生まれて初めて聴いた生の落語で「音」を奪われた


 まったく落語に興味のなかった私めが、勢いで聴いてまいりました。きっかけは、上記の本。イェール大学 → 三井物産 → 落語界 という一風変わった遍歴を持つ、立川志の春さんによる著書で、プレゼンにも使える「まくら」の性質と方法論をまとめています。

 こちらを読み、「落語」そのものに興味を持ちまして。自分にとっての「落語」と言えば、時たまテレビで目に入る程度の存在。 “アートとサービスの間にある” というその性質と、その魅力を知りたくて。単純にエンターテイメントとして楽しんでみたくて、興味本位で足を運んでみました。

 

はじめての落語は、きっかけとなった人の独演会

 ぶっちゃけ、今はネットを使えば、家に居ながらにして落語を楽しめる時代でございます。

 演芸場に足を運ばずとも、地元の図書館でカセットテープを借りずとも、自宅でPCを前にして、アホみたいなニコニコ動画*1や有象無象の跋扈するツイキャス*2と並んで楽しむことのできる、動画・音声コンテンツ。ゆえに、わざわざお金を払って見ることもないのです。人目をはばからずに自分のペースで見る・聴くことができる分、ネットの方が敷居は低いし。

 だけど一方では、CDで聴く音楽と、ライブハウスで全身で感じ取る音楽は、まったくの別物であるということも知っております。単に受け取る情報量の差に留まらず、その場所その時間その空間で、他の観客と共に味わうことのできる一体感は、何物にも代え難いということを。そうだ、ライブ行こう。

 

 そんなわけで、『あなたのプレゼンに「まくら」はあるか?』の中でも勧められていたように、まずは平日昼の演芸場を覗きに行こっかなーと考えていたのですが。

 落語まわりの情報を検索しているうち、立川志の春さんのウェブサイトに流れつきまして。流し読みしていたら、サイトを見ていた、まさにその日の夜、定期独演会が開催されるという情報が目に入ったのです。なんちゅうタイミングの良さ。

 これは行くしかあるめえと。もしかしたら、本の感想を直接伝えられるやもしれんと、その場でチケットを購入(Peatixでも購入可。ありがたや)。せっかくなのであえて何の前情報もなしに、本を読んだ以外はほぼまっさらな状態で聴きに行くことにしました。わくわく。

 

「音」を奪われた数十分間

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 さて、肝心の演目は、上記写真のような3本立てになっておりました。

 一口に言えば、「おもしろかった」、それも多彩な質の「おもしろさ」を孕んだ内容で、非常に刺激的でした。著書にも書かれていたように、「まくら」に始まり、話に引き込んでいく流れにもさまざまあり、思わずむっちゃ頷き、笑いながら聞くことができました。

 

 1本目『権助魚』*3で、登場人物の演じ分けや話し方のリズム・間・調子などに感嘆し、なんとなく「落語」の流れや構造を理解した。

 2本目『サンキュー』は、創作落語かしら? 電車の中で席を譲る・譲らない、遠慮する・遠慮しないを論じる掛け合いはどこか寓話っぽくもあり、「あ、ブログのネタになりそう」なんて視点から聴いていた。「 “つまらないものですが” なんて、生産者に失礼じゃないか!」に笑った。

 そして仲入りを挟んだ3本目『紺屋高尾』*4は、途中まで聴いて、「あ、これ、どっかで聞いたことがあるような……」と既視感を覚えるものでした。話の内容に関しては。

 だけど、客観的にワハハと笑いながら見て、聞いていた1本目2本目とは異なり、中盤からの引きこまれ方が尋常じゃなかった。メモ帳を広げ、お客さんの反応も確かめつつ聞いていたそれまでとは異なり、舞台上の演技・一挙一動に意識を刈り取られるような感覚を覚えた。

 

 ちょいと話はズレますが、映画やアニメ、ゲームなどの創作作品で自分が強く感情を揺さぶられるのって、大抵は「音楽」による力が大きかったんですよ。俳優さんや声優さんの渾身の演技に加えて、背後で程々の主張を伴って流されるメロディに涙腺を刺激され、それが後にも印象に残る感じ。

 自分が創作物を “見ている” という意識・感覚を “持っていかれる” のも、その場面とシンクロした「音楽」があってこそ。だからこそ「あ、いつの間にか泣いてる俺きめえww」なんてことになるし、何年経ってもその「音楽」を聞けば、シーンが自然と蘇ってくるのです。

 ところが今回、落語によって久しぶりにそのように “持っていかれる” 感覚を覚えて、自分が引きこまれていることを認識した途端、愕然とした。「音楽」による演出も何もなく、たった一人の言葉と動作、それだけによって、 “持っていかれ” ていることに。

 気づくまでは、自分の意識を完全に舞台上の一点に集中させられていたし、周囲の状況も目に入っていなかったので。しかも気づいたら気づいたで、張り詰めた空気感の中、ホール内に残響する「」がほとんど舞台上から発せられているものだけであることがわかり、観客も含めたその場の空気の一体感を我が身で感じて、身震いしそうになった。

 

 昔、ちょっとした舞台や演劇の類も鑑賞したことがったけれど、それ以上に引き込まれて、ドキドキしました。なんちゅーか、場の支配感のような何かを実感したような格好。こんな場面、『ガラスの仮面』で読んだような。それとも固有結界かな?

 聞くところによれば、立川志の輔師匠や有名落語家ともなると、その支配感はとんでもないという話。これは、老若男女関係なしにハマる人が多いのにも納得でござる。ひとたび惹かれてしまえば、「もっかい!」ってなりますわ、これ。

 うまく言語化できているか怪しいところではありますが、「落語すげえ!」をリアルに体験することのできた約2時間でした。そうなんすよね……2時間なんすよね……映画1本分くらいなんすよね……。自分の時間感覚では、その半分くらいの印象だったんだけど……。

 

 何はともあれ、すばらしいひとときをありがとうございました。初めての体験による情報量にあっぷあっぷしていたので、終演後に志の春さんがお客さんのお見送りをしている脇を通るときも、「本、良かったです!ぱねえっす!(※意訳)」くらいしか話せなかった気がするけど。

 「また機会がありましたら」なんて曖昧な表現じゃなく、「また、是非」に参加させていただこうと思います。次は、演芸場を何ヶ所かぶらぶらしてみようかしら。

 

 

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*1:※褒め言葉

*2:※褒め言葉(誰でも配信ができる的な意味で)

*3:権助魚(ごんすけざかな) 落語: 落語あらすじ事典 千字寄席

*4:紺屋高尾 - Wikipedia