「ただ眠るだけでもエネルギーは必要」だから程々に一休みしよう


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少年の顔を見る。まだ寝ている。居眠りというよりは熟睡。こんな東屋でよく眠れるなあと、呆れつつも羨ましい。ただ眠るだけでもエネルギーは必要なのだと、雪野は身に沁みて知っているのだ。ただ電車に乗るだけでも、ただ化粧を落とすだけでも、ただ食事を味わうだけでも、エネルギーは必要なのだ。私だってこの男の子くらいの歳の頃には、きちんとそういうエネルギーに満ちていたと思う。それが今では。

第五話 あかねさす、光の庭の。──雪野

 

 先日読んだ小説版『言の葉の庭』より、27歳女性の独白。おそらく学生の頃に読んでいたらピンと来なかったのだろうけれど、今の自分には身に沁みるほどによくわかる、納得できる、共感できてしまう。

 なんちゅーか、「体力」と「気力」って少なからずリンクしているくせ、使いどころはそれぞれに違っていて、身体と精神のいずれかの調子が整っていないと、変にエネルギーを消費してしまってドッと疲れるようなイメージがある。それはきっと、単に「若さ」云々で説明できるものじゃないと思うのです。

 

ただ目の前のことに打ち込むだけで良かった学生時代

 学生には大きな悩みがない、人間関係の問題だって大したものじゃあない、大人が示した指針に従っていればいいだけだ──とは言いません。でも、若い頃の日常生活で降りかかる問題の多くは、まだ「わかりやすい」ものだという一面はあるように思う。

 勉学にせよ部活動にせよ、発生した問題に対処するための方法は示されているケースが多い。受験や大会に向かって、あるいは単位や資格を取得するため、あるいは身近な交友関係を円滑に進めるべく目の前の事に当たる必要はあれど、大抵は「なんとかなる」場合が大半なのではないかと。再起不能となり、生活を脅かされるような選択が眼前に現れるイベントはまだ少ない印象。

 そういった事物・イベントの多くは、持ち前の「体力」と「気力」があればある程度はこなせるものだし、周囲の人間に頼って協力してもらえる場面も多いように見える。自分ひとりでは抱えきれない問題も、家族や友人、教師が手伝って助けてくれる。本当に、ありがたい。

 でも他方では、のっぴきならない家庭の問題や、予期せぬ病気に不幸、将来を左右する選択を迫られる場面が、突如として振りかかることも当然あるかもしれない。それでも学生である間は保護される対象として、「きっと周囲の人間や社会が助けてくれる」という安心感は少なからずあるのではないかしら。むしろ、そこで “助け” がもたらされないのは大問題。翻って見れば、ニュースなどで目にする若年層の不幸な出来事は、そういった “味方” の欠如によるもの……なのかもしれない。

 とはいえ、自分が学生だった当時の悩みと言えば、それがどうしようもなく一大事で、どうにもならないほどに世界のすべてで、解決しなければこの世の終わりがくるんじゃないかと思えるほどに苦慮し絶望していた覚えもあります……。

 

「わかりにくさ」と向き合わなければならない「社会」の事情

 じゃあ、そういった学生の頃の「わかりやすさ」は、どのタイミングで失われてしまうのだろう。そして「全力で取り組む」だけでは解決できない問題と直面するようになるのはいつ頃からなのだろう。

 その境界線となっているのは、「就職活動」なんじゃないかと思ってる。

 就職活動においては、それまでは明確だった「評価基準」が消失する。学生の頃はテストの点数や授業態度、論文の出来栄えや発表の方法といった数値・基準で評価されていた部分が、就活以降はほとんどブラックボックス化してしまう。採用基準が、昇進基準が、間違いのない仕事の進め方が、わからない。

 そりゃあ中には圧倒的な能力を発揮して、誰から見ても文句なしの評価される人材として勝ち上がっていく人もいる。でも大多数の人間は横並びで、何をもって頭ひとつ抜けられるのかがわからない。彼や彼女にあって、自分にないものが見えない。結果、思い詰め、塞ぎこんでしまう。

 そんななか、「他者との違いを自分で見極め、欠点を改善してこそ成長できる」という主張はそのとおりだと思うし、身近な理解者の助言によって問題点がはっきりし、前に進んでいける人もいるにはいる。けれど、保護対象にあった学生時代とは異なって、近くに味方がいてくれるとは限らないし、会社に入ってしまえば、外からはその内情は用として知れない。

 外部から見えないところでは、真面目な人ほど「わからない」に埋没し、悪い方向へと考え、向かっていってしまいがち。自己評価を気にしていれば良かった学校とは異なり、会社員ともなれば、気にしなくてはいけない要素も格段に増えるからだ。

 企業の看板を背負い、肩書きに見合った労働対価を求められ、時に顧客と会社との板挟みに遭い、時に上司と部下の間を取り持つことを迫られ、社内外でたくさんの問題と「わからない」に直面せざるを得ない。そこにプライベートの問題まで加われば、もうどうしようもなくなる。

