ぐるりみち。

平成生まれのフリーライターのブログ。本・映画・マンガ・アニメの各種レビューに、旅行・グルメ・街歩き日記など。

デオコ+VRで“女の子の匂い”の記憶を捏造し、おじさんは女の子になる

デオコおじさん

 「デオコおじさん」が話題だ。

 きっかけとなったのは、5月末に投稿されたスゴ本さんの記事。これが、とにかくバズった。Twitter上でもめっちゃ拡散されていたし、リアルタイムで目にした人も多いのではないかしら。

 もちろん、僕も興味を持った。

 ──ええ、そりゃあそうでしょうとも。20代も半ばを過ぎ、日に日に「オッサン」と呼ばれることに違和感がなくなりつつある年齢になっても、その精神性は中学生男子と大差ない自分。「女の子の匂い」というフレーズから漂う甘美な誘惑に、興味を持つなってほうが無理ってもんでしょう。

 いや、別に変な意味ではございませんことよ?

 アレです、アレ。知的好奇心。男性ホルモンがモリモリ分泌されている「男」である自分には決して定着することのない、女の子特有の「匂い」がするボディソープがある──なーんて聞いたら、そりゃまあ男の子は気にせずにはいられないってもんです。……オッサンだけど。

 そう、この「気になる」は、あくまでも “知的” なもの。決して女の子の匂いをクンカクンカしていかがわしい気持ちになろうとは思わないし、それをスーハースーハーしようなんて欠片たりとも考えませんでしたとも、ええ。……いや、ネタっぽく書いてるけど、マジだよ? だって僕、別に匂いフェチじゃないし? ほんとだよ?

 実際、スゴ本さんの記事を読んだ当時の僕も、こう書いている。

 どこか言い訳がましさを感じなくもない……けれど、どこからどう見ても「ただの好奇心」であることが見て取れると思う。たぶん。きっと。おそらく。

 すべては、VR空間での自分をかわいく演出するため。毛深いリアルアバターのオッサンがどうこうしようという話ではなく、これはバーチャルのための必要経費なのだ、うむ。

 ──などと考えつつも、結局はデオコを買いに走らなかった自分。

 近所のスーパーで売り切れているのを見て「マジで!?(そこまでの影響力が!?)」とびっくり仰天しつつも、実際に買うまでは至らなかったのです。ぶっちゃけ、「女の子の匂い」がするかどうかは、個人の経験によるんじゃないか……と。骨しゃぶりさんが書いていたように。

 たとえデオコの匂いが「本物」であったとしても……悲しいことに、 “無い記憶は呼び起こせない” 。まっこと道理である。非モテ陰キャオタクとして中学・高校を過ごしてきた自分も例に違わず、当然ながら「女の子の匂い」を知らなかった。

 デオコによって思春期の甘酸っぱい思い出を追体験しようにも、その思い出がない。「男子校出身」の業を背負った僕に、甘く華やかで愛おしい「青春」などというものはなかった。現実は非情である。僕にはデオコ適正がない。「デオコまじすっげえ!」と興奮気味に語る──おそらくは輝かしい青春を送っていたであろう──「女の子の匂い」を知るデオコおじさんたちの楽しそうな姿を、ハンケチーフを噛みしめ羨むしかないのだ。ぐぬぬ……。

 ところがどっこい。
 そろそろこの話題も忘れつつあった6月上旬。
 思いもしないところから、ぶっ飛んできたのです。

 デオコが。

 「Vに寄るなら視覚だけでなく嗅覚も」。
 ──なるほど、仰るとおりでございます。

 VR空間でなら、誰だって視覚的に「女の子」の姿になれる。さらにボイスチェンジャーを使えば、相手の聴覚もハックすることができる。そしてデオコによって己の嗅覚を騙すことが叶えば、僕はまた一歩、「女の子」に近づくことができるのでは……?(あるいはVR空間で会う相手の「女の子」の匂いとして錯覚できる)

 そんなわけで、半月ほど試してみました。

 

すっごく(消臭効果を期待できる)ボディソープ!

 正直に申しますと、第一印象は「普通」でした。

 デオコを片手に浴室へと向かい、ルンルン気分でバスタイム。気分上々で『紅蓮の弓矢』を口ずさみながら、ポンプをカシュッと押して出てきたのは、珍しくもない白色のボディソープ。はてさて、その匂いはどうかしら──と鼻に意識を集中したところ、思い浮かんだのはまっことシンプルな感想でした。

 ……うん! すっごくボディソープだ!

