ブログの投稿記事数も、そろそろ300。
昨年末まではツッコミらしいツッコミもほとんどなく、仕事の合間を縫ってしこしこと投稿してきたこのブログ。でも最近は割と言及していただくことも増えて、嬉しいかぎりでございます。
ブログ記事に対する「ツッコミ」の形としては、コメント欄*1、Twitter、Facebookでの共有などがありますが、はてなブログで書くにあたっては、やはり「はてなブックマーク」の存在は大きいもので。
独特の文化圏を持つ、はてブ。自分も日常的に使うようになって、その便利さを感じ、また、ブログではアクセス増加の恩恵も受けております。ありがたやありがたや。
そんななか、共感のコメントが付けば喜ぶ一方で、明らかにバカにしているコメントに怒ったり、とんがったツッコミにダメージを受けたりする自分もおりまして……。そのたびに一喜一憂させられてきましたが、改めて考えてみると、なんだかんだで僕は「はてブ」が好きらしい。
ブログ記事に付くブックマークコメントを見るようになってから、約8ヶ月。自ら使うようになってからはまだ半年ほど──という新参ではございますが。そこで自分に向けられるコメントを読んできて、考えたこと・感じたことを書き連ねてみようと思います。
初めてバカにされてムッとなった日
過去の記事を遡ると、ブックマークがたくさん付いて、初めてホッテントリ入りしたのがこちらの記事でした。
改めて読み直すと、我ながらちょっと何を言いたいのかわからない部分があったり、無理にネタに走っちゃったりしている感じが伝わってきて、「あばばばばー!」と赤面しながらこのまま走り去りたい……のだけど、今もあまり変わってないからまあいいや。
それはさておき、数多くのブックマークコメントが付いて最初に思ったのは、「こんなにいろいろな考え方があるのか! すげえ!」ということ。
自分の記事が多くの人の目に留まり、コメントしてもらえたことは純粋に嬉しい。でもそれ以上に、「そういう視点もあるのか!」という多様性に少しだけ触れられたようで、非常に新鮮かつ刺激的な体験に感じられたのでした。ブログって……おもしろ!
けれど一方では、こんなコメントも。
なんだこの頭悪い子が書いた記事は。
浅くて薄いなー。偽善じゃなくて否善とでもいえば納得するの?
──そりゃあ当然、ムッとしましたよ。
おそらく、「おまえに僕の何がわかるんじゃい! 文句あるなら書いてみろよ!」「ネガコメ乙」的なことを考えたんじゃないかと。批判に慣れていない人がするような思考と反応を、当時の僕も漏れなくしたのではないかしら。おこなの?
激おこぷんぷん丸とまではいかずとも、結構イラッとしたのは違いないはず。……うるせえ! 頭悪くて悪いか! それに薄くねーよ! ふさふさだよ! ──などと。キレやすい若者ってやーねー。
理由のないコメントはスルーしてもいいのでは
そんなこんなでイライラしていた当時の僕ちゃんですが、その後に付いた別のコメントを読んだことで怒りが徐々に消化され、考えが変わっていったことを覚えています。
正直よく分からない記事だった。個人的には、謙遜としての「偽善」はありじゃないかな?って思う。
それまでと同じく、ひとつの感想コメントに過ぎないのだけれど、否定的なニュアンスから入ったうえでコメント者さんの意見が記されている点が、前述の罵倒とは異なっておりました。
この「感想→自分の意見」という、シンプルながらわかりやすいコメントを読んで、なるほどなーと。明確な否定から始まりながらも、その人自身の考えを記されていたため、自分としても批判を素直に受け入れ、納得することができたのでした。
そこで僕が考えたのが、「理由のない批判は、スルーしちゃっていいんじゃね?」ということ。
先の「頭悪い」と「浅くて薄い」のコメントには、そのように感じた「理由」が書かれていないし、コメント者さんの意見も示されていない。それなら、否定された人(ここでは自分)が、そのコメントに対して反論したり、何かを感じたりする必要もないのではないかしら。
たとえ短いコメントだとしても、それが何かを伝えようとしているものであれば、こちらもしっかりと読むし、読んだうえで意見を変えたり参考になったりする部分もあるかもしれません。
けれど、あまりに端的な、その人のド直球な感想・感情に過ぎないだろうコメントだけを読んでも、そこから何かを読み取ることは難しい。──実際問題として、「文句を言いたいだけ」で書き込んでいるという人も、少なからずはいるのではないでしょうか。
この手のコメント、あるいは単なる罵詈雑言については、スルーしてしまってもまったく問題はないように思います。
彼らは何を主張するでもなく、感情を記しているだけのように見えるので。そこから理由や意見を窺い知ることは難しいし、それが自分にとって益のあるものとも思えない。
──それなら、スルーしちゃってもいいんじゃない?
