読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ぐるりみち。

日々日々、めぐって、遠まわり。

“人工知能”と“ネット”の話〜永遠に電子の海を泳ぎ続けることはできる?

f:id:ornith:20150430002325p:plain映画『楽園追放 -Expelled from Paradise-』より

 

 

 ちょっと前にこんな記事を書きました。死後のSNSアカウントやブログの行方について。突如更新の途絶えたサイトから感じる、ある種のやるせなさと寂寥感、そして畏敬の念。いつか電子の海の彼方で藻屑となって消えるのだとしても、一人の「ネット好き」として、生きていた人の残滓が欠片でも遺ってくれたらいいな、と。そんなお話。まあ遺されたら困るログも少なからずあるでしょうが。HAHAHA!

 それと関連してふと考えたのが、「自分の特性を持った人格を人工知能としてインターネット上に再生し、永遠に電子の海を泳ぎ続けることは可能なんだろうか」というお話。なんかSFチックというか、ディストピア臭がする気がしなくもないけれど。

 

 

自分の分身をウェブ上に残すことってできるの?

 冒頭に挙げた「ログ」として遺る生前の記録とは別に、「自身の仮想人格をウェブ上に残すことは可能なんだろうか?」という疑問。ハンドルネームを使ったSNSアカウントも時に「仮想人格」と例えられることはあるけれど、そうではなく。

 自分という個人が操り、場合によっては演じる意味での“仮想の人格”じゃなくて、自律的に活動し、周囲の反応にもそれぞれ対応し、さらにはベースとなる個人の思想感情を元に自ら「思考」するような、そんな人格。一口に言えば、「考えて動く“自分の分身”をインターネット上に召喚することってできるの?」という話。

 

 もちろん、『マトリックス』や『攻殻機動隊』、『楽園追放 -Expelled from Paradise-』のように現実世界とは完全に切り離された状態で、人間が仮想空間や電脳世界に住まうような話ではなく。いや、そこまでできれば個人的にはすっごい楽しそうなんだけど、現実的じゃないですしおすし。そもそも科学的に可能なんです?

 そうじゃなくて――例えるなら、Twitterのbotが高性能になったような感じ。他にはSiriさんとか。定期的に発話し、周囲からの問いかけにも決められた応対を繰り返すだけではなく、根っこにある行動原理から「この人格ならこう言うだろう」という内容を導き出して便宜対応するような。

 

 そっち系の技術に関しては常識レベルから門外漢でさっぱりなのでわからないのだけれど、純粋に「仮想人格を創り出せるか否か」という点で見れば、人工知能の分野になるのかしら。それこそ『鉄腕アトム』とか『イヴの時間』とか……『ベイマックス』は見てないや……アルターエゴかわいいぺろぺろ……あとは、『ターミネーター』?たとえ死んでも、将来的に電脳世界にアイル・ビー・バックできるなら素敵だと思う。

 

f:id:ornith:20150430001122p:plain
映画『ターミネーター2』

 そういった人工知能の技術が発達すれば、「このアプリを故人のTwitterアカウントで認証すれば、過去のツイートを分析してその人をタイムライン上に蘇らせることができます!」なんてことにもなっちゃうんです? 結構な問題も噴出しそうだけど。

 特定個人の人格を投影し活動する、言うなれば「じぶんbot」のような。自分とは切り離された「誰でもない誰か」ではあるものの、生前と近い思考を持った別人格。Twitterに限らず、Facebookやブログなどで長期に渡る記録が遺されていれば、あるいは――?

 

“再生”された人格はオリジナルと同一の人格になるのか

 ――と、そんなことを考えつつ適当に検索していたら、既にGoogleさんが動いていたらしい。わぁい。

 

 

 「技術は完成していないけれど、システムの特許は取得しておこう」といった流れなのかしら。故人の情報を分析して構成された、あるいは自分好みにカスタマイズされた特定の“性格”を、ロボットに植え付ける。SF作品に慣れたせいかもしれないけれど、さほど荒唐無稽とは感じない。

 でも考えてみれば、インターネット上のあらゆる情報を記録・分析し、最適解を「検索」する技術を擁しているGoogleらしいと言うか、まさにぴったりの特許であるように思えなくもない。長い人は既に10年以上のスパンで自らの思考をネット上に記録しているため、それらを分析することでその人に限りなく近い「人格」をインストールすることも、将来的にはできるようになるんじゃ……?

 

 

 そこまで行けば、記事中でも言及されているような「2045年問題」、技術的特異点*1も現実味を帯びてくるというか、その段階で取り返しの付かない段階まで行っちゃっているのかもしれないけれど、それはまた別の話っすね。

 ただ個人的には、特定個人の別人格をウェブ上に“再生”する技術が発展すれば試してみたいし、楽しそうだなーと軽く考えてはおります。そのくらいにはインターネットが好きなので、自分が死んでも、「自分と似た誰か」がゆるふわーと電子の海を漂ってくれていればいいな、と。

 

 でもきっと、それは「自分と似た誰か」であると同時に、ゆくゆくは「自分ではない誰か」になっていくものなんだろうとも思う。別人格として分かたれた瞬間は同一かもしれないけれど、その後の経験は別のもの。だから、その「彼」は間違いなく自分ではないし、ある意味では我が子のような存在になるのかもしれない。――それはそれで、おもしろそうじゃありませんかね?

 

 

関連記事