 そう、すっごくボディソープ。マジでボディーソープ。マジボプ。いつも自分が使っているものとは違うタイプではあるものの、なんとなくどこかで嗅いだことのあるような「ボディソープっぽい匂い」。つまるところ、「数あるボディソープのひとつ」としか感じられなかったわけです。

 ──いえ、わかっていますとも。「それはお前が『女の子の匂い』を知らないからだろう?」と、そうツッコまれるのも当然です。先ほど散々そう書いてきたわけですし。

 知らない人にとっては「ただのボディソープ」としか思えないとしても、 “知っている” 人が嗅げば、「女の子の匂い」として認識できる。これはそういう代物なのかもしれない。そして僕は、残念ながら “選ばれし者” ではなかったと、そういうことです。だから──この話は、ここでお終いなんだ。

デオコのパッケージ

今更だけど、ばっちり「女性の」って書いてあるんですねー

 ところがぎっちょん。毎日欠かさずデオコで身体を清めるようになり、1週間、2週間、そして半月と時間が経つに連れて、徐々に変化が現れてきたのです。

 僕は──この匂いを──知っている──?

 この半月ほど、お風呂上がりのマイボデーは、いつだって良い匂い。浴室を出て身体を拭いている最中、周囲を漂う香りに意識を向けると「ふへぇ」と破顔してしまうし、就寝前に自室でリラックスしているときもニッコニコ。純粋に身体を洗うのが楽しくなったし、穏やかな心持ちで夜を過ごせるようになりました。

 前向きな変化があったのは、お風呂上がりだけではありません。デオコを使うようになってからは、運動後に気になっていた汗臭さが驚くほどに改善。さらには、平時も清涼感のある匂いをそこはかとなく身にまとっている──ように感じられています。

 まあ自分がそう思い込んでいるだけかもしれないし、周囲に聞いても「もともとのお前の匂いを知らん(別に臭ってなくね?)」と返されてしまったので、実際のところ変化があったのかはわかりません。でも自己評価として、足とかその他諸々の部分とか、気になる身体の部位の匂いが改善されたのは間違いさそう。ありがとう、骨しゃぶり先生。

 ──で、他方で気にかかるのが、この「清涼感のある匂い」の正体。というのもこの匂い、過去にどこかで嗅いだことのある、それも馴染みのある匂いっぽいんですよね……。

 ボディソープの状態では「ボディソープだ!」としか思わなかったけれど、翌朝や日中など、薄まった状態の匂いにデジャブがある。たまたまデオコを使っている友人知人が身近にいたのか、過去にお付き合いをしていた相手のものか、はたまたこれが「女の子の匂い」なのか──。

 真相はわからない。けれど、このデオコの匂いが日常生活に彩りを与えてくれているのは事実です。心配していた「匂いが強いため部屋がデオコになる」ようなことにも今のところなっていないし、外で会った相手に変な顔をされるような事態にも至っていない。

 「それとなく漂う良い匂い」と「気になっていたものが匂わなくなった」ことが、デオコを使うようになってからの変化であり、メリットであると言えそうです。

 

VRによって「“女の子の匂い”の記憶・体験」を捏造する

 その一方で、もうひとつ気になることがある。それが、「デオコをキメることで、VR体験には何か変化があったのか」という点。VRヘッドセットをかぶり、VRChatでフレンドと交流したり自分が女の子として振る舞ったりするにあたって、何らかの影響が見て取れたのかどうか。

 まず言えるのは、「風呂上がりはヤバい」ということ。

 当初は「すっごくボディソープ」としか思えなかったデオコの匂いが、VRヘッドセットをかぶると……あら不思議! VRを通した途端、「風呂上がりの自分から漂うボディソープの匂い」が、「たくさんの女の子がキャッキャウフフと交流する部屋に漂う良い匂い」へと変換されてしまうのです! こいつはヤベえ!

 そもそも、没入感の強いVR空間では、現実世界での認識が希薄になる。リアルの肉体や今まさに自分がいる部屋が意識からかき消え、ヘッドセットに映る居酒屋や温泉や大海原やファンタジーのような世界が、本当にそこに “在る” ように、そして自身もそこに “居る” ように感じられる。周囲にはかわいらしい女の子やイカしたロボットや魑魅魍魎がいて、同じ空間で交流しているように体感できる。

 ……まあ実際には、狭い部屋でヘッドセットをかぶり、1人でくねくねと動いているオッサンがいるだけなんですけどね! わぁい!

HTC VIVEをかぶり荒ぶる狐面のオッサ

 そうやって仮想空間で過ごすことに慣れ、VRを自然な場所として感じられるようになると……なんということでしょう。鼻腔をくすぐるボディソープの匂いが、自分から発せられるものではなく、眼前に広がっている世界の匂いだと錯覚するようになるのです! しかも、たとえばそこが、ケモミミ娘たちが集う一室だったとしたら──?

 そこはもはや「女子の部屋」。

 であるならば、その空間に漂う匂いは、

 紛れもない「女の子の匂い」なのでは……?

 「女の子の匂い」がわからないがために、現実では「ボディソープの匂い」としか感じられなかった、デオコの香り。しかしVRで女の子(大多数はオッサンである)と接していると、それがまるで「女の子の匂い」であるかのように感じられ、やがてそう認識するようになっていく。

 つまりは、こういうことです。

 

 「『女の子の匂い』の記憶」は、作れる。

 “無い記憶は呼び起こせない” のなら、作ればいいのだ!

