なんじゃこりゃ。
──と思わずツッコミそうになったけれど、エンドロールで浄化された。
視聴中は「うわぁ」とか「おえぇ」とか、暗鬱とした感情を抱きながら観ていたにも関わらず、エンドロールの美しさで全てが帳消しになったような。
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『リリィ・シュシュのすべて』って?
田園の広がる地方都市で暮らす中学生の蓮見雄一は、学校で突如荒れだした同級生の星野修介にいじめを受け鬱屈した日々を送っている。唯一の救いはリリイ・シュシュというアーティストの歌を聞くこと。自ら「リリフィリア」というファンサイトを主宰し、様々なリリイファンと交流する中で【青猫】という人物に出会う。 日を追う毎に過酷になっていく現実と、リリイの歌の世界とのギャップを埋めるように【青猫】と心を通い合わせていく雄一。そしてついにリリイのライブで【青猫】と対面する。
まとめサイトやウェブ上の「おすすめ邦画」としてたまに目にするタイトル、『リリィ・シュシュのすべて』。
もう何年も前にmixiで友人に勧められ、「インターネット小説」から始まった作品という話を耳にし、ずっと関心を持っていたのだけれど……なかなか観る機会に恵まれず。たまたま先日、TSUTAYAでDVD2本の無料クーポンを手に入れたので借りてきました。
視聴前に自分が持っていた情報としては、前提となる「ネット小説」があること。「リリィ・シュシュ」なる架空のアーティストがいること。──そして、それら独特の世界観を内包した作品であり、しばしば「鬱映画」として取り上げられがちなこと。
──HAHAHA! 救われない、報われない作品なら、アニメやPCゲームで慣れきってるZE! ……と覚悟も何もせずに観始めたのですが、その暗鬱とした空気感にやられ、「なんじゃこりゃ」となりました。ってかなげえ。2時間半もあったのか。
「中学生の心の闇」を描いた作品……?
感想を書くにあたって、かるーくウェブ上での評判・考察を見て回ってみたのだけれど……そのなかでお約束のように出てくる表現が、これ。
「中学生の心の闇」いう言葉。
というか、作品紹介でそのような言い回しがされているようですね。実際に観た印象としても、いじめ・家庭崩壊・援助交際・レイプ・自殺・殺人──などなど、人間関係にまつわる問題を「これでもか!」というくらいに取り上げているように感じられた。
こうして並べてみると酷い話ばかりだけれど、かと言ってそれが「中学生の心の闇」に端を発する問題なのかどうか──と考えてみると、そうとは言い切れないんじゃないかとも思うのです。
むしろ、「田舎」や「学校」という閉鎖的なコミュニティがもたらす負の側面に焦点を当てているように思えた。本筋とは関係ないけれど、ところどころでそのようなつながりを意識する描写もあったし*1。
問題は、周囲の環境にあるのではないか。中学生の抱える「悩み」なら、どちらかと言うと色恋沙汰だとか、受験勉強だとか、そちらの方が身近な「リアル」なんじゃないだろうか。「最近の若者」がどうの、というものではないように思う。
「雄一君も最近の子供ですから、まあ何を考えているか分からないところもありますけどね」
劇中、万引きをした生徒の母親に対して、生徒指導の先生がかけた言葉。さらに序盤の家庭のシーンではテレビでバスジャックの事件が映されており、当時17歳の少年が起こした西鉄バスジャック事件*2を意識していることは間違いないはず。
しかし、このような「最近の若者は怖い」という印象をもたらす演出がなされているように見える一方で、それを語る「大人」の登場人物がどうも空虚であるように感じたのは……僕だけだろうか。
親にせよ学校の先生にせよ、本作品に登場する「大人」からは、何の思想も感情も感じられないのです。ただただ為すべきことを為しているだけのような、虚ろな存在。なんというか……血が通っていないような。
もちろん、「中学生」に焦点を当てた作品であるので、端役としての「大人」にそのような印象を持ってしまったことは否めないし、そう感じるくらい無意識にメインキャラクターに感情移入していたのかもしれない。
でも深読みしようとすれば、本作は「中学生の心の闇」にフォーカスしているようでいて、実のところはそれに気づけず、それをどうにもできず、どうにかしようともしない「大人の空虚さ」を示唆しているのではないか──とも感じられました。
子供たちをつなげるのは「リリィ・シュシュ」であり、インターネットであり、携帯電話である。しかしその結末を見れば、それらによってもたらされた “つながり” ですら、彼ら彼女らの救いとなっているようには思えない。
思い出されるのは、ピアノの音色と田園風景
そんなこんなで作品を観終えて、しばらく ( ゚д゚)ポカーン としたあとに内容を思い出そうとすると……自然と思い出されるのは、「音楽」と「背景」なんですよね。
ドス黒い物語展開に反して何よりも印象的だったのが、ピアノの音色と一面に広がる緑の色彩。それもあってか、たしかに鬱々しい作品であることは間違いないのにも関わらず、視聴後は「きれいだった」という言葉まで出てくる始末。冒頭の「なんじゃこりゃ」は、それも含めた感想でした。
ドビュッシーとリリィ・シュシュの楽曲は耳にすんなり入ってくるし、要所要所で挿入される田園風景は「美しい」の一言。
でも他方で、そのように季節でしか変化のない風景は、田舎の閉鎖性を体現していると言えなくもない。僕も何年か似た田圃道を行き来していましたが、最初は胸躍る景色も、慣れれば広いだけ。どこに行っても同じ、抜け出せないループ地獄のようなものだった。
それでもやっぱり、本作で印象深い大きな一要素であることに変わりはなく。視聴中の内心はどろどろなのに、目と耳はしあわせ、みたいな。劇場の大画面だったら、もっとすごかったんだろうな。
「耳」に関しては、もともとピアノ曲が好きなこともあって、非常に満足のいくものでした。ピアノ演奏に合唱、いいよね。ただ、視聴後にWikipediaのスタッフ欄に目を通して、びっくりしたことが一点。
ピアノ演奏: 牧野由依
「え!?」と思って確認してみたら、自分の知る牧野由依*3さんでした。声優でもあるけれど、アーティストとのしてのイメージが強い。「ウンディーネ」「スケッチブックを持ったまま」とか。ほええ……こんなところで名前を見るとは。
そんな牧野さんの演奏によるピアノと背景も合わせて、観終わってみれば、「これは良い作品だ!」と言える後味でございました。……もちろん、鬱々しくはあるけれど。
むしろキツかったのは、中盤のハンディカメラによる撮影部分。車酔いしやすい体質である自分にとって、あの手ブレは数分で気持ち悪くなってしまうものでした。休み休みじゃないと観れなかったぜよ……。
劇中で一番好きなシーン。だけど……。
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