ぐるりみち。

日々日々、めぐって、遠まわり。

“考える”を考え、“思う”を思い、“考えさせられる”から始める

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photo by Erik Daniel Drost

 人間の「考える」行為は、ほかの何よりもお手軽にできるもの。

 道具を必要とせず、他人やモノといった、働き変える対象も必要ない。手足などの身体の一部を動かすことも要求されず、意識さえあれば、金縛り状態でも行使することが可能。「(やべえ体動かねえんだけどどうすっぺこれ)」と考えたところで、どうにかなるもんでもないけど。

 あまりに自然な行為すぎて、普段は意識することもない「考える」作業。今、パンツ一丁でパソコンに向かってキーボードをポチポチしながらも、次の文章を “考え” ているわけですが、「あー、ぼく、いま、ちょーかんがえてるわー」なんて意識はございません。それより、扇風機先生、がんば。

 「考える」って、なんじゃろう。考えてみよう。

 

「考える」と「カンガルー」は似ている

 「ことば」について記事にするときのお約束。まずは、いつものように辞典サイトを参照しませう。……し、思考停止じゃないよ! こここ、これから考えるんだし。

 

1. 知識や経験などに基づいて、筋道を立てて頭を働かせる。

  • 判断する。結論を導き出す。「こうするのが正しいと―・える」「解決の方法を―・える」「よく―・えてから返事をする」
  • 予測する。予想する。想像する。「―・えたとおりに事が運ぶ」「―・えられないことが起こる」
  • 意図する。決意する。「留学しようと―・える」「結婚を―・える」

2. 関係する事柄や事情について、あれこれと思いをめぐらす。「周囲の状況を―・えて行動する」「くよくよ―・えてもしかたがない」

3. 工夫する。工夫してつくり出す。「新しいデザインを―・える」

 

 とりあえず、多くの人が日常的に行なっている行為としての「考える」に当てはまりそうな部分を抜粋しました。

 ひとつめに関しては、 “知識や経験”“筋道を立てて” という文言を見ると、ちょっと大層なもののように読めなくもないけれど、自然とやっている行為ですよね。

 仕事上の諸々の判断だとか、「どうせ遅刻する人がいるから、集合時間ジャストに到着するように行こう」なんてのも “予測” だし、「あれしたいこれしたい!」なんてのは、 “意図” になりますでしょうか。

 

 ふたつめは、前者と比べると、雑多なイメージ。論理や筋道はとりあえず横に置いといて、「こういう風に考えられるけど、ああいう風にも、いやでもこんな考え方も……」とごちゃごちゃしているような。ウェブ上で見かける「考える」って、意外とこれが多いんじゃ……?

 みっつめは、「創造」の観点から見た「考える」行為。クリエイティブなもの。 “考え” たその結果が、明確な実体として現れやすいのが、こちらかしら。論理や思考というよりも、創造性の分野。

 こうして見ると、僕らはいろいろな観点から日頃、モノを “考え” ているようですね。当たり前と言えば、当たり前だけど。よーくかんがえよー? おかねは大事だよ―?(至言)

 

感じるんじゃない、考えるんだ

 さて、ざっくりとした意味を確認したところで、もうひとつ。上記の解説ページを読んでいる中に、おもしろい「用法」の記述がありました。

 

かんがえる・おもう――ともに精神的な活動を表す語であるが、「考える」は知的に分析することであり、「思う」は情的、感覚的な心の働きや瞬間的な判断などを示すのに用いる。「クイズの答えを考える」とはいうが「思う」とはいわない。

 

 これ、小学生の頃に作文で書いていて、なんとなーく疑問、というか面倒に感じていた人も多いんじゃないでしょうか。文末表現が「思いました」や「考えました」、あるいはほかの感情表現ばかりになってしまい、単調でやきもきするような感じ。

