ぐるりみち。

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大人になった今だから、めいいっぱい「2周目」を楽しみたい

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0% 0% 0%とは - ニコニコ大百科

 僕は、ゲームの周回プレイができない子でした。だって、積みゲーがいっぱいあるんだもの。早くクリアしなくちゃ、話題の旬が過ぎちゃうんだもん……。

 コンテンツの消費速度が上がっているように感じる今日この頃。積みゲーや積ん読を“消化”するべく、同じ作品を繰り返す読む機会が減っているように思う。でも一方では、時間を置いて、大人になった今だからこそ、あらゆる作品の「2周目」を楽しむことができるのではないかしら。そんなことを思って、書いてみました。

  

周回プレイは時間的に厳しい

 小学生時代は、限られた本数のゲームソフトを繰り返し遊んでいた思い出がある。ポケモンのストーリーを再体験するべく、レポートをせずに“さいしょからはじめ”たり、アクションゲームではセーブデータをすべて100%で埋めようとしてみたり。人生で一番周回プレイをしたのは間違いなく、『星のカービィSDX』。例のアレ*1は仕様なんじゃないかと錯覚するレベル。

 

 

 しかし、中学・高校生と成長し、ある程度は金銭的な余裕ができるようになると、徐々にゲームは「消費」の側面を帯びてくるようになる。“できるだけ長い時間”をかけてプレイしようとするのではなく、“できるだけ多くのソフト”をプレイするような方向へ。

 1本のRPGをクリアするのに数十時間を費やすと考えれば、ゲームに割くことのできる時間はさらに限られてくる。学校も勉強も部活もあるんだよ。周回プレイをしないと全クリできないようなゲーム(テイルズとか)もあったけれど、さすがに続かなかった。時間的に厳しいっす。

 

 作りこまれたゲームなどでは、「2周目」をプレイすることで、1周目とは違った視点から楽しむことができる場合もある。1周目には気付かなかった伏線の張り方に感嘆したり、キャラクターの立ち位置を把握した上で心情を慮り、強く共感したり。

 ただ、他のソフトが「積みゲー」として傍らにある状態では集中しづらいし、直前にプレイしたばかりの内容をなぞっているだけでは飽きてきてしまう。そのような理由から、当時はゲームの「2周目」をあまり楽しむことができていなかったように思います。その点カービィってすげぇよな。2周目までドキドキだもん(“0%”の恐怖)。

 

大人になった今だから、「2周目」を楽しめる?

 ゲームに関して言えば、ここ数年、携帯機で過去の作品の「リメイク」が数多く出ています。直近だと、『ムジュラの仮面』とか。64のゼルダ、良いよね。僕は友達の家で後ろからプレイを見ていただけですが。なぜかサリアの歌だけ妙に覚えてる。

 そんなリメイク作品は、グラフィックが変わっていたり追加要素があったりするため、正確には過去作品とは別のもの、と受け取れなくもない。でも、何年、何十年も前にクリアしたゲームを最新ハードでプレイするそれは、一種の「2周目」とも言えるのではないかしら。

 

 

 僕の場合は、思い出の作品と言えばやっぱり、カービィちゃん。1996年に自分が初めてプレイしたスーファミソフトが、12年の時を経て、ニンテンドーDSで遊べる*2という感動。追加のステージなども盛りだくさんで、当時は大学生ながらむちゃくちゃハマっていた記憶があります。

 追加要素を除いても、12年も経てば、細部の内容は忘れているもの。「そういえばこんなのあった!」と思い出して興奮したり、「これってこういう意味だったのか……」と新たな発見があったり。子供の頃、特にまだ幼いときにプレイしたゲームって、当時は理解のできなかった「言葉」や「ネタ」が結構あるんですよね。“えちごやのおかし”とか。

 

 そう、大人になった今だからこそ、改めてプレイする「2周目」は、とんでもなく楽しい。

 10年、20年も経っていれば記憶は曖昧なものだし、それだけの時間経過があれば、下手すりゃ自分だって別人のようなもの。そのような「違い」の中からも、当時の興奮を思い出し、また他方では、新しい発見を得ることができる。時間を置けば置いた分だけ、刺激的で魅力的な「2周目」の体験ができるのかもしれない。

 

何にでも当てはまる、「2周目」のススメ

 このような「2周目」の楽しみは、何もゲームに限ったものではありません。マンガでも、映画でも、小説でも、何にでも当てはまるのではないかしら。

 身近な例で言えば、アレ。“部屋の掃除中、目に入ったマンガを最初から最後まで読み耽ってしまう”現象とか。「うわー!なつかしー!」と気になって、なんだかんだで読みきってしまうのも、ある意味で「◯周目」的な楽しみを持っているのでは。ちょっと違うか。

 

 いつかの記事にも書いたかもしれないけれど、読んだそのとき、その瞬間によって、抱く感想が変わる作品って意外とあると思うんですよ。

 中学時代には意味不明だった『人間失格』が、大学時代には無闇矢鱈に共感して落ち込んでしまったとか、それまでは「好きな一曲」に過ぎなかったある歌を、失恋中に聴いたらなぜか耳に残って大好きになってしまったとか。ひとつの作品に関して、常に同じ感想を抱くことって、むしろ珍しいことなんじゃ……?

 

 つまり何が言いたいかというと、「最新の流行や考え方を追いかけるのもいいけれど、たまには既存のモノを振り返って、『2周目』を楽しんでみるのも悪くないんじゃない?」という話。というか、自分がそれをなかなかできていないので、自身に言い聞かせるような意味で。再読、再視聴、リプレイのススメ。

 自分は変わっても、そこにある「作品」や「コンテンツ」は、基本的には変わらないもの。リメイクやアレンジという形で微妙に姿を変えることはあっても、根本的な部分は何も変わらないのだと思う。

 だからこそ、あるコンテンツの「2周目」を体験することによって、昔の自分と今の自分を比較し、その変化に気付かされることもあるのではないかしら。そんなコンテンツの楽しみ方だってあると思うし、そんなことを考えずとも、時間を置いて好きな作品に再度触れてみるのは、純粋に楽しい。

 

 とりあえず今、ふと気になったのは、「時代の変化や個人の成長によって、◯◯派の割合、好みは変化するのか」ということ。

 アスカvsレイ、ビアンカvsフローラ、東城vs西野、などなど、ヒロイン(ヒーロー)の派閥争いはいつの世も絶えないもの。あまり表立って出てくることはないけれど、「久しぶりに読んでみたら好みが変わってた」なんてことも少なからずあるのでは……?

 

 

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