趣味としての“街歩き”の楽しさと、カメラと自転車が広げる世界


f:id:ornith:20161026180140j:plain

 最近、街を歩くのが楽しい。学生時代から「歩く」のは好きだったけれど、ここ2、3年くらいは、今まで以上に楽しくとっとこ歩きまわれるようになった気がする。

 いつの間にか10kmも歩き、気づけば周囲は暗くなっていた──なんてこともしばしば。暗くなったらなったで、昼間とはまた違った街の景色が見られるから、さらに先まで歩きたくなる。そぞろ歩きに、ゴールはない。風の吹くまま気の向くまま、ひたすら足を動かすのだ。ヒャッハー!

 他方で半月ほど前からは、また別の目線で外出を楽しめるようになった。自分の足で歩きながら見る風景ではなく、異なる視点で見る周囲の街並み。

 視線の高さはあまり変わらずとも、流れる景色はとても速い。行こうと思えば、道路の続くかぎりどこまでも走れそうな気もしてくる。慣れない姿勢に疲労を覚えつつも、走り終えたあとにはちょっとした達成感を得られる、魅力的な移動手段──そう、ロードバイクだ。

f:id:ornith:20161025175717j:plain

 徒歩でも自転車でも、ふらっと外へ飛び出して、自由気ままに道行きを歩く・走る週末は、楽しい。周囲の散策を楽しんだり、思いっきり遠くまで足を伸ばしたり。特に、お金をかけずに楽しめる「街歩き」は、足を悪くしないかぎりは一生のあいだ楽しめる、最高の趣味だと思っている。

 しかしその一方で、お金をかけることで広がる世界もある。これまではとにかく節約&節制、外出時には交通費も食費も抑えるべく生活していた自分も、「すげえ世界が広がった!」と実感できる出来事が最近あった。考え方と用途次第で、お金は日々の選択肢を広げてくれる。

 自分の好きな、趣味としての「街歩き」と、外出をより楽しくしてくれる、2つの相棒について。ここでは、つらつらと気ままに書いてみようと思いまする。

 

歩くのは楽しい!チューニングとしての「街歩き」

f:id:ornith:20161026180135j:plain

 そもそも、「街歩き」の魅力ってなんだろう? それが好きな人に「街を歩くことの楽しさってなーに?」と聞いてみたら、どのような答えが返ってくるだろうか。……うーむ……いろいろと考えられそうなので、思いつくかぎり挙げてみませう。

  • 体を動かし(ほどほどに)汗をかくのが楽しい
  • 慣れ親しんだ街の知らない一面を発見できる
  • 新しい人との出会いがあるかもしれない
  • 日々、歩き続けることで季節を感じられる
  • 知らない街では、目に入るものすべてが刺激的に感じる
  • 目と耳と鼻と、体の感覚をフル稼働させることのできる活動として
  • 気分転換に歩いたあとは、身も心もすっきりする
  • まだ見ぬ飲食店を探して、あるいは食べ歩きのため
  • 趣味の写真撮影がはかどる
  • 創作・執筆・デザインのネタ探しに

 ──こんなもんかしら。こうして見ると「街歩き」というよりは、「街」あるいは「歩く」という、いずれかの要素単体が好きな人もいそうな印象だ。ただ、「歩く」行為にせよ「街」のイメージにせよ、そこから何らかの刺激を得ているのに変わりはないように見える。

f:id:ornith:20160522210035j:plain

 それと同時に思ったのが、どうも「街歩き」というものは、広い意味で「チューニング」のような役割を持っているんじゃなかろうか、と。体や精神の感覚を、調整・同調させてくれる行為。

 というのも、ここで言う「街歩き」はどちらかと言えば、日常生活においては「オマケ」の活動として行われるもの。学校で勉強するとか、会社で働くとか、友人と遊ぶとか──明確な目的のある、日常生活において避けては通れない諸活動とは異なる立ち位置にあるように見える。

f:id:ornith:20161026180138j:plain

 一口に言えば、趣味。誰かに強いられるでなく、毎日欠かすことなく続ける必要のある習慣でもなく、ちょっとした時間のあるときに、なんとなーく試みる「趣味」として、街を歩く。スポーツや創作活動のようにルールや目標があるわけでもなく、本当にふわっとした活動だ。