 今となって読んでみても、どちらかと言うと「思う」の方が、柔らかい表現であるような印象を受けます。「考えた」と書くと、頭を使って論理的に導き出したものであり、「思った」と書くと、感情本位で自然と現れてきたものであるようなイメージ。頭vs心、じゃないですが。

 

 このふたつ、おそらく、無意識に使っている人が多いんじゃないかしら。僕自身、特に意識しているつもりはありません。強いて言えば、文章の流れが自然になるように使い分けているかなー、という程度。

 また、「考える」と「思う」を比べる中で思い出したのが、「考えさせられる」という表現。何かしらのテーマ性を持った作品や、示唆に富んだ言説に対して、「これは考えさせられるものだ」と感想を抱くような形ですね。

 この表現については過去に書いているのですが(関連記事:「考えさせられる作品」を好む人、嫌う人、「考えさせられる」に関して言えば、どうも「共感」的な意味合いを含んでおり、 “考え” という言葉を含んではいるものの、感情本位の “思う” に近いような気がするのですが、どうでしょうか。

 

 こちらの記事で引用した別の記事のコメントには、次のようなものがありました。

「いままで何も考えてなかったけど、考えなきゃいけないと思った(まだ考えていない)」の省略形だよこれは。

 

 言い換えれば、「考えることを考えようと思った」

 今現在、パンツ一丁でパソコンに向かっている僕が、この記事を書き始めようとしたときの思考と全く同じですね、はい。ただ、「考えさせられる」だけでは、行動に至っていない可能性もあるので、パンツ一丁の僕の方が偉い。か、考えてるし。

 感情よりも論理の方が重要視されるべきだ、とは思いませんが、ある共感から「考える」きっかけを持ったのであれば、感情や思考を言葉にしようと “考え” てみてもいいのでは。せっかくですし。感じるんじゃない、考えるんだ*1

 

そのうち僕は考えるのをやめた

 とは言え、何かを “考え” 始めると、落とし所、いわゆる「オチ」が必要となってくるものでして。辞書の抜粋部分の1番ですね。 “判断する。結論を導き出す” 。

 ただ、日常生活で自然に行う判断・決定行為としての「考える」とは異なり、自ら「よっしゃ、考えるぞ」と “考える人” のポーズを取って思考の海に飛び込む場合は、簡単には落とし所が決まらない。というか、 “オチない” 場合の方が多いんじゃないか、まである。

 

 “関係する事柄や事情について、あれこれと思いをめぐらす” 、辞書では2番目に書かれている「考える」の場合です。生活に染み付いた、その場その場での決定を強制される1番とは異なり、ちょっと “考え” て途中でぽーい! がデフォっぽい。ぽいぽい。

 でも逆に考えれば、それはいつでもどこでも自由に行える思考活動であって、無理に落とすものでもないのかもしれない。「考えさせられました!」で終わり、では早過ぎるけれど、「考えさせられたから、ちょっと考えてみよう」と思索に耽るのは悪くない。

 

 個人的には、その思考過程を文章にすれば、意外と落とし所が見つかることもあるので、おすすめしたいところ。

 このブログを読んでくださっている方はお気づきかもしれませんが、このブログを読み返すと、「考えてみました」「考えてみませう」の書き出しから始まる記事が多いんですよね。

 その手の記事はだいたい、オチも何も考えずにパンツ一丁(以下省略)ですが、割と書いているうち、考えているうちに、「あ、この流れでいけば、こうやってまとめられるな」とオチっぽいものが思い浮かぶことも多いので、文字として、形にすることによる効果も否めないんじゃないかしら。

 

 もしくは、落とし所が見つからないなら、その場でスパッと思考を打ち切っちゃってもいいですしおすし。……そう、この記事のように。

 

 ――そして僕は、考えるのをやめた*2

 

 アレですよ、「共感」などによって感情を震わされ、こころぴょんぴょんしてきちゃったら、考えるふりしてもうちょっと近づいちゃえばいいんですよ。感情本位だっていいじゃないか。

  

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