巷で話題のソーシャルメディアウィーク、その3日目に参加してきました。なんとか代休が取れてよかった…!(ソーシャルメディアウィークに関しては、公式サイトを参照)
聴講したのは、「マスって何?~メディアの価値をどう作るか~」。
スピーカーは4名。山田亜紀子さん(朝日新聞)、杉本誠司さん(ニワンゴ)、田端信太郎さん(NHN Japan)、須田伸さん(Facebook)。
講演の内容に関しては、こちらのTogetterがすごく分かりやすくまとめています。じきに動画も見れるようになるんじゃないかな。
議論された話を全てまとめようとすると、ぐだぐだになりそう…というかなる。絶対に。なので、ここでは自分が聴いていて印象に残った内容を、自身の考えと共にかいつまんで記録します。
「メディア」と「プラットフォーム」
個人的に聴いていて興味深かったのは、ソーシャルメディアが「メディア」であるか、「プラットフォーム」であるか、という話。
新聞やテレビといった従来のマスメディアは、「情報」というコンテンツを発信することで、大衆に働きかけるメディアとしての役割を果たしてきた。それは今も変わらない。
一方、多くのソーシャルメディアは、それ自体がコンテンツを創り出している訳ではない。情報であったり、作品であったり、コンテンツを創造するのは、そこにいるユーザー達だ。
そういう意味で、ソーシャルメディアは自らコンテンツを生み出さないが、コンテンツが集まる「プラットフォーム」であると言える。
現在のソーシャルメディアに関しては正直、様々な要素がが入り乱れ過ぎて、訳が分からなくなっていた印象が強い。個々人のユーザーはもちろん、従来のマスメディアや企業団体などなど。
そこで、なるほど、と思ったのは、杉本さんの指摘。
Facebook、ニコニコ動画、LINEは、どれもコンテンツを自ら作らないプラットフォームであり、そこに集まったコンテンツが「マス」と化す。自分たちが行なっているのは、あくまでも「場作り」。
※自分のメモを参照しているので正確ではありませんが、文脈は合っているかと。
ソーシャルメディアは、人とコンテンツが集まる「プラットフォーム」であると同時に、そこにいるユーザー個人個人が「メディア」として活動する「場」である。
そう考えると合点がいく。それ全体ではメディアとしての機能は持っていないが、その内部でコンテンツを作り、発信する人たちの存在は、「メディア」と呼ばれるものなのではないか。
「コンテンツ」と「コミュニケーション」
もう一点、面白かったのが、田端さんが話していたマスメディアの使い方。
田端「マスメディアって自分用じゃないからいい。僕は朝のテレビと電車の中吊りは必ず見る。世の中と自分の距離感を見るソナーとして。FBのTLやツイッターだけだとふと不安になる。世の中とどれだけずれてんのかな、と」 #smwtok
— 朝日新聞デジタル (@asahicom) 2013年2月20日
SNS、特にTwitterでは、自分が興味のある人をフォローするため、流れてくる情報も基本的には自身の趣味や関心などの内容に偏ってくる。
そんな時に、世の中の、大衆の興味関心を知るための手段として、マスメディアは自分にとって良い役割を果たしている、と。
思わず頷くくらいに同意。僕もマスメディアの情報を参照する機会は昔と比べて減ったが、朝晩のニュースは意識して見るようにしている。そうしないと、話についていけないことがあるからだ。
この話に関連して、同じく田端さんが「コンテンツとコミュニケーションの境界が曖昧になっている」という指摘をしていた。
コンテンツが消費物として軽視され、コミュニケーションが目的となっているのではないか、と。
日本社会は同調圧力が特に強いとよく言われるが、消費されるコンテンツとそれに対する態度を見ていても、確かに否めない。
「みんなが見ているから」「流行っているから」という理由でコンテンツに触れ、消費し、話題に上がらなくなれば忘れてしまうような、そのような流れが当たり前になってしまっているように感じる。
人によって興味関心の違いはあって当然なのに、「他の人が気にしているから」が興味を持つ理由になっている。本当にひとつひとつのコンテンツが好きで触れているのは、それこそオタクと呼ばれるような人たちだけなんじゃないだろうか。
ソーシャルメディアの議論とは少し外れた内容だけど、そういえばおかしいよね、と強く印象に残った話でした。
メディアの価値の作り方
80分以上に及ぶ議論はとても刺激的で、考えさせられることも多い内容でした。最終的に、「まとめは会場の皆さん個人で!」という形で閉められたので、自分なりに考えてみようと思う。
価値あるメディアの作り方。その答えは、後半幾度も語られていた「最適化」という言葉が鍵だと思う。
誰もが同じ番組を見て、同じ情報を入手していたのは過去のこと。インターネットとソーシャルメディアの隆盛によって、個人個人があらゆる情報を取捨選択できるようになった。
そんな現状で、新しいメディアを作るのに必要なのは、まずターゲットを決めることと、その対象=ユーザーに対して最適な媒体であり続けること。そして、唯一無二の存在であることだと思う。
いまだに強い同調圧力が存在し、数多くのコンテンツが消費されては消えていく一方で、ニッチなものがあちこちで注目されているのも事実。
情報が溢れかえったインターネットで、人の興味関心はかつてないほどに細分化されている。それに呼応するように専門性の高いSNSが生まれ、動画投稿サイトの中でもジャンルごとに雰囲気の違うグループが形成されている。
そのような状況で強いメディアたりうるには、予め絞ったターゲットユーザーに対して門戸を開き、彼らが常に満足していられるような「場」を作ること。そして、そうあり続けるために試行錯誤を繰り返すこと。つまり、「最適化」された状態になること。
ここ数年のソーシャルメディア界隈を見ると、どんどん新しいサービスが生まれており、ユーザーの移動も活発だ。他のサービスに取って代わられないためにも、これからのメディアはユーザーにとっての唯一無二であるよう、努力し続ける必要があるんじゃないだろうか。