ぐるりみち。

日々日々、めぐって、遠まわり。

変わらない日常に、「分かれ道」という選択肢を意識する

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photo by Laenulfean

 

 

 読みました。絵日記の話ではありますが、それに限らず、ブログの書き方、普段の生活の仕方のヒントにもなるんじゃないかと思いまして。

 おそらく、似たような内容の本や記事はいくらでもあるんでしょうが、ここでは自分なりに、「つまらない日常をぶっ壊す」ための方法を考えてみようと思いまする。

 

 

同じことを繰り返すだけの「日常」

 「変わらない日常がずっと続くことが一番だ」とは、良く耳にするお話。そりゃそうだ。戦争なんてごめんだし、犯罪事件に巻き込まれるのだって嫌だ。大きな自然災害が起こった結果、生活が一変するような経験も僕らは知っている。

 

 でも一方では、「代わり映えのしない日常が退屈だ」という人の言い分もよく分かる。学生時代ならば毎日決まった時間に登校し、勉学に励み、部活をし、帰宅したら飯食って、風呂入って、寝るだけの生活の繰り返し。

 企業に勤め始めてからだって、朝早くに出勤し、同じお客さんを周り、ルーチンワークをこなし、退社したら、同じく飯食って風呂入って寝る生活の繰り返し。

 

 もちろん、勉強や仕事の内容が「全く同じ」であることはなく、小さな違いはあるのだけれど、それでも、大筋は同じ作業の繰り返しはつまらない。

 その結果、「学校に隕石が直撃しないかなー」「会社にインフルエンザでも蔓延しないかなー」「交通機関ストップしないかなー」などということを考えるのだ。どうせ変わらないのならば、ちょっとしたイベントが欲しい。変化がないなら、家でだらだらしたい。

 

 そんな「普通の日」をぶち壊すには、どうすればいいのだろう。簡単だ。単純な話、いつもと違うことをしてみればいいのだ。

 

 

モノの見方、行動を変えてみる

 誰も手軽に挑戦できる、第一の方法。冒頭の記事で言えば、「日常の中に非日常を探す」がこれに当てはまるのではないかと思います。

 

 例えば、前述のような学校・会社の往復を繰り返すだけの日常においても、その内容が「全く同じ」であることはない。その日によって、学校なら時間割が違うだろうし、会社なら作業内容が異なってくる。

 毎朝、毎晩、乗る電車の時間が同じでも、そこで何をするかは自分次第だ。娯楽本を読むもいいし、 参考書で勉強してもいい。音楽を聞きながらぼーっと人間観察に励むのもありだし、延々と爆睡するのもありだ。

 

 「変わらない」と考えている日常の中にも、そのような変化・違いは存在するし、自分の行動によって、その「変わらない」は、変えられる。ならば、それを意識して生活し、行動に移せば、変化は自然と現れてくる。

 逆に言えば、現在の生活を不変の、「つまらない」ものだと感じているのなら、それも自身の行動の結果と言えるんじゃなかろうか。

 

 ずっとつまらないと感じていた作業でも、慣れてくるとそれが楽しくなってくる、なんてこともある。漢字や英語は覚えれば覚えるほどに読めるものが増えるし、同じお客さんを回るだけの営業でも、たまには違う道を通ってみるとか、変わった話題を持ち込むことで、思わぬ出会いや発見があるかもしれない。

 

 自分の話を例に挙げると、僕は英語の勉強が好きじゃなかった。将来、使うかも分からない異国の言語を学ぶ必要性を感じなかったし、単語・文法を覚えるのはかったるい。仮定法ってなんやねん。

 

 しかし、英語は受験における必須教科。これをやらねば、どうしようもない。ならば!と、いろいろ試してみた。

  単語帳を作って、1日に10単語覚える!という基本的なものから、腹筋やスクワットをしながら単語・英文を音読したり、好きな洋楽の歌詞を書き出して、意訳と文法を理解しようとしたり。勉強法としては効果があるか怪しいが、少なくとも、学習時の気分転換として、モチベーション維持には貢献していたように思う。

 

 結局のところ、全てはモノの見方・考え方次第。自分が「つまらない」と感じているままでは、そりゃあずっとそのままでっせ。それを耐えるものとして怠惰にこなすよりかは、変える努力をしてみるのも良いのではないかしら。

 自分にとって「つまらない」ものでも、それを「楽しい」と感じている人だっているかもしれない。ならば、その人の方法、考え方を参考にするのも、ひとつの選択だ。とは言え、その人の考え方と自分の考え方が必ずしも適応するとも思えないので、自身で試行錯誤を繰り返していくのが確実だろう。