 いつ歩くかは自由、 どれだけの距離を行くかもお好み。場合によっては「写真を撮りたい」「創作のネタを探したい」といった目的はあれど、それもあくまでオマケ要素。良い構図やネタが見つからなかったからと言って、表彰台を逃したときのように悔し涙を流すことはありませぬ。

 自由で、気ままで、曖昧な趣味の活動。それって、規範やスケジュールに従って動かざるをえない日常生活においては、最高に癒される瞬間なのでは……? 好き勝手で幅の広い活動だからこそ、日常で凝り固まった体と精神を解きほぐし、程よく調整してくれる。

 

 言い換えれば、心と体の「チューニング」のような役回り。

 

 ただでさえ慌ただしく忙しく、我慢を強いられ感情を押し殺し、なかなか心の休まらない生活を送っている人が少なくないこのごろ。その時々の状況や、相手に合わせて上へ下へとテンションを変え続けていると、自分の “調子” もわからなくなってしまいかねない。

 てんてこまいな生活における休息として、週末は寝て過ごすのも悪くはない──というか、むっちゃ大切。まずは体を休めよう。でもそれにプラスして、周囲に合わせてくたびれきった自分の感覚を “調律” する時間も持ちたい。HPだけじゃなく、MPや状態異常も回復しなきゃ。

f:id:ornith:20161026180142j:plain

 自分が好きなもの・嫌いなもの、気になるもの・気にならないものを再確認することで、周囲に強いられ流されているだけでない、自分ならではの感覚とその実感を確かめる。そうすることで、いざという時の判断に自信を持てるようになる……というのは、言いすぎかしら。

 そのためのチューニングとして、個々人が好きな「趣味」があり、なかでも気軽に楽しめる活動として「街歩き」がある。同じ街を歩いていても、見聞きするものはその時々で異なるし、人によっても違ってくる。その小さな違いが、自身の感覚を知る手段になり、癒やしにもなるのだ。

 

人それぞれである街並みの見方と、風景の切り取り方

f:id:ornith:20161026180141j:plain

 そう、同じ「街」を歩くにしても、人によってその街並みの見え方は異なるし、そもそものイメージから違っている場合もある。 “秋葉原” の街ひとつ取っても、昔ながらの電気街、アニメショップの連なるオタクの街、はたまたメイドにアイドルなど、多彩な側面を持っているのは有名だ。

 普段、街を歩きながら、何を意識し、どういったものを見ているか。それは、本当に十人十色だと思う。飲食店を探して歩くグルメな人もいれば、古書店前に出ている本の背表紙を目で追ってしまう人もいる。空ばかり見上げていてビル上階の目立たないお店に気づいたり、職業柄、看板のデザインに意識が向いてしまったり。……え? 女性の生足や男性の鎖骨に視線が吸い寄せられる? わかるわ。

f:id:ornith:20161020112339j:plain

 そういった十人十色の視点は、日常的に友人や家族と歩いていて気づけるものでもあるけれど、それ以上に個々人の見方がはっきりと可視化されている空間がある。それが、インターネット上のSNSやブログであり、特に「写真」を見れば一目瞭然だ。

 例えば、谷中銀座商店街。テレビや雑誌でも頻繁に紹介される観光地ですが、「谷中 行ってきた」などの単語で検索してみると、ページによって掲載写真に個性が見て取れておもしろい。

 まず、日暮里駅から見て、商店街の入り口部分を階段上から写す構図は鉄板。と同時に、それ以外に何をカメラに収めるかは、撮影者によって趣が異なる。食べ歩きのできる商品とおすすめ店舗を中心に撮る人がいる一方で、夕やけだんだん付近にたむろするお猫さまを「これでもか!」と言わんばかりに載せている猫好きさんもいる。神社仏閣を巡る人もいるし、やたらと細い裏道へ裏道へと向かって散策したらしい日記風の記事も目に入る。

f:id:ornith:20161020112352j:plain

 なかでも最近好きで読んでいる「SUUMOタウン」などは、特に筆者各々の視点が色濃く出ているように思う寄稿させていただきました)。こちらでは写真のみならず、「何を取り上げるか」「どういった体験や感情を文に載せるか」といった個々の文体までもが感じられ、読みごたえ抜群だ。

