これほどまでに完璧な「第1巻」は、なかなかないんじゃなかろうか……!
理不尽な環境で生きる少年。未知なる世界への情熱と渇望。現実と非現実の入り混じった世界観。運命的な出会い。知識と機転によって獲得される理解と信頼。危機的状況に踏みこむ勇気。張り巡らされた複線。──そして、物語を彩る言葉の数々。
物語全体から見れば、おそらくは序章や前日譚に過ぎない部分。にもかかわらず、そんなプロローグ的な部分だけで驚くほどに興奮し、心躍らされている自分がいた。緻密な見開きイラストの一枚一枚から、台詞のひとつひとつから、並々ならない熱を感じられたのです。
それだけではありません。この『図書館の大魔術師』を読み進めるなかで、自身の少年時代の情景と感情が呼び起こされるほどでした。
昼休みの終わりを告げるチャイムの音が聞こえなくなるほどに、図書室で読書に没頭していたこと。親に連れられて訪れた大型書店で、無限とも思われる物語がこの世にあると知ったときのこと。大好きなシリーズの新刊が待ちきれず、手元の本を何度も何度も読み返し、時には新たな物語を空想していたときのこと。
知りたい情報はインターネットで調べるようになり、本は電子書籍で読むようになり、紙の書籍を手にする機会は減ったとしても、今なお変わらない胸の内の情動。「物語」に対する滾るような熱意が、本作からは強く感じられたのでした。
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1人の少年が「主人公」になる瞬間
『図書館の大魔術師』の主人公は、貧民街で姉と暮らす少年。周囲の人とは異なる身体的特徴を持ち、村でも学校でも忌避される日々を送っている。そんな彼を夢中にさせていたのが、自分を見知らぬ世界へと誘ってくれる「本」の存在。ところが、貧乏人は村の図書館を利用できないという問題があった。
だからこそ、彼の夢は「本の都へ行く」こと。差別のない、世界中の本が集まるという都で、思う存分に本を読んでみたい。きっといつか、目の前に物語の主人公のような人が現れ、自分を外の世界へと連れ出してくれるはず。そう願って過ごしていたある日、少年の村に「本の都」の司書(カフナ)が訪れる──。
正直に言って、ありがちと言えばありがちな展開だと思う。ただ、その “ありがち” の純度が明らかに違う。物語構造のテンプレートを単になぞるのではなく、その “展開” に説得力があり、キャラクターが生き生きとしていて、尋常じゃない熱がこめられている。そんな印象を受けた。
たとえば、少年と司書の出会い。
「外の世界へ憧れる主人公」と「外からやってきた異邦人」の出会いは、物語においてはよく見る構図。何かしらの事件を経て交流するようになった2人は、時には師弟の関係となり、やがて旅立つことになる──というような。多くの物語では、こういった展開を踏むことが多いのではないかと思う。
大枠で見れば、本作の展開も似通ったものになっている。ただ細部は異なるし、その流れも非常に丁寧に描かれているように読めた。なんたって、そこそこ分厚さのある1冊を存分に使って、そのプロローグと基本となる世界設定を描いているくらいなのだから。
特に象徴的だったのが、「主人公」という言葉が意味するものについて。
外の世界に憧れる少年にとって、突如目の前に現れた司書は物語の「主人公」に等しい存在だ。対する少年には、特別な能力も知識もなく、ただ「本が好き」なだけ。彼自身もそれを自覚しているため、自分を「主人公」などとは思わず、己の境遇を司書にどうこうしてもらおうと考えているわけでもない。それどころか、司書のちょっとした気づかいを断るほどだった。
村を訪れた司書からしても、少年をひと目見て何かを感じた──ということもない。たまたま会話をする機会があり、ほかの人間と接するように対等な立場で話し、彼女自身の哲学を説いたに過ぎない。とはいえ、交流を重ねるなかで少なからず何か特別なものを感じるようになり、彼女の行動が少年を奮起させることになる。ただ、それも物語の都合というよりは彼女自身の性質に端を発するものであり、至極自然な展開であるように感じた。
その過程で変質していくのが、「主人公」という言葉の意味。少年が司書に対して感じていた「主人公」の感覚が、2人の交流と事件を経て、やがて少年自身が抱える認識となっていく。その流れが、本当に見事としか言いようのないものだった。
「これは誰の物語なのか」という、改めて確認するまでもない当たり前の事実が、最高のタイミングと最高のイラストで描かれる。その “当たり前” こそが、最高にアツいのだ。「実は別の人が主人公でした!」的な変化球があるわけでもないのに、1冊の最後に語られる「主人公」という言葉の意味するものが、ド直球に読者を揺さぶってくる。純度の高い、極上の「王道」のインパクトよ……!
本が大好きな読者に、最高のワクワクを
本作の展開をこれほどまでにアツく感じられたのは、そのテーマも一役買っているように思う。つまりは「本」。劇中で語られる「本」への愛と、「書物」の役割、そして「物語」へ向けられる熱量がずば抜けており、自身の「読書」の原体験を思い起こさせられるほどだった。
呼吸を忘れるほどの没入感。集中しすぎて溶けていくかのような感覚。実体験でもないのにこみ上げてくる既視感。感情が綯い交ぜになり熱すら感じるようになる全身。一瞬でも仮想と現実の境界を見失いそうになるほどの共感。──それは、何らかの大きな力によって “突き落とされる” ような実感を伴うもの。
「本」が大好きで、「主人公」の存在を渇望する少年こそが、本作の主人公。同じように「物語」が大好きな読者が読めば、その展開に興奮せずにはいられないはずだ。必ずしも活字の「本」である必要はなく、広い意味での「物語」を好んで楽しんできた人であれば、おそらくは。
しかも本作は、子供の頃に夢中になっていた人も多そうな「ファンタジー」の要素を多分に含んでいる。それも、ただの異世界ものではない。タイトルのとおりそこには “魔術” があり、劇中の “司書” もまた普通の管理者ではなく、妖精のような種族や魔獣も出てくるのだ。ワクワク要素がてんこ盛り。
1巻だけで作品を評価することはできないものの、この1冊だけで最高に楽しめた。それは間違いなく断言できる。そうやって最高の読後感を味わいつつ、そういえば冒頭に「原作」があるらしい表記があったことを思い出し、気になって調べてみると……という部分にまで楽しみがあり、続きが待ち遠しくて仕方ない。
物語が大好きな、あるいは子供の頃に好きだった人に、ぜひとも勧めたい1冊です。
© Mitsu Izumi 2018