 

 

出会い厨になる

 「淡々と過ぎゆく日常がつまらん!」と言うのなら、生活における最高のスパイスを加えればいい。そう、人間関係だ。

 ひとりぼっちでひたすらPCに向かっているのならともかく、生活上、どこかしらで人と顔を合わせる機会はあるはずだ。その相手がプログラムされたロボットや、RPGの街の住人ではない以上、全く同じ会話を繰り返すことなどありえない。ここは東京の街だよ。ここは東京の街だよ。

 

 新しい人間関係がもたらす新鮮さは、群を抜いている。長い間、同じ友達や仲間と過ごしていると、相手がどういう人間であるか、という評価が自分の中で固まってしまうため、会話の内容や遊び場も固定化されがちだ。それはそれで落ち着いた、良い関係ではあるかもしれないが、時に感じる、若干のマンネリも否めない。

 

 その点、新しい交友関係を持つことは、非常に刺激的なものとなる。人間関係を構築することは、試行錯誤の連続だ。相手がどのような人間であるかを理解し、自分がどのような人間であるかを提示する必要がある。

 それを「面倒だ」という人も多いかもしれないが、日々の停滞感をぶち壊すために「他人」という新しい風を呼び込むのも、選択肢のひとつでござる。

 

 

「分かれ道」という複数の選択肢

 これらの「つまらない日常をぶっ壊す」という考え方は、「物事のマンネリ化を防ぐ」ことと同義だと言えるかもしれない。毎日毎日同じことを繰り返し、それに飽きてしまわないためにも、ちょっと工夫をしたり、見方を変えてみることによって、新しい発見や出会いを得ようとすること。

 

 つまり、思考停止しないこと。常に考え続けていれば、見えてくるものだってあるかもしれないし、何かしらの気付きは得られると思う。

 

 普段、僕らは無意識に数々の物事を選択している。それは、朝ごはんのおかずを何にするか、今日はどの服を着ていくか、なんて些細なことから、どの学校を受験するか、そのためにどの程度、勉強するか、もしくは、仕事でどれだけ努力するか、といった、その先の人生を左右するようなものまで、様々。

 その上で成り立っているのが、今の僕らの生活だ。それら複数の選択肢――「分かれ道」を意識するだけでも、モノの見え方は変わってくるのではないだろうか。

 

 僕自身、就職して1年ほどはそんな余裕もなかったけれど、ブログを始めたことによって、少しモノの見方が変わったように思う。

 それは単純に、「ネタとして使えるかどうか」という視点に限らず、「他の人はどう考えるだろう」「上司はああ言うけど、あのブロガーさんはこう書いていたな」という、自分以外の別視点を意識するようになった。また、自分の書いた文章を後に客観視できるブログには、様々な角度からの解釈をもたらしてくれる効用もあるのかもしれない。

 

 一方で、自ら「分かれ道」を作り出してしまうのも、ひとつの手だ。僕らが何か物事を決定する時、選択肢はいくつかに限られている、と思い込んでいることが多い。冒頭の記事で言えば、「非日常を発生させる」がこれに当てはまる。

 

 就職活動に失敗したら、就活留年をするか、卒業してフリーターになるか、大学院へ行くか。失恋したら、潔く諦めて次の恋を探すか、それでも諦めずに想い続けるか。

 これらは現実的な選択肢と言えるかもしれないが、別の選択を選んだって問題はない。前者の場合はぶらっと海外に旅立ってもいいし、ニートになったっていい。後者なら「2番目でもいいから!」と開き直るのもありだし、「お前を◯して私も…!」ということだって考えられ……考えられ……あかんやつや、これ。

 

 最近のシミュレーションゲームなんか、まさにそんな感じ。選択肢は、「はい」と「いいえ」だけじゃない。いわゆるループ物の作品に多いが、イベントという名の経験を積んで、フラグを立てることで、再び同じ選択を選ぶタイミングで、「はい」「いいえ」の次に第3の選択肢が現れる。リアルも、同じなのではないかしら。

 

 自分の中の選択肢を増やすには、もっぱら経験が必要だ。いろいろなことに挑戦し、多様な人と会って話をし、様々な価値観を吸収して、可能性を考える。

 「これでいいや」と妥協するのもひとつの選択ではあるけれど、若いうちはいろいろと試してみてもいいのでは。今の日本社会は「失敗」のできない環境だと言うけれど、小さな失敗は必要だ。疲れて駄目にならない程度に、たくさんの道をせっせと作って、贅沢なくらいに悩めるようになれたら良いと思う。

 

 

選択の科学

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