『不屈の棋士』人工知能があぶり出す「人間らしさ」の在り処


 最近、将棋がアツい。

 昨年から今年にかけての藤井聡太さんの活躍は言うに及ばず、羽生善治さんの永世七冠に、テレビやネットを中心とした「ひふみん」ブームなどなど。あちらこちらで将棋の話題が飛び交っており、興味のない人でも耳にする機会が増えたのではないかしら。

 かくいう僕もすっかりその流行に感化されてしまい、素人なりに将棋アプリを楽しんでいる今日このごろ。

 数年前にインストールしたときには飽きてしまった『将棋ウォーズ』も、すでに1ヶ月以上継続中。1日3戦は欠かさず指し、累計100戦を終えての勝率は4割6分。級が上がるにつれて勝てなくなってきたので、いい加減に戦法を学ぼうかなーなんて考えています。

 一方で、そのように「指す」だけが将棋の楽しみというわけでもなく。「プロの対局を観戦するのが好き」という人もいますし、将棋の本を「読む」ことにだって楽しさや魅力がある。将棋の楽しみ方はさまざまで、本をきっかけにその世界にハマる人も少なくないと聞きます。

 このたび読んだ大川慎太郎著『不屈の棋士』は、まさにそういった人でも楽しめる将棋本だと言えます。観戦記者である筆者さんが11人の棋士にロングインタビューを敢行し、プロの将棋指したちの実像に迫った1冊。

 将棋について “そんなに知らなくても読める” という感想*1を読んで買ったのですが、まさにそのとおり。しかもそれでいて、「将棋」という奥深いゲームの魅力に触れながら、棋士11人の各々の哲学やスタンスを知ることができるという、非常に濃密な内容でした。その感想をば、ざっくりと。

 

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もともと興味があった「棋士」と「ソフト」の関係

 藤井フィーバーも手伝ってか、「将棋本」の特設コーナーを設けている書店もしばしば見かける近頃。人気棋士の哲学や生い立ちに迫った本も多く出版されており、まずはそういった新刊を読んでもよかったのですが、一番に手に取ったのはこの『不屈の棋士』でした。

 なぜ、最新の将棋事情や人気棋士を取り上げた新刊ではなく、本書を最初に読もうと考えたのか。この本をおすすめしている感想記事を読んで興味を持ったから──ということもありますが、それ以外にもいくつかの理由があります。

 まず、本書が「複数人の棋士を取り上げた本」だったから。

 そもそも現役の棋士の顔と名前が一致せず、どういった人たちが第一線で活躍しているかを知らなかった自分。そこで、特定の1人ではなく何人かの棋士が登場する本を読み、現在の将棋界を知るとっかかりにしようと考えたのです。

 加えて、それが「観戦記者の目線で書かれたインタビュー本」だったことも大きい。

 ネット上でもプロ棋士へのインタビュー記事は読むことができますが、メディアや執筆者によって切り取り方は当然異なってくる。対して、1人のライターさんによってまとめられた文章であれば、そのような違いは出にくいのではないか。そう考え、「インタビュー集」の体裁を持つ本書を手に取ったわけです。

 また、本書のテーマもポイント。

 『不屈の棋士』は、表紙カバーの「人工知能に追い詰められた『将棋指し』たちの覚悟と矜持」という文句にもあるように、「棋士」と「将棋ソフト」の関係に切りこんだ1冊となっています。

 自分が改めて将棋に “触れる” ようになったのはつい最近のことですがだいたい『りゅうおうのおしごと!』のせい、 “再会した” のはもう少し前のこと。しばらくぶりに将棋の話題を追いかけ、対局を観るようになったのは、2013年の第2回将棋電王戦*2がきっかけだったんですよね。

 「プロ棋士とコンピューターがガチで戦う」と聞いてすぐに興味を持ったし、それがニコニコ生放送で配信されるとなれば、ニコ厨としてはチェックせずにはいられない。この、ネット上で繰り広げられた「棋士 vs 人工知能」というアツい戦いが、自分が将棋と “再会” する契機となりました。

 つまり、将棋に詳しくない自分でも関心を寄せていた「電王戦」について書かれている本であれば、きっと楽しく読めるんじゃないか──と考えた格好。もともと興味のあったテーマであれば、読むにあたってのハードルも低いんじゃないかと。

 そして実際、本書は想像以上におもしろかった。

 登場する11人の棋士たちが語るのは、各々に異なる「将棋ソフト」との向き合い方。一言では言い表せない複雑な感情も汲み取ることができ、同時に、十人十色──もとい “十一人十一色” の将棋哲学を知ることができる、読みごたえのあるインタビュー集となっています。

 

ソフトと向き合うことで現れる疑問──「人間らしさ」とは何か

 『不屈の棋士』で登場するのは、現役で活躍中の11人のプロ棋士。彼らの将棋観と矜持、そして人間を超えたとも言われた「将棋ソフト」への複雑な思いや、将棋界の今後の展望などがインタビューを通して語られています。

