不便は手間だが役に立つ|無駄や回り道を楽しむ発想法『不便益の本』


ある日、新宿駅で友人と待ち合わせたときのこと。

歌舞伎町方面から歩いてきた僕を見て「買い物でもしてたの?」と問われ、「池袋から歩いてきた」と言うと、驚いた顔をされた。友人曰く、「コスパ悪いし、疲れるだけじゃね?」と。──うん、まっことそのとおりである。

たしかに、電車にバスにタクシーといった移動手段が充実している東京23区で、わざわざ歩いて目的地に向かおうという人はそう多くはない*1。実際、池袋~新宿間だったら、埼京線を使えば5分の距離。片道154円で安く速く移動することができる。それが徒歩だと片道1時間はかかるのだから、コスパの悪さは言うまでもないでしょう。疲れるし。

じゃあどうして体力を浪費してまで歩くのかといえば、純粋に「好きだから」というところに落ち着く。歩くのが好き。お店を新規開拓するのが楽しい。徐々に街並みが変化していく様がおもしろい。最短距離をとっとこ歩くのもいいけれど、脇道に逸れてみるとより一層楽しめる。

自分にとってはそのような魅力がある街歩きだけれど、「コスパが悪い」「不便だ」という指摘もよくわかる。そりゃ僕だって、常に徒歩で移動しているわけではないけれど、実際問題、寄り道することで無駄にお金を使ってしまうことも多いので。電車のほうが安く済むということもしばしば。

人によっては「不便」に見える街歩きも、自分にとっては「楽しい」もの。要するに興味関心や趣味嗜好の違いでしかなく、特に深く考える問題でもない──と思っていたのだけれど。

聞くところによれば、その「不便」について研究している人がいるらしい。

本書『ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便を取り入れてみてはどうですか?~不便益という発想』は、そんな「不便であるからこそ得られる益」を研究する、京都大学デザイン学ユニット教授・川上浩司さんの著書です。ながい!

やたらと長い書名も、この「不便益」の発想をもとに名づけたのだとか。読んでみたところ想像以上におもしろかったので、感想とあわせてざっくりと紹介させていただきます。

 

不便は手間だが役に立つ

書名にも踊っている「不便益」という言葉。耳慣れない表現ではあるけれど、そもそもどういった意味を持っているのだろうか。

端的に言えば、「不便であるからこそ得られる効用」のこと。見るからに非効率なのに、非効率ゆえに役立つモノ・コトを指して、筆者は「不便益」と称しています。そのうえで、「『便利なこと=豊かなこと』なのか?」という疑問に始まり、「不便益」の実例を紹介しつつ、その考え方を紐解いていく──それが、本書の大まかな流れとなっています。

私自身は、不便だからこその効用が得られる、新しいシステムをデザインするための方法論を作りたいと思っています。それを目的として集めた事例と、役立てるための考察が、本書の内容です。

そしてそれは、日々の生活を「不便益」という視点で捉え、発想を転換する思考法にもなりえます。

「当たり前」だと思っていることを見つめ直すこと。本当に必要かどうかを問いただす目を持つこと。「不便から生まれる益」を考えることは、日常生活における発想の転換にもつながるのです。

(川上浩司著『ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便をとり入れてみてはどうですか? ~不便益という発想』Kindle版 No.197より)

たとえば、アクセスが難しい山奥にある秘湯。不便でしかない立地は、見方を変えれば「行きづらい場所にあるからこそ魅力的に映る」場所であり、だからこそ訪れた人に特別な体験を提供しているとも考えられる。

あるいは、フィルムカメラ。何枚でも写真が撮れるデジカメと比べると、枚数制限はあるしフィルム代はかかるしとコスパは悪い。けれど、それゆえに一枚一枚を丁寧に撮ろうという気になるし、のちに見返したときの思い入れも大きく、撮影したときの記憶が鮮明に思い出せる。

