「ブログ」がもたらす価値と、読者の過剰な期待


 ここ2、3日ほど話題になっていた、「ブログ=個人の日記じゃいけないの?」という言説に関して。思うことがあったので、遅ればせながら、まとめてみます。

 

「ブログ」は「個人の日記」なのか

はてなを退職しました - ninjinkun's diary

 

 きっかけとなったのは、上記の退職エントリと、この言及。Twitterでの突っ込みなので、言及された方は、おそらく深く考えずに自分の思うことをコメントしただけなのだろうけれど。その突っ込みが、随所で取り上げられていた。

 このコメントから考えられるのは、この方にとっての「ブログ」とは、「個人の日記」ではないということだ。日記ではないとすれば、最低限、誰かの「為になる」ものであるべき、ということだろうか。

 「どーでもいい」「無くならないかな」と表現していることからも、日記は不要で、意味のあるコンテンツを求めている様子が窺える。想像にすぎないけれど。この方のブログを拝見してみたが、なるほど、IT系の記事で統一されており、日記の要素はほぼ皆無だった。

 

 「ブログは個人の日記」かどうかと問われれば、僕はその通りだと思う。そもそも、世にあるブログの大多数は、「個人の日記」なんじゃなかろうか。

 「ブログ」という言葉の意味を見てみると、

  • ウェブログ(Weblog)の略で、自分の意見や感想を日記風に記して、それに対する感想などを閲覧者が自由にコメントできる形式のWebサイトのこと。【ASCII.jpデジタル用語辞典】
  • 意見や感想を書き綴ったり、撮影した写真などを掲載したりする日記的なウェブサイト。【IT用語がわかる辞典】
  • インターネット上で日々の出来事を書く「Web日記(Weblog)」が語源とされる。【朝日新聞掲載「キーワード」】
  • Weblog(ウェブログ)の略称で、作者個人が日常生活や特定のトピックについての考えを書いたWebサイトを指す。【マーケティング用語集】
  • 個人が身辺の出来事や自分の主張などを日記形式で書き込むインターネットのサイトやホーム-ページ。【大辞林 第三版】

ブログ とは - コトバンク

などとあり、いずれの出典にも、「日記」「日常」というワードが含まれており、「ブログ=日記」という定義は、大多数の人に周知されていると考えられる。

 つまり、一般的な視点で見れば、ブログは「個人の日記」であることに相違ない。もはや忘れられているかもしれないが、Twitterも「ミニブログ」にカテゴライズされるわけで。そう考えると、世のブログには「どーでもいい」が溢れ返っているのかも。

 

「ブログ」がもたらす価値と、読者の過剰な期待

 とは言え、「個人の日記」の範疇に収まらないブログも、今や数多く存在する。

 ブログの活動をきっかけに本を出版するような、アルファブロガー*1やプロブロガー*2と呼ばれる人たちのブログは、読者にとって価値があるからこそ、それだけの人気を誇っているのだし、「個人の日記」的要素は少ない。

 加えて、企業のホームページを見ても、ブログメディアと一体化したようなサイトが増えている*3LIGさんの記事とか、「何の会社か知らないけど、ここの記事は読んだことある!ってか会社なの!?」なんて人もいるんじゃないかしら。

 

 それらの人気ブログを見ていると、ブログに「何か」を求めている人もまた、非常に多いと考えられる。「何か」とは、「共感」「気付き」だったり、「為になる」ことだったり。ブログは、多くの人に期待されている。

 そんな人たちからすれば、「自分にとって何の得もない癖に注目されているブログ(記事)」は目障りで、気に食わない存在なのかもしれない。はてなブックマークのコメントを見ていても、たまーにそんな意見が散見される。「またこの手の内容か」「当たり前のことに何言ってるんだ」「何年前の議論だよ」などなど。

 

 彼らにとってはそうなのかもしれないが、その記事を書いた人にとっては違う。そんな当たり前のことのはずなのに、「自分にとって価値のない情報は邪魔だ」とでも言わんばかりの言い様には、傍目から見ても辟易させられる。

