あなたの学びの道筋に!「読書」と「文章」を考えるための8冊


 「『文章力』を鍛えたい!」とは考える人は多いが、その切り口はさまざまだ。基礎的な文法はもちろんのこと、文章構成力、語彙力、論理的思考力など、必要とされる「力」は多岐にわたる。さらに論文やビジネス書類、ブログなど、文章が掲載される媒体・形式によっても求められる文章は異なってくるため、学んだ複数の文章技術が相容れない場合も往々にしてある。

 ゆえにまずは、自分が学ぶべき「文章力」がどのようなものであるかを自覚する必要がある。詳細な説明を犠牲にしてでも大勢に伝わればいいのか、特定少数を納得させる論理が求められているのか。 前提として「文章の方向性」を確定しなければ、学んだ技術も活かせない。

 

 他方、そういった「文章」を学ぶ切り口のひとつとして、「読書」によって先人の文体を参考にするという方法もある。有名な古典やベストセラー本など、学ぶべき本は数多い。しかし実際に読んでみると思いのほか退屈で、途方に暮れてしまった――という、そんな経験をしたことのある人もいるのではないだろうか。

 そこでひとつの指針となるのが、そもそもの「読書とはなんぞや」について書かれた「読書論」の分野の本だ。古今東西、多種多様な立場の人間によって書かれた本があり、読み始めると案外おもしろい。当然、「『読書』なんて人それぞれ、自由でいいじゃないか」という意見もそのとおりではある。けれど、他人の読書体験を断片的にでも知ることのできるそれら書物は、自分の「読書」を疑い、見直し、より良い体験とするための足がかりとなるのではないかと思う。

 

 そこで、本記事では「文章」「読書」に関係する書籍のなかから、特におすすめの8冊を厳選してご紹介。どこかの誰かの参考になりましたら幸いです。

 

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読書について/ショウペンハウエル

 何はともあれ、古書・名著に学ぶのは王道である。19世紀に書かれた本書においてもその主張は色濃く、身も蓋もない言い方をすれば、「新刊は総じてクソ、むしろ『当たり』しかない古典を読むべし」とのこと。事実、筆者が生きた時代の本がどれだけ現代に認知され、残っているかを考えれば……納得できる一面もあるのではないだろうか。

 本書は、3つの章から成り立っている。読書以前の問題として人が為すべき「思索」、読むに値する著作が持つ精神性「文体」、そして価値ある「読書」の方法、それぞれを語った内容だ。この一冊から学び取れるのは、実際的には“他人の思考を借りる行為”に過ぎない「読書」をより有意義にするべく考えぬかれた筆者の哲学であり、本と向き合うための軸である。

 筆者がおすすめする「古典」は王道ではあるが、読むには多大な時間と労力が必要となるものでもある。ゆえに最近は、「過去の名作・古典の切り取り本」が人気を集めているという実情もあるのだろう。しかし百数十年も前に書かれたはずの本書においても、それははっきりと切って捨てられている。曰く、“現代の浅薄人種がたたく皮相陳腐な無駄口”でしかない、と。なかなかに刺激的な内容ではあるが、本書もまた、時代を跨いで現存する「名著」であることは間違いない。

おすすめポイント

見方によっては、「読書」へのハードルを上げてしまいかねない一冊ではあります。けれど、本を読む行為によって本質的な学びを得、自らの「思索」を獲得するためには、それだけ本気で向き合う必要があるということなのではないかと。なぜならば、僕たちが相対する「本」とはただの紙の束ではなく、先人の知恵と思索の集大成なのだから。

 

乱読のセレンディピティ/外山滋比古

 反面、2014年に発刊されて間もない本書において、なによりも「おもしろい読書法」として勧められているのが「乱読」だ。手に取ったすべての本を徹底的に、舐めるように読むのではなく、途中で投げ出すことすら前提として気になる本を“乱れ読む”ことのススメである。