 ともあれ、やはり特徴的なのは「写真」でしょう。用途としては単なる記録装置、その瞬間瞬間の出来事や思い出を残す機械だけれど、でもそれだけじゃあない。ファインダーを覗き、長方形にして切り取ることのできる風景は非常に限定的でありながら、撮影者の視野を拡張する役割も持っている──。この1、2年で、そう実感するようになった。

 

カメラを持てば、生活スタイルが変わる(かも)

 ずっとコンパクトデジタルカメラを使っていた自分が、ようやくミラーレス一眼を購入したのは、少し前のこと。カメラ・撮影に関する知識は皆無ではあるものの、ブログにはやはり画質の良い写真を載せたいし、良いカメラを買えば積極的に遠出するきっかけになると思ったので。

f:id:ornith:20161026020444j:plain

 買ったのは、このカメラ。それまで使っていたカメラが富士フィルム製だったのと、お値段もなんとか手が届くくらいで、かつ評判も悪くないようだったので。本当はもう少し安いエントリーモデルも検討していたのだけれど、「どうせなら高いほうにしておけ」という天の声が聞こえた。

 結果は大満足。……いや、どのカメラを買っても満足していたのでしょうが、それはまあ置いといて。高額であるため、外にはあまり出さず宝の持ち腐れ状態になるかと思いきや、むしろガンガン持ち出して使い込んでいる今日このごろ。いつもお世話になっております。今後とも何卒。

f:id:ornith:20161026181615j:plain

 おニューのカメラがもたらしてくれた効用は2つ。ひとつは、外出する際には常に持ち運び、それまでは行かなかった場所へ行き、歩かなかった距離を歩くようになったこと。冒頭から書いてきた、「最近、街歩きが楽しい!」の一因のひとつである。

 そしてもうひとつが、先ほど触れた「視野の拡張」の話。カメラのファインダーを覗き込んで見ることのできる、切り取って残すことのできる風景は一部分に過ぎない。けれど、その “一部分” はきっと、カメラなくしては見ることすら叶わなかった風景なんじゃないかと思うのです。

f:id:ornith:20161026181836j:plain

 単純な話、カメラを持つと、モノやヒト、街並みひとつ取っても「どのように切り取るか」を考えるようになる。まずは全体を写すようにシャッターを切りつつも、プラスアルファが欲しくなる。──アップにするか、引いて撮るか。同じモノでも、自分なりの見方で記録したくなる。

 そうして、あれこれ試行錯誤するべく体を動かすと、目に見える風景も動く。普通に歩いているだけでは見ることのなかった角度や距離から、被写体である街並みを2度見、3度見することによって、別の側面が見えてくる。それが、カメラが自分にもたらしてくれた新たな視点だ。

f:id:ornith:20161025175723j:plain

 先ほど「視野の拡張」と書いたけれど、正確には「視点の多角化」と言ったほうが良いかもしれない。実際に自分で試行錯誤するのはもちろん、ネット上で目に入る他の人の “視点” を参考にすることもあると思うので。昔から青空ばかり撮っていた自分が、地面近くの被写体や足元からのアングルを意識するようになったのは、他者の写真に影響されたがゆえの変化だったはず。

 ──なんて、それっぽく書いてはいますが、それも素人目線の考えでござる。ぶっちゃけ「ISO? 絞り値? よくわからんけど、このダイヤルを動かすと明るさが変わるっぽい!」などと、いまだ感覚的にカメラを使っているので……。でも、素人遊びでもこれだけ街歩きが楽しく、街の見え方が変わったのだからか、それはそれでカメラの利点なのかな、と。いずれちゃんと勉強します、はい。

 

どこまでも自分を運んでくれそうな、スポーツバイク

 この20年ほどで培われてきた金銭感覚から、万単位の買い物は常に躊躇する自分にとって、ミラーレス一眼は今年最大の出費になるかと思われた。服ですら、年に数着も買わない人間なので。

 ところがどっこい。先日、長年にわたって気にはなりつつも目を背けてきたモノに随所で触れる機会があり、熟慮に熟慮を重ねた結果、ついに買ってしまったのです。1回の支払い額としては、間違いなく人生で最高額のお買い物──ロードバイクでございます。

f:id:ornith:20161016154507j:plain

 遡れば小中学生時代から、「電車は高い! おこづかいがもったいない!」と言って自転車を乗りまわしていた。隣市を越えて走ったり、所沢から上野までママチャリで駆け抜けたり、あっちゃこっちゃへ爆走。その上位版であるスポーツバイクに惹かれるのは、当然の流れと言えましょう。