 そういった意味では「わからない」を妥協し、思考停止して目の前の事に当たってこそ「社会人」であるという見方にも共感できる。……というか、そうでもしないとぶっ壊れる。

 すべてを「知らんがな」で済ませられない以上、何かを切り捨て、諦め、選び取る柔軟性が求められるのは自然な流れでしょう。自分の生活、家族の問題、会社の事情などの諸々を鑑みて、犠牲にする要素をふるいにかけなければ、どこかで何かが破綻するのは目に見えている。

 ──「大人になる」って、そういうことなのかしら。

 

「気力」と「体力」と、自分のエネルギー容量の把握と使い方

 で、ようやっと冒頭の話に戻りますが、そういった「わからない」が大量に振りかかって余裕がなくなると同時に起こるのが、自分の “エネルギー回路” のようなものが混線し、機能不全を起こし、自壊していく問題なんじゃないかと思いまして。

 職種や環境、個人の技能や抱えている問題などにもよるけれど、日常的にこなしているタスクにはそれぞれパラメータが振られていて、そこで消費する数値はきっと人によって違う。1日8時間の業務に対して、HPを50%削ってこなせる人もいれば、HPとMPを各30%消費する人もいて、いずれも100%使いきってオーバーヒートしている人もいるのではないだろうか。

 純粋な業務にはさほど体力を消費しない一方、ちょっと込みあった人間関係が振りかかると途端に気力を使い切る人もいるだろうし、仕事が楽しくて省エネ運用、むしろ気力は業務中に回復し、プライベートで何かしらの問題があって体力をガリガリ削られている人がいてもおかしくない。同じ仕事、同じ問題であっても、それに対してHPとMPをそれぞれ消費する人、回復する人の双方がいても不思議ではないように思う。

 そういった「体力」「気力」の使い道を自分で理解し、うまい具合に分散させている人は問題ありません。安直な例だけど、仕事は仕事、プライベートはプライベートと割り切り、振りかかる問題もそれなりに解決し、妥協し、諦めても納得できる人。器用さは正義。

 でも一方で、そこまで器用には立ち回れない人、すべてを完璧にこなそうと全力で立ち向かってしまう人は、時に自分のエネルギー容量を見誤り、回路に異常を来してしまうこともあるんじゃないかと。「気力」と「体力」のバイパスが混線し、変に気疲れし、自分でも気づかないうちに精神を摩耗し、ドッと疲れきってしまうような。

 そういったバランスが崩れてしまうと、うつ病まではいかなくても、多かれ少なかれ、生活面に不調が現れてきてもおかしくない。週末に休んでも休んだ気がしないとか、自分が大好きだったはずの趣味の活動に虚無感を覚えるようになるとか。

 想定外の「わからない」に直面し、数々の問題をこなそうとし、規格外の形でエネルギーを消費し続けた結果、自身のエネルギー回路がぐちゃぐちゃになってしまう感じ。日常生活に支障を来すほどではなくとも、少なからず身体に違和感を覚えたことのある人もいるのではないかしら。

 中には「歳を取ったから」で説明できるケースもあるとは思う。けれど、生活環境の変化は少なからず身体に影響を及ぼすし、自分にとって前例のない衝撃的な出来事やキャパシティを超えた仕事量によって、じわじわと身体が蝕まれてしまう場合もあるのではないかと。

 それまでは当然のようにこなしてきた日々の活動に対して「疲れ」や「虚無感」を覚えるようになったのなら、それはきっと黄色信号。人と話すことで気力を回復していたはずが、人に会うのも億劫になってしまったとか。趣味だった読書から遠ざかり、かと言って代わりの楽しみも見つけられず、常に何かに疲れている状態だとか。

 それがひとつの臨界点を超えると、「何をするにも疲れる」状態になるのだと思う。眠るにもエネルギーは必要。それは知っている。だけど、普段ならば「よし、寝るか」で眠りに入れるはずなのに、「眠るのもダルい」と後ろ向きに考えてしまう心境の変化が、そこにはある。

 倦怠感を吹き飛ばすためには、抱え込み過ぎないこと、気分転換の方法をいくつか持っておくこと、同じことの繰り返しになりがちな日々にスパイスを取り入れること……などでしょうか。それをすべて引っくるめて言い換えると、「自分のエネルギーを効率よく使う」ことになるのかな。とはいえ、ずっと省エネを意識し続けるのも逆に疲れるだろうから、全力を発揮するエネルギーの使いどころを見誤らず、気力を自然回復できる環境を常に用意しておく感じで。

 ──などとまあ、ほとんど例え話ばかりで我ながらよくわからない文章ですが、ともあれ明日は月曜日。これからまた一週間、ほどほどに元気よくがんばるぞい。

 

きっと誰だって──と雪野は必死に思った。きっと誰だって、外からは見えない地獄を抱えて生きているんだ。

 

 

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