2021年の推しコンテンツを好き勝手に語る②『シン・エヴァンゲリオン劇場版』『ルックバック』


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モルカーがスタートダッシュを切り、ウマ娘が先行し、小戸川のタクシーがぬるっと後ろに続いた2021年前半。年始から次々に良質なコンテンツが供給される海であっぷあっぷと過ごしていたなか、3月にはついに『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が封切りとなった。

長年にわたって追い続けてきた、ひとつのコンテンツの終劇。中学時代からの古い友人のような存在と「さようなら」をしたあとは、ちょっとした寂しさ、あるいは満足感を得てしまって、ポカーンと過ごすことになるんじゃないか。そんな懸念もあった。

まあ案の定、懸念は懸念のまま終わったのだけれど。それはそれとして、エヴァのファイナルインパクトに続けと言わんばかりに、夏から秋にかけては数々の「物語」にぶっ刺されることになった2021年。取り上げたい作品はたっぷりあるあるのだけれど、今回と次回で4つの作品をピックアップしてみます。

 

シン・エヴァンゲリオン劇場版

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公式サイトより

自分が『エヴァンゲリオン』という作品と出会ったのは、2000年代のこと。しかも「14歳」という、まさにドンピシャなタイミングで。人生を狂わされた――とまでは言わないものの、その後の自分に並々ならぬ影響を与えていることは間違いない。

アニメ音楽を聞くようになり、あのオープニング映像的な演出や表現にハマり、物語世界にあれこれと思いを馳せるようになり……あとついでに、「二次創作」の存在を知った。“ついで”と書いていますが、お察しのとおりその影響は絶大でした。ある意味では同人文化との出会いでもあり、ネット上の創作者や個人サイトとの出会いでもあり、カップリング概念との邂逅でもあり……LAS、LRS、EOE、逆行、スパシン……グオオオオオオオオオ

ともあれ、そうやって「エヴァ」にすっかり魅了されてしまった自分。リアルタイム世代ではないものの、作品に対する思い入れは結構なもの。必然、「新劇場版制作決定!」のニュースを聞いたときは、そりゃもう狂喜乱舞しましたよ。――あの大好きな「エヴァ」を映画館の大スクリーンで観られて、しかもリアルタイムで追えるって!?

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【公式】ダイジェスト これまでの『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』 - YouTubeより

それだけでも小躍りするくらい嬉しかったのに、その後の『破』のインパクトはヤバかった。中学時代にエヴァを勧めてくれた友人と鑑賞した公開初日、「新展開になってるじゃん!?」と映画館を出るやいなや興奮気味にあれこれ語り合い、「もっかい観るっきゃねぇ!!」と回れ右して2回目を観たことを覚えている。

そんな「エヴァ」の完結編。最後の最後。度重なる公開延期にやきもきさせられつつ、途中からは「生きてるうちに観られりゃOK」という姿勢になっていたのだけれど。

いざ公開当日になってみれば、期待マシマシかつ緊張の面持ちで観に行った『シン・エヴァンゲリオン劇場版』。うっかり映画館までの道中でくたばらないよう、道行きには細心の注意を払いつつ、たどり着いた約束の地。そして上映が終わってみれば……いやぁ……観られてよかった……本当に……。マジでありがとう……これで成仏できますわ……。

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【公式】『現在のエヴァンゲリオン』 - YouTubeより

トウジやケンスケたちのこと、アスカのこと、2人のレイのこと、いろいろとかっさらっていたマリのこと、迷い悩みながらも最後はやっぱりカッコよかったミサトさんのこと、「渚司令」の衝撃、影でがんばりすぎている加持さん(マジで外伝でもなんでもいいから見せてくれ)、旧劇場版との比較――などなど、切り口はいくらでもあるわけですが。

「物語」としては、「父子の物語」としてきれいにまとまっていたのが、個人的にはすごくよかった。というか、ゲンドウの背景をあそこまでがっつりと、時間をかけて、当人のモノローグで描くとは思わなかったので、あの一連の流れだけで尋常じゃない満足感を得られてしまったのだ。

立木文彦さんの語りは言わずもがな、あのシーンはBGMでもやられた。TV版ではおなじみの、でも新劇場版では使われていなかった「BORDERLINE CASE」のアレンジに加えて、サントラで飽きるほどに聞きまくった旧劇場版の「夢のスキマ」まで流れてきたときは、もう内心で叫んだよね。ここ、「やりやがったなァ!」ポイントです。

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【公式】『現在のエヴァンゲリオン』 - YouTubeより

力を使った衝突から、親子での長い長い対話――これまでの作中で、という意味でも、おそらくはあの2人の関係においても――を経て、息子の成長を実感し、気づきを得て電車を降りていく、「父」の後ろ姿。

それ以上に、幼い息子に向かって振り返り、膝を折って、おそるおそるながら抱きしめる父親の姿。そのカットを目の当たりにした瞬間、「エヴァが終わるんだなあ……」という感慨が、強い実感を伴いながらこみ上げてきた。その後の連続グサーッ! を見届けて「さようなら」するまでもなく、あのワンシーンこそが、自分にとっての「エヴァの終わり」だったように思う。

まったく意識したことも考えたこともなかったのだけれど、旧劇場版からずっと見たかった「エヴァの終わり」が、自分にとってはもしかしたらあのシーンだったのかもしれない。

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宇多田ヒカル - 「桜流し」(ヱヴァQバージョン) - YouTubeより

そりゃまあ、個人的にはシンジとアスカにハッピーになってもらいたかったし、ミサトさんとのひとつ屋根の下での生活も楽しくて好きだし、みんな幸せ大団円! な光景を見たかった気持ちもあるっちゃあるのですが。でもそれは、スピンオフや二次創作の範疇だよね、とも思いつつ。