 大学時代はお金がなく、今もサラリーマンほど安定した収入はないものの、それでもずっと興味のあった高価な二輪車。特に近頃は長距離を歩くのも普通になり、カメラも使い慣れてきたこともあって、もうちょっと足を伸ばして遠くへ行ってみたいと思っていたタイミング。

 今年はきっと、そういう年なんだろう──と我ながらよくわからない理由づけをしつつ、購入。街中では盗難のリスクがあるロードバイクは「街歩き」の範疇にはないものの、乗りはじめてから半月で、早くも自分にとっての新境地を開拓しつつある……ように感じる。なんたって、楽しい。

f:id:ornith:20161025175751j:plain

 慣れ親しんだ自分の足の速さでなく、高速で過ぎ去る風景を眺める自動車・電車でもなく、その中間。自身の力加減とペースで前に進み、時には止まって景色を写真に収めることもできて、尚かつ徒歩よりも速く遠くを目指せる、すてきな乗り物。──自分にぴったりじゃあないですか。

 すでに楽しく乗りまわしてはいるものの、どれだけ使いこなせるかはまだまだ未知数。すぐに飽きてしまうかもしれないし、天候や盗難の問題などデメリットも多い。ただ、手軽に遠くへ足を向けられる手段として、近場の街歩きとはまた違った楽しみになるのではないかという予感はある。

f:id:ornith:20161016163616j:plain

 自分はたまたまロードバイクに惹かれたけれど、これもまた手段のひとつでしかないようにも思う。趣味として遠出するのなら電車でも何ら問題はないし、自動車やオートバイを相棒にしている人だっている。車中泊やキャンプによって、さらに選択肢を広げることもできる。

 そういった意味では、先の「カメラ」だって一手段に過ぎない。昨今は静止画でなく動画による記録も多彩になっているし、他には音声やイラストといった記録方法もある。いずれにしても、趣味としての街歩きを楽しくするのに一役買っている手段・媒体であるのは間違いないでしょうが。

f:id:ornith:20161020112324j:plain

 「記録」のための装置と、「移動」のための乗り物。金額の多寡はあれど、どちらも「街歩き」の、ひいては「趣味」における視点や選択肢の幅を広げてくれる、イカした相棒だ。

 究極的には、街歩きなんて自分の身ひとつで楽しめる趣味ではある。己の足で自由気ままに歩くだけでも、何かしら思うところはあるはずだし、きっと得られるものもある。ゆえにそれらは不必要だと見ることもできるけれど、あれば間違いなく選択肢の幅を広げてくれる。そう断言したい。

f:id:ornith:20161026180136j:plain

 純粋に便利だから、それ相応の金額で購入して使う消耗品。──であると同時に、そこに “便利” 以上の何かを求めることだってできる。カメラは「写真を撮る」、自転車は「自分の足で漕いで走る」という、そういった基本的な役割だけじゃあない。

 要するに、考え方と使い方次第。意識して使えば、基本となる機能以上のメリットを自分にもたらしてくれるし、さらには、自分の選択肢の幅を広げるにあたっても役に立つ。

 そういった「モノ」と「お金の使い道」について改めて考えるきっかけとなったのが、自分にとっては「街歩き」だった。それは、意識的にぶらぶらと街を歩く時間を確保し、精神的な余裕を持てるようになったことによる変化。生活が変われば、心境も変わる。

f:id:ornith:20161026180137j:plain

 何はともあれ、僕が言いたいのは「街歩きはいいぞ」という、それ一点でございます。時間さえあれば誰でもできる、自由闊達にして十年一昔を感じることのできる、すてきな趣味。まずは無課金から始めて、徐々に課金していくことをおすすめします。リセマラは必要ないお。

 きっかけは何でも良いんです。「うまいもん食いてえ」でも「野良猫モフりてえ」でも「レアポケモン捕まえに」でも。理由がなければ、カメラを買って理由を作る。理由がなくても、とりあえずスマホ片手に気になる街をぶらついてみる。そうやって、楽しめたなら万々歳。

 

 まずは一歩、帰り道のちょっとした寄り道から。
 今日からいざいざ、お散歩カメラ。

 

 

「街歩き」の関連記事はこちら