 先ほどの『読書について』と真逆の考え方でもあるように読める論説が展開されているが、やがてその本質は類似したものであると気付かされる。筆者の主張を換言すれば、「贅肉ばかりを蓄えるような読書は避けるべし」、その一点だ。自分の頭で考えず、画一的な知識ばかりを闇雲に摂取した“知的メタボリック”になりかねない多読を否定。さまざまな本から断片的にでも刺激を受けて自らの血肉とし、思考の手助けとする「乱読」を推奨している。

 言わば、本の数も情報量も莫大な現代に最適化された「読書法」。多読を避け、書物から思索を獲得すべしという言説の共通性を鑑みれば、先の『読書について』をアップデートしたものとも読めなくもない。さらには今や思索だけでは不十分であり、多種多彩な書物から「知」を吸収し有意義に活用するためには、それらを結びつけるための偶然性――思いがけないことを発見する能力「セレンディピティ」が重要である、とまとめている。

おすすめポイント

時代の移り変わりと共に、求められる知識も情報も変化しつつあるように感じる昨今。「乱読」というとあまり良い印象を持たない人もいるかもしれませんが、その時々の環境に合わせた「読書法」ともあるのだと思います。複数の知識を偶然性によって結びつける“乱読のセレンディピティ”は、高度情報社会も行くところまで行き着いた現代において参考となる考え方なのではないでしょうか。

 

読書で賢く生きる。/中川淳一郎、漆原直行、山本一郎

 より最新の「読書論」を多角的に知るのであれば、2015年発売の本書は外せない。ライター、編集者、あるいはブロガーといった肩書きを持つ3名の筆者が存分にビジネス書を語ったトークイベントと、各々の読書論が書き下ろしとして収録された一冊だ。

 1人は“ネット時代だからこそ本を読むべし”と、誰もが同じニュースサイトを目にしている現代における知識の差別化を推奨し、1人は“本なんて、お酒やラーメン、スイーツなどと同じ嗜好品”と断言、初心者に対しては定番本を推薦し、1人は“「知の体系」である”本は読了するだけでは意味がなく、自分の言葉で読み解き“問う力”が重要であると書いている。三者三様の「読書論」はいずれも読んでいて得心のいくものであり、ゆえに読者は自らその内容を斟酌し、考えざるを得ない。

 一見するとバラバラの論説を展開しているように見える各々の読書論も、「読書は思考・知識体系を立体化させる」という一点では共通している。そして言うまでもなく、これは先の2冊の本とも重なる部分でもある。情報で溢れかえっている混沌とした現代を“賢く生きる”ためには、「読書」の重要性はもはや疑いようがない。

おすすめポイント

先ほどの『読書について』『乱読のセレンディピティ』と比べると非常に読みやすい内容となっている本書は、これから読書を始めようという人の入門書としてもおすすめの一冊です。2015年の新刊ということもあって最近の話題も散見され、ビジネス書を事例に挙げていることから敷居も低い。3人の筆者によるおすすめ本も掲載されているので、これから本を読み始める人の足がかりにぴったりです。

 

世界を変えた10冊の本/池上彰

 さて、いくら「王道に学べ」と言われても、世界中で長きにわたって読み継がれてきた「古典」にもさまざまある。現在進行形で膨大な数が発刊され続けている新刊を避けたところで、具体的な指標なしには、読むべき「古書」と出会うことも難しい。

 そこでひとつの指針としておすすめしたいのが、池上彰さんによるこちらの著書。現代の世界情勢・人間社会に少なからず影響を及ぼしてきた、文字どおりの“世界を変えた10冊の本”を紹介している。いずれも世界的に有名な書物であるものの、それを全く知らないという人でも予備知識なしで読めるのはありがたい。

 本書はベストセラーの要点をまとめた「ブックガイド」として優秀であると同時に、21世紀現在に至るまで地続きとなっている世界の「歴史」と「仕組み」を紐解いた“教科書”的存在として、示唆に富んだ一冊となっている。10冊の本とその連関によって語られるのは、宗教史とそれにまつわる紛争、西洋の資本主義社会が形成されるまでの過程など。遠い異国、過去の時代の出来事が、現代日本に生きる自分たちの生活と決して無関係ではないことがわかるはずだ。