 

 デオコを使って嗅覚をハックし、VR空間で女の子(だいたいオッサン)と接し、それが目の前にいる「女の子の匂い」であると錯覚させる。それを続ける。繰り返す。何度も何度も、存在しないはずの青春の思い出を追体験するように。デオコを己に刷り込ませ、VRに通い、それが「女の子の匂い」だと脳に記憶させるのだ!

 デオコの香りを「女の子の匂い」として知覚できるようになったら、それで終わりではございません。その「次」がある。せっかく「女の子の匂い」を身につけることができたのだから──それを、自分のものとして使わない手はないでしょう!

 いったい何をするのかと言えば、環境と嗅覚を上書きすることで「女の子の匂い」として認識されるようになったそれを、今度は「自分の匂い」として捉え直してみるのです。それも「リアルワールドのオッサンアバターの体臭」ではなく、「仮想空間の女の子アバターの匂い」として。

ミーシェちゃんかわいい

 ──イメージするのです。「女の子の姿をしているVR空間の自分が、『女の子の匂い』を漂わせている」と。そうするとどうなるかと言うと──これは仮説に過ぎませんが、VRでの立ち振る舞いをより「女の子」に近づけることができるのでは……?

 もともと「女の子の姿」として(視覚的に)認識していたアバターの自分の姿に、「良い匂い」がエンチャントされる。「女の子の姿をした自分」が、「良い匂いを漂わせる女の子の姿をした自分」になる。VR上の自身を構成する「女の子」の要素を増やすことによって、より「女の子らしさ」が高められるのではないかしら。

 いや、厳密には「かわいらしさ」と言ったほうが正確かもしれない。リアルな「女の子らしさ」というよりは、記号あるいは属性としての「かわいい(kawaii)」の濃度が高まるイメージ。「かわいい女の子の姿をした自分が、『女の子の匂い』を漂わせている」と思い込むことで、僕らはより女の子に近づくことができるのだ……!

 つまり、デオコの香りには「自分は女の子だ」という思い込みをブーストさせ、テンプレートとしての「かわいい」を高めてくれる効果があるんじゃないかと思うのです。

 参考資料として、こちらを見ていただきたい。

 これは、デオコを使う前の僕だ。

 「なんとなく調子に乗って、ノリと勢いでボイスチェンジャーを使ってみた感」がにじみ出ており、声色も中途半端。恥ずかしがって話しているのが丸わかりで、見ていて恥ずかしくなるレベルである。つらい。

 では、デオコを使うようになった結果、どうなったのか。

 ──いかがだろうか。こちらも一種のネタ動画(推しのVTuberに愛を伝えるハッシュタグに乗っかったもの)ではあるものの、明らかにこなれてきているのがわかる。

 まだ照れを捨てきれておらず、ボイチェンの精度も微妙。しかしその “照れ” もそこはかとなく自然なものに感じられるし、なんちゅーか…… “っぽく” なっている気がする。ちなみに、ボイチェンの設定は前後で変えていないはずです。

 とまあ、痛々しいだけのビフォーアフター動画はさておき。

 VRにおいてデオコが──もとい嗅覚が及ぼす影響は、少なからずあるのではないかと思います。たとえば、「自分はかわいい姿をしている」という認識を「女の子の匂い」によってより強固なものとし、「こんなに良い匂いがするんだから、僕はかわいいんだ!」という段階にまで高めてくれる効果。デオコしゅごい。

 もし、過去に「女の子の匂い」と縁がなかったとしても、ご安心あれ。

 デオコを毎日使い、特に香りの強いお風呂上がりにVR空間で女の子(オッサン)たちと過ごしていれば、いつの間にかそれを「女の子の匂い」として認識するようになるはず。もちろん香水やお香を使うという選択肢もあるでしょうが、より自然の匂いに近いとされるデオコから始めてみるのは悪くないはず。

 ──最初のお前を騙せ。世界を騙せ。

 「女の子の匂い」を知らない、悲しみを背負ったデオコおじさんは、もういない。VRとデオコを併用することによって己を騙し、世界の認識を書き換えれば、それは紛れもない「女の子の匂い」として知覚される。俺が、俺たちが、デオコおじさんだ!!

 あ、もちろん、普通にボディソープとしてもおすすめですよ!

 清涼感のあるスウィートフローラルな香り(※商品紹介の表現ママ)がほどほどに漂う感じで、しかも体臭や汗臭さを抑えてくれる。普段は「洗えれば何でもいいやー」と適当にボディソープを選んでいた人も、流行りに乗じて試してみてはいかがでしょ! 夏コミ対策にも!

 

※本記事の言説はすべて個人的な体験に過ぎず、実際には個人差があると思われます。

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