本書ではこのような不便益の例を挙げつつも、一方で筆者は、ただし「『便利』と『不便』は状況に依存する」とも書いています。

たとえば、AT車がメジャーな現代でも、悪路を走るときはMT車のほうが便利に感じるように。また、AT車はドライバーに求める技量や労力が少なく楽に運転できる一方で、その安心と油断が事故につながる可能性も否めないという見方もできます*2

というか、MT車と聞くとなんとなく「不便(面倒)」なイメージもあるけれど、そう感じていない人も多いはず。僕自身もそうだし、「MT車=運転が楽ではない=不便」は必ずしもイコールではないと思う。逆に、前述の悪路の例もあるため、「AT車=運転が楽=便利」とも言い切れない。

つまり、目的によって便利と不便は逆転するし、楽か否かはその人の主観によっても異なってくると考えられる。しかし、ケースバイケースで片づけてしまっては、「不便であるからこそ得られる効用」である「不便益」の説明ができなくなる。では、どのように考えればいいのだろう。

そこで筆者は、「楽じゃないけど楽しい」ものを「不便益」の事例として示しつつ、それらに通底する考え方を紹介。ただ単に手間を省くだけで、時にはデメリットともなり得る「便利」の意義を問い直しながら、「不便は手間だが役に立つ」という考えのもと、その魅力に迫っています。

「益をもたらす不便」が持つ6つの性質

バリアフリーでなく、むしろ段差などの “バリア” を設置したデイサービスセンター。自分では拾わず、近くの人間にゴミを拾うように促すゴミ箱ロボット。詳細なルートを示さない観光ナビ。陸路ではたどり着けない旅館──などなど。

本書ではこのような、「あえて制限を設けることで効用が得られる」事例を複数取り上げ、その共通点や考え方を分析。そのうえで、これら「益をもたらす不便」には次のような性質があるとして、「不便」の魅力を紐解いていく流れになっています。

①アイデンティティを与える

「陸路ではたどり着けない旅館」や「アクセスが難しい山奥にある秘湯」が当てはまる。立地はそれだけでアイデンティティとなるものの、移動が便利になることで現れるデメリットまでは思い至らなかったので、なるほどと思った。

曰く、交通網が整うことで「旅行に来るハードルが下がる」ということは、「出ていくハードルも下がる」とのこと。“目的地ではなく通過点にすることが簡単になる”──つまり、「いつでも行ける」からこそ足が遠のき、むしろ秘境のほうが再訪されやすい場合もあるそうです。

②キレイに汚れる

「履き古したジーンズの掠れ」や「辞書のクタクタ感や付箋や手垢」など。

紙の辞書では、電子辞書のように一発で目的の単語を検索することはできないが、辞書を引く過程で新たな単語との出会いや、過去に調べた自分の痕跡を認めることができる。そこには「連続性をたどること」の魅力がある、と指摘しています。

③回り道、成長が許される

前項の辞書にも当てはまりますが、最適な行動系列から外れ、ちょっとだけ道に迷ってみることで、新しい街並みを発見したり、自分しか知らない近道を見つけたりできる

「結果」だけをもたらす「便利」とは逆に、「過程」を追う必要がある「不便」ならではの性質と言えそうですね。

④リアリティと安心

ここでは車のドアロックを例として、「自分の手で鍵穴に挿してねじる」ほうが安心できると説明。

リモコン式の鍵は便利だけれど、ハザードランプの点滅だけでは鍵がかかったかどうか不安になってしまう人もいる。その点、自分の手首を回して鍵を閉めれば、直に反作用が感じられるので安心できる、とのこと。これは、MT車ならではの「自分で運転している感覚」ともつながりそう。

⑤価値、ありがたみ、意味

前述の「フィルムカメラ」が当てはまる。

大量の写真を撮るだけ撮って満足してしまう(人もいる)デジタルカメラに対して、一写入魂のフィルムカメラは記憶に残りやすい。最近「写ルンです」やフィルム風のカメラアプリが若者に人気な理由も、「不便益」に求められるのではないかと書いています。

⑥タンジブルである

④と被りますが、「カセットテープ」や「洗濯板」がそう。

ボタンひとつで再生できるものの、物理的に説明できないデジタルデータに対して、四角いモノを装置に入れて、こちらの指示に反応し、中を覗けば回り始めるのが見える。目で見て動きを確認し、なんとなくでも理解できるものは、ある種の「体験」としての楽しさがあります。

