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「思考」という導火線に火を点ける「感情」


 近頃、いろんな人のブログを読んで、いろんなことを考えて、良い感じに頭の中がごっちゃになってきたので、少し思考の整理をば。ある種のトランス状態。うぼあ。

 

 とりあえず、今、考えて思いついたことをつらつらと。

 

「考える」きっかけ

 人が何かを「考える」きっかけには、いろいろなものがある。疑問を解き明かそうとしたり、得た知識を吟味したり、問題提起をしたり。まあ些細な事象まで取り上げれば、人間、常に何かしらを思考している訳ですが。

 

 その「考える」きっかけとして、何らかの「感情」が伴うことは少なくない。「確かにその通りだ!いいね!」という肯定的なものから、「は?それはおかしいだろ!ふざけんな!」という否定的なものまで、感情の振れ幅も含めて様々だ。そんな、感情が高ぶった時こそ、物事を真剣に「思考」するチャンスだと思う。

 

「感情」を根っこに「思考」する

 しかし、議論や言い争いの場においては、「感情的になるな」と諭されがちだ。事実、これは正しい。感情的に思ったことを全てぶちまけるのは理性的ではないし、そんな状況で生産性など生み出せるはずもない。

 

 一方で、ブログなど、ネット上の議論では、この「感情」も使い方次第なのではないか、と僕は思う。リアルタイムで話が進む場合と異なり、自分のペースで思考し、意見を発信できる。制限時間がないので、感情的にどばーっと書き出した後で、冷静な状態でそれを推敲することも可能だ。

 

 つまり、自分のタイミングで主張のできるブログメディアでは、「感情的な自分」と「冷静な自分」、その二面性を駆使して情報発信することも可能ということだ。

 例えば、記事の前半では「ふざけんなこのやろおおおおお!」などと猛っている人が、後半では「あ、すんません、冷静になってみたら、こんなこと考えました」という感じになっていてもいいと思う。

(便宜上、「議論」と書いたけれど、議論を前提としない自己主張でも同じかと)

 

どうせなら思いっきり肩をぶつけられたい

 なぜこんなことを考えたのかというと、主張は持っているはずなのに、ボソッと呟くだけで終わりにしている人を見ていて、もったいないなーと思ったので。余計なお世話かもしれないけれど。

 

 Twitterやはてなブックマークでの言及を見ていると、何かしらの記事を引用してツッコミを入れる時、自分の主張を上手く要約して呟く人はそこそこ存在する。収まりきらない時は、続けてツイートしている人も少なくない。

 一方で、「いいね!」とか「つまらん」とか、一言だけボソッと呟いて去って行ってしまう人が少なからずいるのも確か。読んで感じることがあるなら言って欲しいし、それによって気付きを得ることだってあると思う。何もかも、読んでそれで終わり、ではもったいない。

  

 というのも、自分が書き手になって、最近感じるようになったので。ツッコミがあれば、余程の罵詈雑言でなければ批判でも何でも嬉しいし、「そういうのもあるのか!」と考えさせられることも多い。もちろん、読んだ全ての記事に言及しろなんて無理な話だろうし、ちょっと気になった2、3個の話題について話してみるのもおもしろいんじゃないかと思う。通りすがりに肩をぶつけてはいさよなら、じゃなくて、「俺はこういうところが気に喰わないから肩ぶつけてやったんだぞ文句あるかコラァ!」の方が良いと思う。

 

ブログという「場」 

 「思考」を導火線に例えれば、きっかけとなる火元は「感情」、その至る先=点火が、結論。火を点けて、でも考えずすぐに鎮火させてしまうんじゃなくて、考えて、自分なりの結論を出すことで、花火か何かがどーん!と打ち上がるんだと思う。それが行き過ぎると「炎上」になるんだろうけれど、点火した火が、また別の人の導火線に繋がることだってあるかもしれないし。

 

 掲示板やまとめサイトが感情の吹き溜まりとなっている今、立場に関係なくまともに自己主張ができる場所は限られてきているように感じる。Twitterは文字数制限があるし、他のSNSは馴れ合いになりがちだ。ならば、ブログでしかできない(かもしれない)ことを積極的にやっていくのもいいんじゃないかな。

 

 こういうことを書くと、意識高い系がどうのとか言われるかもしれないけれど、こんなことも考えましたよ、ってことで。いつか実際にツッコミを入れられまくった結果、くじけて泣いてたら笑ってやってください。

 

 「どうかせん」と、「どげんかせん」は、似ている。