いつかのなくしもの


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 自慢じゃないけど、僕はこれまで、モノを無くしたことがほとんどない。

 

 「日本人はなくしもの探しに一生で52日を費やしている」なんて話もあるらしいけれど、そもそも「モノを探す」ということがあまりない。子供の頃ですら、教科書が無いだの筆記用具が無いだのと、あれこれ家中を探し回ったような記憶はない。

 「実際のところは忘れているだけで、実はペンだとかゲームソフトだとか、結構いろいろ無くしてるんじゃね?」という可能性も、少なからずあるとは思う。というか、それは絶対にある。消しゴムとか傘とか、無くしたことをすぐに忘れそうな消耗品もありますしおすし。

 とは言っても、中学時代に愛用していたシャーペンは今も勉強机のペン立てでくたびれているし、無くしたと思っていたゲームは、先輩にパクられていたことが判明している。財布、ケータイ、パスケースといった「忘れ物」の王道も、覚えているかぎりでは無くしたことがない。

 

 ……あ、やっぱりこれ、自慢でした。すんません。

 

いつかのなくしもの

 どうして急にこんな話を始めたのかと言えば、パソコン内の写真フォルダを整理していたところ、過去の「なくしもの」を撮った写真が見つかったので。自分のお金で買ったのが嬉しくて、しっかりと撮影したうえで、何ヶ月かあとに失われてしまったモノ。

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 扇子でござる。

 買ったのは、2013年7月13日。当時入社2年目だった自分が、ぶらっと京都を旅行したときに「舞扇堂」さんで購入したもの。極端に高価な品物ではなかったと思うけれど、追加料金を払って刻印までしてもらい、ルンルン気分で持ち帰った覚えがあります。

 どうして扇子なぞ買ったのかと言えば、おそらくは着物と一緒に持ち歩く小物として選んだのでしょう。季節も夏。ボーナスの前だか後だかに、初めて仕立てた着物が届いた頃であり、「自分が稼いだ給料でモノを揃える」ことでストレスを解消してに、快感を覚えていたであろう時期。

 そんなとき、運良く取れた連休で京都を訪れ、着物に合わせるべく色なども考慮したうえで購入したのが、こちらの扇子。他の服はないのに、この扇子については写真が残っているあたり、本当に嬉しかったんだろうなあ……と。当時の自分の高ぶり具合が、なんとなく伝わってくるぜよ。

 

慣れないことをするときには、要注意

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 で、この扇子を、どのように無くしてしまったのかと言いますと。

 理由は至極単純明快、「どっかで落とした」らしいという、それだけ。いつかの休日、着物の帯に扇子を挟んで外出した、その帰り道。最寄り駅から当時の住まいまでの約2kmを歩く道中で落としてしまったらしく、疲れて眠りこけた翌日の朝に気づいたのであった。

 仕事が終わってから、駅までの道のりを歩きつつ隅から隅まで探したものの、結局は見つからず。扇子なぞ、わざわざ拾って交番に届ける人もおるまいて……と考え、泣く泣く諦めるに至ったのでございます。いま考えると、ダメ元で遺失届を出せばよかったかなあ……と思わなくもない。

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 この経験で学んだのは、「慣れないことはするもんじゃねえ」という、当たり前の教訓でござった。ちょうど着物も着慣れてきた頃、朝から晩まで身にまとったままで、帯が緩むのを直さなかった自分が悪い。もうちょい、着崩れをどうにかする意識があれば……。

 そう考えると、正確にはこうですね。「慣れないことをする際には、しっかりと気を払うべし」的な。帯に扇子を挟むにしても、落とさないようにするための挟み方まで調べておくべきだった。あるいは、慣れない格好で外を歩くのだから、こまめに身だしなみを整えるべきだった。

 モノを無くすときは、一瞬でござる。場所を移動する際、忘れ物がないかどうか幾重にもチェックしようと、綻びが生まれるのは、普段は意識しないところから。慣れすぎていても注意が疎かになる面もあると思うので、いつもどこでも「再確認」は忘れずにいたいっすね。

 そんなこんなで、せっかく「なくしもの」を思い出せたわけですし。次にどこぞへか遠出したときには、新しく扇子を見繕いたいところでございます。

 

 

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