をかけつつ試行錯誤を繰り返したことで、もともと持っていた編集力・文章力が結実した」とか、多更新の前提となる「目的」や「能力」があった――と言えなくもないわけで。数をこなすことの妥当性は、そういった点も考慮したうえで判断するべきだと思いまする。

 

 ――なーんて書いているとまだまだ長くなりそうなので、ざっくり換言すると、大切なのは「数」よりも「積み重ね」なんじゃね? という話。つまるところ「量より質」であり、「多更新よりも試行錯誤」であり、はたまた「記事数よりも継続期間」であるのでは? と思った。

 ここ数年、バイラルメディアやらキュレーションメディアが話題になっては問題視されているのを見るに、おそらくウェブメディアにおいても、「PV数よりも信頼性」が重視される流れが固まりつつあるんじゃないかと。短期的で短絡的、安易なPV稼ぎはネガティブな感情にも結びつきやすいけれど、記事の質によって信頼を積み重ねることによって多くの読者がサイトを訪れるようになれば、その結果は自然とPV数・UU数となって現れるのでは――って書きながら思ったけど、むしろこっちが本来の流れだったはずよね……。

 

 何はともあれ、ブログは楽しむのが一番。必ずしも多更新が悪いとは言い切れませんし、楽しんで取り組めるならガンガン書くのも良いと思う。でも、もしも楽しめないと感じたのなら、無理をしてブログの編集画面に向かう必要もないわけで。

 自由気ままにブログを書いていくなかで、自然と楽しめる、自分のペースを見つけられればなにより。各々に運営方針や目的の違いはあるでしょうが、まずは「楽しむ」ところから始めたい。そうすれば自然と数字はついてくるだろうし、人との出会いとかお仕事だとか、想像もしてなかった「価値」が得られる……かも。

 

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