おすすめポイント

本書が見事なのは、今なお研究が続けられている世界的名著を読んだことがない人にもわかりやすく紹介するだけにとどまらず、それら10冊の本と歴史との関連性を概説している本文構成にあると思います。「どうして最初の一冊が『アンネの日記』なんだろう?」という疑問も、最後まで読み終えると自然と氷解しているというおもしろさ。安定と信頼の“池上クオリティ”ですね。

 

十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。/遠藤周作

 翻って、ここからは「文章」の話。先の「古典に学べ」に倣うのであれば、文章を学ぶにあたって読むべきも同じく「古典」になるのだろう。そう考えると谷崎潤一郎さんの『文章読本』などが王道になるのかもしれないが……本記事では、遠藤周作さんの一冊を紹介する。

 挑戦的なタイトルが印象に残るが、その内容は「伝わる手紙の書き方」である。ハウツー本であり、現代であればメールの書き方にも通ずる内容となっている本書だが、その主張はただ一点、「読む人の身になって書く」という“一寸した行為”、それだけだ。ラブレターだろうが、見舞いの手紙だろうが、ビジネスメールだろうが、ブログだろうが、Twitterだろうが、すべての「文章」に当てはまる、たったひとつの真実。

 たびたびネット上で見かける「文章術」や、粗製濫造的な「文章力の本」に共通して感じる違和感は、おそらくこの大前提が欠けている点にあるのではないだろうか。小手先のテクニックや売上・アクセス数を重視するがあまり、根本的な「コミュニケーション」の視点が抜け落ちてしまっている。一方的に自分の主張を「伝える」のではなく、読者に自然と「伝わる」ような文章の考え方。基本中の基本でありながらそれでも忘れがちなこの“一寸した行為”を、まずはこの一冊で学ぶことをおすすめしたい。

おすすめポイント

筆者・遠藤周作さんの没後10年に発見された原稿をまとめた、この本。半世紀も前に執筆された「文章術」でありながら、インターネットが発達した現代においてもまったく色褪せず、心から納得できる内容となっています。著者ならではの文体も読んでいて心地がよく、文庫本サイズで160ページ程度という文量も手伝って、非常に手が出しやすい一冊。SNS全盛の今だからこそ改めて「文章」と向き合うべく、試しにまずは、“十頁だけ”でも読んでみてはいかがでしょうか。

 

文章力の鍛え方/樋口裕一

 なるほど、「文章」それ自体の役割はわかった。しかしいきなり「モノを書く」にしても、何を書けばいいのかわからない。書けても小学生の作文みたいになってしまう。どうすれば文章力は向上するのだろう――という悩みに対してひとつの答えを示してくれるのが、こちらの本。

 “文章力の鍛え方”という表題が踊る本書だが、その実態はどちらかと言うと「思考力の鍛え方」にほど近い。曰く、“文章を書くということは、根拠を明確に発信すること”であり、そのためには論理的にモノを考える活動が必須となる。だが、それだけでは不十分だ。論理的思考は文章力を鍛えることによって養われ、文章を書くためには根拠を明らかにした思考法が必要となる。

 要するに「書く力」と「考える力」は並び立つものであり、どちらかが欠けていても「文章力」は鍛えられない。そこで本書では主に「思考力」の養い方に焦点を当てており、文章を書く前に必要となる「論」を65の視点から提案する内容となっている。「何を書けばいいんだろう」とスタート地点で悩み立ち止まっている人にとっては、第一歩目を踏み出す力をもたらす一冊となりえるはずだ。