「過程」を楽しむことで自分が変わる

フィルムカメラにカセットテープ、さらには洗濯板まで出てくると、どうも懐古主義的な雰囲気が感じられますが、本書ではそれをはっきりと否定しています。……というか、しつこいほどに何度も「違うよ!」と書かれているので、そうツッコまれやすいのかしら。

どちらが良い悪いではなく、「不便」と「便利」は表裏一体。上に挙げた「不便であることの益」がある一方で、「不便であることの不益」も当然ある。でも同様に、「便利であることの益」がある一方で、「便利であることの不益」もある。つまり、本書は「不便益」をテーマとした本であると同時に、「便利・不便とは何か」を徹底して考える本でもあるわけです。

少し話が逸れますが、20代前半の頃の自分を振り返ってみると、とにかく最短距離で「正解」にたどり着こうとしていた印象がある。何事においてもマニュアルを読みこみ、ハウツー本やビジネス書を読みあさり、先人の成功体験ばかりを追いかけていた感じ。

当時よく参照していたハウツー本やビジネス書は、まさに本書で言う「便利」なものだった。すでに確立された方法を参考に、そのとおりにすればいいのだから。その過程もわかりやすく書かれているため、自分で考える必要はない。一種の「攻略本」感覚で読んでいたように思う。

──まあ当然、そう簡単にそのとおりに事が運ぶはずもなく、あれこれと試行錯誤をする必要が出てくるのですが。

そこで実感したのが、ただ無為に「便利」なものを享受しているだけでは、必ずどこかで粗が出てくるということ。最短距離で「結果」を出すにしても、その「過程」は自分で作り、積み上げなければならない。 “人の褌” は便利だけれど、それだけで “相撲を取” り続けることはできないのだ。

学習とはすべて、「自分の時間や手間をかけて、自分が変わることにリアリティーを与える作業」です。

努力をせずに自分が変わる。そして、自分を変えた主体が自分ではない。

そのような状態を、本当に人は喜ぶのでしょうか?

(同書Kindle版 No.260より)

つまるところ「便利」とは、良くも悪くも「最短で結果を持ってくる」ことなのではないだろうか。

もちろん、日常生活では、最短で結果を必要とする場面も多い。今やあらゆる「便利」に囲まれて生活するのが当たり前となっているし、機械やサービスの効率化・自動化によって快適に暮らせているという事実もある。ただ、全部を全部「便利」に肩代わりさせてしまうのも、それはそれで怖い。

不便が与える益の一つは、手間をかけ頭を使わされるという不便は、自分を変えてくれる、ということなのです。

(同書Kindle版 No.844より)

なればこそ、実生活に取り入れるかどうかはさておき、「不便益」というものさしを持っておくことは、今後の自分のためになるんじゃないかと感じました。

眼前にある「便利」は、本当に生活を良くしてくれるものなのだろうか。快適そうに見えて、行動の幅を狭めてはいないだろうか。あえて「不便」を選んだほうが、自分にとってプラスになるのではないか──。そのように「不便益」を意識するだけで、選択肢を増やすことにつながる。

実際、自分はすでに「不便益」の恩恵を受けている。冒頭に書いたような街歩きを楽しむようになった結果、それ自体が趣味になり、写真を撮るのが好きになり、歩いた日は寝つきが良くなり、電車移動ではピンときていなかった都心の地理がなんとなく頭の中で描けるようになった。

嫌々ながら「不便」を受け入れるのではなく、かと言って安易に手間を省くだけの「便利」に溺れるでもなく。「不便だけど、たーのしー!」を前提に、それを己の糧とするための考え方。選択肢の幅を広げる発想法としてだけでなく、デザインや商品企画の参考書としても使えそうな1冊です。

 

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*1:最近はコミュニティサイクルも充実していますし。

*2:参考:高齢者による踏み間違え事故 MT車の活用で事故は減らせる? - ライブドアニュース