 棋士たちの口から漏れるのは、喜怒哀楽が入り乱れた無数の言葉。戸惑い、興奮、怒り、驚喜、不安、楽観──といった苦楽が混ざった感情のなかに、各々が信じる将棋哲学が垣間見える。まっこと刺激的な内容ながら、どの棋士の話もある程度の説得力を持って語られているため、1人の話が終わるごとに咀嚼し、味わいながら読むような読書体験となりました。

 私は観戦記者として日々の取材をする中で、ソフトについて棋士に尋ね続けた。ある者はソフトに白旗を上げ、ある者は「まだ戦える」と言い切った。ソフトに嫌悪感を示す者もいれば、自分の将棋に役立てている者もいた。

 悲観と楽観。批判と称賛。力のこもった言葉を浴び続けた私は次第に困惑していった。とにかく棋士によって意見が大きく異なるのだ。

(大川慎太郎著『不屈の棋士』Kindle版 位置No.39より)

 前書きからしてこのように書かれているように、棋士たちの意見はびっくりするほどにさまざま。

 ソフトを「ドーピング」に例える人がいれば、「便利なツール」として積極的に取り入れる人もいる。ソフトの存在によって将棋が変わることを「おもしろい」と言う人がいれば、「寂しい」とこぼす人もいる。ソフトに対するスタンスは各々に異なり、感じ方もいろいろでおもしろい。

 同時に、誰もが別々の意見を持っているわけではなく、それとなく共通点も見受けられるのがまた興味深い。なかでも印象的なのが、「人間はいずれ、ソフトに勝てなくなる」ことを全員が事実として受け止めていること。ソフトの進化はすさまじく、遠くない未来にプロでも勝てなくなる。批判的な人も含めて、誰もがそれを認めているように読めました。

 いざそうなったときに、人間の棋士の存在価値はあるのかどうか。プロの棋士として、自分はどのような将棋を指していくのか。ソフトを研究に取り入れた将棋界はどのように変わっていくのか──。インタビューは、そのような「未来」の話にまで及びます。

 ……というか改めて見ると、話の聞き手である筆者さんのぶっこみ具合がなかなかにすごい。それこそ、「ソフトが強くなったら棋士の存在価値はどうなるのか」「今後、棋士の強さは魅力にならなくなるのか」といった問いを、臆面もなくぶっこんでいる(ように読める)ので。

 そのうえで、対する棋士たちも自分なりに考え、真摯に答えているように見受けられる。思うにこれは、信頼関係があるからこそ成り立つ問答なんじゃないかと。筆者さんは常日頃から棋士の話を真剣に聴いていて、だから彼らも考え考え答えているのではないかしら。

 ゆえに本書は、将棋にさほど詳しくない自分からしても、非常に熱のこもったインタビュー集だと感じました。「観戦記者」と「棋士」の関係性もさまざまだと推察できますが、本書のなかには、この筆者さんだからこそ聞き出せた話もあるのではないかと。

 そして、この本の魅力は何と言っても、「将棋」と「ソフト」の現状を紐解いた1冊でありながら、「人間」と「コンピューター」の関係性にも直結した内容となっていること。

 たとえば、「人間にしか指せない将棋はあるのかどうか」という問いは、そのまま別の仕事や活動にも置き換えられる問題だと思うんですよね。近い将来、人工知能によって多くの労働が取って代わられるとも言われる現代において、現在進行形で「ソフト」の存在が大きくなりつつある将棋界。本書では、今まさに現れている変化と現状を整理しつつ、その展望を考えているわけです。

──人間にしか指せない将棋というのはあるのでしょうか?

羽生 人間にしか指せない将棋……。うーん……何とも言えないですね。ソフトがドンドン進化した時に、この人っぽい将棋というのを指せるようになる可能性はかなりあると思います。たとえば昔の大山先生っぽい棋風のソフトを作るというのは多分できるんじゃないかと。だから人間らしい、人間にしか指せない将棋があるのかというと、あるのかもしれないし、ないのかもしれない、それ以上は言えません。たとえば作曲でも人工知能がバッハっぽい曲を作れるのと同じで、大部分の人が見てそれっぽいと思うものは近い将来できると思っています。だから究極的に人間らしい将棋というものが存在し続けるのかどうかは、わからないというのが正直なところですね。

(大川慎太郎著『不屈の棋士』Kindle版 位置No.619より)

 「人間らしさ」とは何か。将棋ソフトの存在によって考えられるようになったこの問いは、将棋のみならず、今後さまざまな場面で問われることになるのではないかと思います。

 ちょうどその変化の只中にある将棋界において、プロ棋士たちは何を考えているのか。その一端を知ることができる本書は、きっと将棋を知らない人でも興味深く読めるはず。

 個人的にしっくりきたのが、「ソフトは、その人間の将棋愛を映す鏡のようなもの」という表現。人は、無機質にも思える存在と相まみえたときにこそ、自身が抱える純粋な想いと改めて向き合うことになるのかもしれない。

 将棋を知ろうと読みはじめた本で、まさか「自分の存在価値」なんてものを考えることになるとは思わなかったけれど……。ともあれ、将棋ファンはもちろんのこと、「あえて知らない分野の本を読んで刺激を得たい」という人にもおすすめの1冊です。

 

 

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