おすすめポイント

文章力に至るための「思考力」として、この本の中では数多くの「論」が展開されています。そのため一部では、若干の矛盾をはらんでいるように読める部分があるのも事実。とは言え、媒体や目的別にあまりに多種多様な「文章力」が求められている現状を考慮すれば、その一部を参考にするだけでも得られる学び・気付きもあるのではないでしょうか。「文章」を書くにあたり、立ち止まってしまったときの処方箋としてどうぞ。

 

シカゴ・スタイルに学ぶ論理的に考え、書く技術/吉岡友治

 文章の大前提となる考え方と、それにまつわる思考力の必要性は理解した。それをいざ実践するにあたって、具体的な方法論として提示したいのがこちら。デカルトが言うところの「明晰かつ判明」を念頭に置いて、論理的な文章の書き方をまとめたハウツー本だ。

 語彙力、論理性、明快さなど「文章力」に必要とされる要素は多岐にわたるが、本書では主に「論文」の視点から、「文章のつくり方」を概説した内容となっている。言うなれば、構成力。いい加減な説明によって茶を濁すのではなく、具体的な言い換え表現によって論理を明確にする方法論。また文章における根拠の基本の3要素は「理由」「説明」「例示」であるとして、論文的な構成を実例と共に説明している。

 本書がハウツー本として魅力的なのは、ただ「論文の書き方」に終始するのではなく、その比較対象としての「随筆」の存在にも言及し、さらに両者の性質を併せ持った「ブログ」の事例も挙げて解説している点にある。大筋としての「論理的文章」を学びながら、さらに別の視点からも「文章」を学び、考えることができる内容。多彩な文章術の本の中からまずは一冊、実践的な解説書を選び取ろうとするのであれば、本書をはじめとする「論文の書き方」からおすすめしたい。

おすすめポイント

文中でも説明されている「言い換え」の技術に関しておもしろいと感じたのが、「『ボケ』と『ツッコミ』の繰り返しによって文章の説得力を高める」という旨の言説です。「なんでやねん」というセルフツッコミこそが論理の穴を防ぐものであり、ひいては文章の質を高めるのだ、と。換言すれば先の「思考力」とも結びつく考え方であり、ただ漫然と言語化するだけでは「文章」たりえないことを再認識させられました。

 

新しい文章力の教室/唐木元

 「伝わる」を前提とした文章に、「思考力」によって醸成される文章力、論理性を重視した「論文」の書き方など、ひとえに「文章本」と言ってもこれだけ多くの視点から論じられたものがある。最後にもう一冊、ウェブメディアの元編集長によって著された書籍を紹介したい。

 冒頭で、“良い文章とは完読される文章である”と断言しきっている本書。特にインターネットという文脈においては避けては通れない「文章」の考え方として、必読の一冊と言えるだろう。具体的な技術はひとまずスルーし、「完読されること」こそがこの本における唯一無二の指針として、徹頭徹尾にわたって示され続けている

 なにより印象的だったのは、筆者がウェブメディアに携わっている立場でありながら、記事のテンプレート化に警鐘を鳴らしている点だ。最後の章では「すべてのルールは絶対ではない」と論じており、方法論に固執してはならないと、自らの言説すらもぶった切っているように読めなくもない。「上手な文章を書くためにはこうするべし」という限定的なルールで縛るのではなく、「完読される文章を書くためにはこうするべきではない」と自由な表現の幅を持たせる考え方。読者自らにも考えさせる余地を残した内容となっており、本書が文章力の“教室”たる所以とも言えるだろう。

おすすめポイント

これまでに紹介した本にも共通しますが、あれこれと何でもかんでも説明しようとする器用貧乏な「文章本」よりも、こういった一点特化型の「文章論」こそが、一からそれを学ぼうとする人に求められている本なのではないかと思います。かくあるべしと定められた「文章」は、究極的にはプログラムに取って代わられかねないもの。であるならば、自らの思考と表現を媒介とした「文章力」を養うべく、実際に試行錯誤する過程が必要となってくるのでしょう。ハウツー本を読み、学びを得て、それからどのように自分なりの「文体」と「思索」を獲得していくか。実践するのは、自分自身です。

 

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