ぐるりみち。

平成生まれのフリーライターのブログ。本・映画・マンガ・アニメの各種レビューに、旅行・グルメ・街歩き日記など。

20代のうちに「自分探しの旅」に出かけたい

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 「自分探しの旅」という言葉がある。

 

 はっきりとした定義はよくわからない。辞書を引いても、ググっても、個別の単語・慣用句としての説明が見当たらなかった。“探す”も何も、“自分”は今、ここにいるじゃないか。バックパックを担いで東南アジアに行けば、そこに“自分”がいるのかしら。

 

 ――と考えたところで、「あれ?なにゆえに“東南アジア”?」なんて思わず自問自答してしまったのだけれど。どうして急に特定地域が思い浮かんだのか……なんとなくイメージとして、大学生くらいの世代が使っている場面が想起されるような……?

 本来、そういうものだったのかどうかはわからない。僕個人の勝手な決め付けなのかもしれないけれど、「自分探し」と聞くと、そういった自己啓発的な価値観から生まれた具体的行動が思い起こされるのです。自己をより高みへと至らせるための現状確認としての、自分探し。

 

 自分探しって、なんぞや。

 

 

価値観のギャップから生まれる自認と、きっかけ作り

 「自分探しの旅」をポジティブに捉えると、要するに「『旅』という非日常に我が身を置くことで何かしらの学びを得よう」という視点がひとつ、挙げられるんじゃないかと思う。

 これまで訪れたことのない土地、文化圏に足を運び、多大なる刺激を得ようとする行為。そこで一端、自分の価値観をかき回し、あるいはリセットし、湧き上がる自分の無力さや世界の広さを“識る”ための道程。それがいわゆる、「自分探しの旅」なんじゃないかと。

 

 ――というのは今、それとなーく思いついた内容だけど、一面的には間違っていないんじゃないかと思います。こんな説明もありました。

人が言う自分探しとは、今の自分では出来ないような満足した充実的な生活を送れる、今の自分とは全く違う別の人間になってみたいと言う欲求だと言えます。

自分探し旅で自分は見つからない!海外女性一人旅で失敗したこと5 | 女性の美学

 ……うーむ、どうだろうか。この理屈で言うと、“リセット”というよりは“ニューゲーム”に見えなくもないですが……。

 

 それでもまあ、人生の節目において自らの価値観や趣味嗜好、得手不得手を再確認するための実際的行動として、「旅」の効用は認められるものなんじゃないかなー、と思います。今年も、そろそろ尾道に行かないと……。

 

 

 若いうちに、何かしらの行動を起こしたい。けれど、理由もきっかけもない。そんなときの一種の動機付けとして、「自分探しの旅」という理由を借りて原動力とするのは、悪くないのではないかしら。

 でも、そんな大層な“自分探し”なんて理由は、旅先ですぐに忘れちゃっても良いのです。最初の一歩を踏み出せたら、あとは思うがままにワガママに、その道行きを楽しめば良い。身体を動かし、五感を使って遠くに行った経験は、そう簡単には忘れないはずですしおすし。

 

過去の「自分」を探す旅に出かけたい

 僕自身は、もともと一人でぶらぶらと歩きまわるのが好きなため、年に何回かは夜行バスに飛び乗って見知らぬ土地をキャッキャウフフと駆けまわっているわけですが。冗談っぽく「『自分探しの旅』に行ってくるZE!」なんて言った記憶もござる。

 

 でも、“自分探し”とは言うものの、その手段が必ずしも「旅」だとは限らないとも思うのです。その土地土地の空気や文化に触れることで“まだ見ぬ自分”を発見する人もいれば、日常生活の中でこそ“日々を楽しむ自分”を再認識できる人だっているはず。

 それこそ、十人十色。「他人は自分の鏡」なんておなじみの表現にもあるように、身近な人間関係を育むことでこそ、“自分”の存在をより強く認識できる人は相当数いるんじゃないかしら。もちろん、逆に旅先の見知らぬ“他人”から“自己”を確認する人もいるでしょう。

 

 「自分探し」の方法は、人によりけり。

 ――とすれば、僕にとっての「自分探し」は、何によって成されるのだろう。

 

 そういったときに常々考えるのは、先のような「他者との関わりの中で現在の自分を認識する」のではなく、「過去の自分が育った土地土地を歩きまわることで、自分の根っこの部分を見つけられる」んじゃないかという思いであり、妄想でござる。

 

 

 転勤族として育った自分には、はっきりとした「故郷」が存在しない。「ご出身はどちらで?」と聞かれれば、出生地である「東京」と答えはするものの、過去20数年の人生における都民歴はおよそ2年といったところ。思い出も何もないのです。

 最も居住していた期間の長い「埼玉」が故郷なのか、はたまた、自我が確立された頃で思い出も多い「茨城」がそうなのか。北海道、愛知、千葉などで過ごした記憶もあり、それらは優劣を付けるものではないとも思える。

 

 断片的な思い出・記憶はあるけれど、それも今となってはバラバラになったパズルのような。順序立てて辿ることは難しく、どういった経験が、現在の自分にどのような影響を与えているのかはわからない。本とか音楽とかは覚えているのにねー。

 であるならば、自分がもし何かの折に「自分探しの旅」をしようとするのなら、まったくの異文化圏に飛び込むというよりは、過去に過ごしたことのある街を辿って歩くほうが、思い出される記憶があるかもしれないし、なんとなく意義があるんじゃないかと思ったのでございます。

 

 というか単純に、おもしろそう。ほら、RPGの終盤でたまにあるじゃないっすか。それまで訪れてきた街々をめぐってサブイベントをこなし、装備を整えつつ、ゲームの終わりを予感させるような流れ。あんな感じ。……でもその流れで言ったら、これ終わった後に死ぬ展開じゃないですかー! やだー!

 

 そんなわけで、「自分探しの旅」という単語から考えたことをつらつらと書いただけの記事でした。もし自分にとって意味のある「自分探しの旅」なんてものがあるとしたら、それはきっと「“過去の”自分探しの旅」になるんじゃないかと思った次第であります。はい。

 

 

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