その辞典──もとい “字典” と出会ったのは、大学生のときだった。ゼミに所属してあれこれと課題をこなしていくなかで、教授がたびたび引用していた一冊。
実際、課題に取り組む際にも参考文献として利用することがしばしばあり、大学の図書館で借りるたびにその分厚さに圧倒されていた覚えがある。……と同時に、それまで知らなかった「字」の世界に心惹かれ、わくわくしていた思い出。身近な漢字に、そんな意味があったのか、と。
それが本書、白川静氏の『字統』でごす。なんとなく欲しいなーと思いつつも、辞書ならではの圧倒的なほどまでのボリューム感と、相応のお値段に尻込みしていた格好。だって、普及版じゃないと2万円近くしますし……諭吉2枚とか、ガチャが何回まわせるんだ……。
あれやこれやと理由をつけて買わずにいたものの、なんか気づいたら文章に携わる仕事をするようになっていたり、昨年放送のアニメ版『舟を編む』に感化されたりなんだりして、年明けのこのタイミングでえいやっと購入に踏み切ったのでした。普及版だけど、満足感がすごい。所有欲と同時に、謎の幸せを感じる。抱えて眠りたい重量感だ……。
漢字の海をあっちゃこっちゃへ漂える『字統』の魅力
〔字統〕は、字源の解明を試みた書である。字の初形初義を明らかにして、はじめてその展開義を考えることができる。
『字統』とは、つまるところは「字源辞典」である。
“字” の “源” ──特に「漢字」の原初の姿にまで立ち返り、その字義と成り立ち、その後の変化を端的に知ることのできる「辞典」。小学生のころに読んだ漢和辞典の、ひとつの究極系と言ってもいいのではないかしら*1。
この書は、漢字の構造を通じて、字の初形と初義とを明らかにする「字源の字書」であり、その初形初義より、字義が展開分化してゆく過程を考える「語史的字書」であり、またそのような語史的な展開を通じて、漢字のもつ文化史的な問題にもふれようとする「漢字文化の研究書」である。要約していえば、この書は、漢字の歴史的研究を主とする字書である。
同時に、冒頭でもこのように書かれているとおり、「研究書」としての色も強い本書。解説文は良くも悪くも小難しい内容になっており、普段使いするにはちょいとハードルが高い辞典だとも言えます。「中国古典とか引用されても知らんがな!」と。
けれど、それでもなお本書がおもしろいと感じるのは、単なる「字の意味」にとどまらない、「文化」「思想」としての漢字の成り立ちを知ることができるからだと思う。たとえば、同じ冒頭部分では一例として「風」の字を挙げ、次のように説明しています。
字源の学は、字源の学だけに終るものではない。原初の文字には、原初の観念が含まれている。神話的な思惟をも含めて、はじめて生まれた文字の形象は、古代的な思惟そのものである。たとえば風は、もと鳳の形に書かれ、鳥形の神であった。四方にそれぞれ方域を司る法神が居り、その方神の神意を承けて、これをその地域に風行し伝達するのが鳳、すなわち風神であった。風土・風俗のように一般的なものより、人の風貌・風気に至るまで、すべてはこの方神の使者たる風神のなすところであった。風の多義性は、風という字が成立した当時の、風のもつ古代的な観念に内包するものとして、そこから展開してくる。このことは、原初に成立した文字の多くについて、いうことができる。
この説明によれば、「風」の字はもともと神鳥を示す「鳳」であり、自然現象である「風」はその羽ばたきによって巻き起こるものと考えられていた──ということらしい。
いきなり「『風』は『鳥』だ!」と言われてもピンと来ないので、実際に『字統』本文で「風」の項目を確認してみたら……たしかに、甲骨文におけるそれはどう見ても「鳥」だった。というか、「風」一文字の解説にまるまる1ページを使っているとか、なにこれこわい。
これによってその風土・風俗が規定され、風光・風物・風味が生まれ、その地に住む人の性情にも深く作用して、風格・風骨を形成するとされたのであろう。それが歌詠に発するものは風、すなわち民謡である。風の字のもつ多様な訓義は、このような古代風神の観念から、おおむねこれを解することができる。風邪のごときも、この神によってもたらされる神聖病であった。風は自然と人間の生活との媒介者であり、その生活の様式を規定するもので、そのような営みを風化といい、流風という。
(【風】フウ、かぜ・ふく・おしえ・ならわし)
一見すると小難しく感じる解説も、こうして「風」の字が使われた単語を挙げてもらうと非常にわかりやすい。
なるほど、例の「すごい一体感を感じる」のテンプレで「風」が使われているのにも納得できますね! ……え? 違う?*2
iOSアプリ『精選版日本国語大辞典』をポチった
「風」の字源はわかった。でもそこで、ふと疑問がわいてくる。「そういえば、日本では『風』と同じ読み方で『風邪』の単語があるけれど、これはどうしてなんだろう……?」と。付け加えると、そもそも「風邪」っていう病名はないんでしたっけ?
字源字典を読むのは楽しいけれど、こうなると、やはり詳細な日本語辞典も欲しくなってくる。……というわけで、買いました。iOSアプリ『精選版日本国語大辞典』を。だって、ちょうどTwitterで話題になっていたんだもの!*3 書籍版の90%オフとか、ホイホイされるしかないじゃない! わぁい!!
精選版 日本国語大辞典
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さて、とても30万項目が収録されているとは思えない、スイスイひゃっほぅな操作感と使い勝手の良さに感動しつつ「風」の項目を見てみると、「語誌」の部分にそれらしき説明を発見。やっぱり、中国からの移入とのこと。 “風邪” を当てるようになったのは明治以降なのかー。
また、それとなく『字統』の字源ともつながりそうな記述もあり、思わず読みふけってしまったのでした。これら2冊を横断して使えば、いろいろはかどりそうな気がしてきたぜよ……! 電子と紙とが合わさり最強に見える。でもこうなってくると、類語辞典も欲しいな……。
アプリ単体の感想を言えば、ぶっちゃけ、ずらーーーっと並んだ言葉のインデックスを一覧で見ているだけでも超楽しい。紙の辞典でページをめくるのとは、また異なる快適さと楽しさがある。これは、癖になりそうだ……!
そんな便利さを差し置いて、「とりあえず新しい辞典を手に入れたら下ネタをチェックする」己の精神性はどないやねんとも思うわけですが……。特に調べるネタが思いつかないから無思考に「おっぱい」を目指してスワイプするとか、下手すりゃ小学生時代から変わってないぞ、こいつ!
しかもその説明曰く、 幼 児 語 である。
小学生レベルですらなかった……なんてこった……。
ともあれ、ほかにも「季語」「慣用句・ことわざ」「主要出典」などからも検索できて非常に便利な、アプリ版『精選版日本国語大辞典』。『字統』ついでのノリでポチったわけですが、これで4,800円は良い買い物すぎるでしょう……。全力で使い倒そう。
思い返してみると、新しく「辞典」を買ったのは3年ぶり(関連:いつも手の届くところに置いておきたい『美しい日本語の辞典』)。何年かけても全文を読み終えることはない読み物として、長くお付き合いしていきたい所存でございます。今年は、どんな言葉と出会えるのかな?
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*1:白川氏の字書三部作において「漢和辞典」に当てはまるのは、どちらかと言えば『字通』のほうですが。