そういった「想像しやすい幸せ」とは別に、「『エヴァンゲリオン』という作品が行き着いた、ひとつの決着」としては、あのシーンこそが自分にとっては象徴的かつ理想的な場面だったように思う。そしてスタッフロールでリフレインされる『Beautiful World』で泣く。

エヴァに決着がついた2021年も終わり、長年の胸のつかえが下りたような、やっぱりちょっと寂しいような。これからは「折にふれて繰り返し観る作品」として、14歳の頃に観た旧劇場版と一緒に思い出されることになるのかもしれない。父に、ありがとう。母に、さようなら。

そして、これからもよろしくね。

そうやって父の背中を見送った、数ヶ月後。これからますます暑くなることを予感させられる、7月中旬の深夜のことである。

読み切りマンガのタイトル絵として描かれたひとつの“背中”が、深夜のタイムラインをめちゃくちゃに賑わせていた。

 

ルックバック

7月19日に『少年ジャンプ+』にて公開された、藤本タツキ先生の読み切りマンガ『ルックバック』

公開されるやいなやあっという間にTwitterトレンドに入り、深夜のタイムラインを熱狂させていた話題作。「そろそろ寝るかー」というタイミングでその様子が目に入ってしまい、あまりにもフォロワーさんたちの熱量がパないので、気になってその場で読んでしまった。

――結果、眠れなくなった。

なんてこった。
深夜になんてものを公開するんだ。

本作の「ここ好き」ポイントもいくつかあるのだけれど、特に印象的だったのはこのあたり。

2人の少女が出会った扉を世界の境界として、時を経て4コママンガのやり取りが交わされる場面と、再現される「もしも」の演出。読みながら映画『ラ・ラ・ランド』が想起され、しかし同作とはまったく異なる、知らない音楽が脳内で鳴り響き始めた――そんな感覚を覚えるほどだった。

少し話がそれるのだけれど、このマンガ、「音楽が聞こえてきそうなシーン」が、めちゃくちゃ多くありません……? 映画的な演出や構図が自然とそうさせるのか、はたまた僕個人の勝手な印象かはわからないけれど。それこそ、雨の中を踊るように行く藤野の見開き絵とか、雪景色の中で夢を語り合う2人のシーンとか。

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藤本タツキ著『ルックバック』(集英社)P.44より

ともあれ、本作については公開後すぐにTwitterで話題になっていたし、その日のうちに大勢の人が感想や考察を書いていて、とにかく「人を動かす」作品として尋常ならざる強度と熱量に満ち溢れていた。作風としては淡々としているのに。ページ数の限られた読み切りマンガなのに*1読んだ人の心に何かを訴えかけ、語らずにはいられなくする。そんな何かが、このマンガにはあった。

クリエイターでもなんでもない、ただの読者に過ぎない自分には、気の利いたことは書けないのだけれど……。それでも一点だけ、このマンガを読んだことでこみ上げてきた強い気持ちとして、「尊さ」があったことを記しておきたい。

時間の尊さ。創作の尊さ。友人の尊さ。

「尊い」なんて使い古された言葉で、改めて表現することではないのかもしれない。そんなものは多くの作品で描かれているものだし、わざわざ口にする必要のない感想なのかもしれない。それでもやっぱり、改めて読み返してこみ上げてきたのは、そのような想いだった。

それは畏敬の念ではなく、尊敬の気持ちともちょっと違う。ヒトやモノに向けられる敬意ではなくて……なんだろう……「好きなことに夢中になれる」ことのかけがえのなさというか、創作に伴う熱量というか。

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藤本タツキ著『ルックバック』(集英社)P.14より

きっと多分、僕はこの“背中”に見覚えがあるんだ。いつだって机に向かって絵を描いていた背中。子供たちに学ぶことを教えてくれた背中。熱心に仕事に励んでいた背中。為すべきことに取り組み続けてきた背中。自分がこれまでに出会ってきたどこかの誰かの後ろ姿が、本作で繰り返し描かれるそれにダブって見えたのかもしれない。

そうやって数々の“背中”を思い返したあとは、自然とこう考えずにはいられない。――じゃあ、おまえはどうなんじゃい、と。熱量と尊さに打ちのめされたうえで、( ˘ω˘)スヤァ...と眠りに落ちて目覚めたときには忘れてしまうのか、それとも何かしらの「次」に向かうのか。

“クリエイターでもなんでもない、ただの読者に過ぎない”ような人間にだって、受け取った熱量を生かすことはできる。感化されて何らかの創作活動を始めるところまではいかなくても、それまで見過ごしてきたことに取り組むとか、誰かのために何かをするとか。それは別に自分のための“何か”だっていいわけで、今まさに感じている気持ちを言語化して、将来の自分が振り返るための記録として残そうとしたっていい。むしろ熱量の変換先としては王道だ。

終わってしまった存在を想いつつ、今ここにいる自分が“やっていく”ための物語。ふとした瞬間に思い出す、どこかの誰かの後ろ姿が、これからもきっと力を与えてくれる。

 

連載「2021年の推しコンテンツを好き勝手に語る」

  1. 『PUI PUI モルカー』『オッドタクシー』『ウマ娘プリティーダービー』
  2. この記事
  3. 『ボクのあしあと キミのゆくさき』『妖精円卓領域 アヴァロン・ル・フェ』
  4. 『ふたりでみるホロライブ』『SANRIO Virtual Fes』『PROJECT: SUMMER FLARE』

*1:とはいえ、143ページは十分に「長編」な気もするけれど。これだけで単行本が出ているわけですし。