 そんなことを言っていたら、一次情報以外は無意味ってことになってしまう。解釈の多様性も、議論も否定しているように思える。それはどうだろうか。

 

 ブログに価値を求めること、それ自体は良い。ただ、それが過剰な期待になってしまい、大多数の人間がそのような期待を持ってしまえば、他人にとって何の意味もない、無価値なブログは淘汰されてしまうのではないかという懸念がある。いや、流石に淘汰とまではいかないと思うけれど。

 しかし、ブロガーの自由度と多様性が侵されてしまうのは否めない。ブログに期待をするのは良いが、だからと言って、全てにそれを求めるのは酷だろう。一口に「ブログ」と言っても、その内容は千差万別なのだから、「ブログ=◯◯」と、ひとつの観念に縛られるのも危険だ。

 

「ブログ」との付き合い方

 前述のように、一般的な認知としては、「ブログ=個人の日記」という見方になっているが、それに期待をしている人が多いのも確かだ。では、どのようなものとして、ブログと向き合っていけばいいのだろう。

 この点に関しては、 id:xKxAxKx さんの考えがしっくりきたので、引用させていただきます。

 

あくまで俺はですけれど、やっぱりブログには何も期待していない。読むことに対しても、書くことに対しても。当然、書く側としたら、読まれることによって得る承認欲求だったりだとか、他のブログ書きと言及し合うとか、そーいうのを得ることはできるんだけれど、やっぱりそれ以上でもそれ以下でも無いし。んで、それはそれで楽しいんだけど、価値を与えているか?と思うとクエスチョンマークしか出てこない。まー、暇つぶし程度にはなっているかもしれないけれど。少なくとも俺は読み手に価値を与えることについては、これっぽちも期待していない。

 

んで、俺も他のブログを読んだりするのも、失礼かもしれないけれど暇つぶし程度で読ませてもらっている。その中で面白い文章や興味深い文章、知らない事を知れたりする文章、気付きが与えられる文章があったりするけれど、それは言ってしまえば交通事故みたいなものというか、たまたま階段登っていたら女子高生のパ◯チラをゲットしたよーなものというか。

ブログがあまりにも期待されすぎている - ロックンロールと野球とラーメン

 

 「気付きのあるブログは、女子高生のパ◯チラ」
 すばらしい。これだ!!

 

 僕なんかはニートで時間があるので、そこそこの数のブログ記事を毎日、読んでいるが、最近はパ◯チラ祭りで嬉しい限り。まあパ◯チラもいろいろあって、不意打ちで「ぐっ!」とくるのが目に入ったり、「このタイトルは…見える!」と思ったら、そうでなかったりする記事もあるのだけれど。

 で、「ええもん見せてもらいました!(鼻血)」という感謝の印として、はてなだったらスターを付けて、もしくはTwitterやはてなブックマークで言及する。別に何にも感じなかったら、スルーすればいいのです。

 たとえそれがホッテントリ入りしていても、「自分には価値がなかったけど、他の人にはあった」という、それだけなのだから。あれですよ、「パ◯チラは良いけど、パ◯モロは駄目」とか、「脚は細め(太め)が好み」とか、そういう違い。

 

 ただ、ブログを書くことに対しては、僕はもうちょっと期待している。別に自分の文章が優れているとか、誰かの価値観を激変させるとかは、毛ほども思わないけれど、何か少しでも、「共感や気付きを与えられたらいいな」程度には思っている。

 やはり、ネット上にまとまった文章を発信する以上は、誰かに読んでもらいたいし、賛否に関わらず突っ込みをもらいたい。そこでやりとりができれば嬉しいし、それがお互いにとって気付きのあるものとなれば、それ以上のことはない。

 ブログを、書くことと、読むこと。いずれにせよ、過剰な期待は禁物だ。何事も、程々に。どこかの誰かの突っ込みを焦がれつつ、パ◯チラにも少しの期待を持ちながら、僕は今日もネットの海を徘徊するのです。