ブックマークコメントは「独り言」?
ブックマークコメントを読んでいると、複数人でコミュニケーションしていたり、その記事の筆者さんに語りかけるようなコメントをしたりしている人が、しばしば散見されます。
それを「楽しそう」と感じるか「馴れ合いがウザい」と感じるかは、きっと人それぞれ。そのようなブコメを介したコミュニケーションも、はてなブックマークの使い方のひとつだと思うので、何も問題はないように思います。……ですよね? たぶん。
しかし他方で、その様子に慣れ親しんでいると忘れがちですが、はてブはそもそも「ソーシャルブックマーク」と呼ばれるサービスです。
自分のブックマークを公開し、他人と共有することでさまざまな情報を入手したり、交流したりといったことができる。でも、その本質は情報の「記録」と「共有」であると僕は考えています。「交流」はそれに付随してくるおまけ的な要素かと。
そしてそのような「ソーシャルブックマーク」の性質を考慮すると、そこに書かれている「コメント」とは言わばそのブックマークをした人の「メモ書き」であって、記事の筆者に対して放たれた言葉ではない場合も、決して少なくないのではないでしょうか。
僕自身、ほかのブロガーさんの記事をブックマークする際は、自分の感想や考えたことをコメントに載せて、タグ付けしたうえで保存しています。
その書き口は、「〜〜と思った」「参考になる」「納得」「違うんじゃないか」などの常体や、言い切り型の口調になることが多い。筆者さんに読まれる可能性を考慮してあまり強い物言いにはしませんが、「100文字」という制限があるため、敬体でまとめるのが難しい場合も多いんですよね……。
つまるところ「はてなブックマークコメント」とは、自分が感じたり考えたりした感想、あるいはその記事を読んだユーザー自身の主張を書き記しておくだけの「メモ」欄であり、言い換えれば「独り言」と表現しても差し支えないのではないかしら。
そのように考えておけば、否定的なコメントに対して過剰に反応する気も起きず、「そう感じる人もいるんだなー」くらいの感覚で流せるようになると思います。
逆に「どこがおかしいんだよ!?」と反論したところで、メモとして使っている相手からすれば、「え? 別にあんたに対して言ったわけじゃないんだけど?」と戸惑うことになるかもしれません。お互い、気楽にやりましょ。
ブックマークコメントで清濁併せ呑もう
以上のように、基本的には、ブックマークとブックマークコメントを「メモ」として認識していても問題はないはず。
でも一方で、コメントを読むのはやっぱり楽しいし、記事を書いた側からすればさまざまな意見に耳を傾けられる、素敵なサービスであることも間違いないと思います。
たとえば、こちらの記事。100件ほどのコメント付きブックマークをしていただき、そこでは、コメントをしてくれた方それぞれの「就職活動」や「仕事観」が語られており、読んでいて参考になりました。
この筆者と似た体験をしているので、それなりに頷首できる点も有るわけだけど、問題はやめた後なんだよなぁ。他のエントリ見ても再就職したとかそういう話は出てないけど、読者が求めてるのはその後かもとか思った。
1年半で辞めているのになんで総括しているのか…やめた経験を具体的に話したほうが有用だと思うが。
意外とコネクションって重要なファクターだと思うんだよなぁ、どんなに優秀でも「コイツとは一緒に働きたくない!」って思われたらアウトだし、なのでまず知ることが大事なのかなと。双方ともにね。
単なる賛否や共感したという感想だけではなく、「こうしたら?」とか「どうしてそうしなかったの?」といった助言や、さらには疑問を含んだコメントも多数。見方によっては、記事本文よりも濃い内容になっているようにも感じられ、おもしろく読めるんですよね。
ひとりの人間が書いたひとつの記事よりも、それに関して考えを述べた100人のツッコミのほうが多様性に富んでいるのは、当然と言えば当然です。そして、その多種多様な意見をひとつのページでまとめて読むことができるはてブのシステムは、まっことすばらしいものかと。
これがTwitterになると、なかなかこうはいかないんですよね。
ある話題について他人の意見を知るには検索の必要があるし、それも一言だけの感想ばかりが見つかるという。流動性の高いタイムラインの仕組みを鑑みれば、ひとつひとつのツイートは簡潔になりやすいのも当たり前なので、致し方ないとは思いますが。
ブックマークコメントにも100字という制約はあるけれど、そのコメント=メモを自ら「ストックする」という意識もあるので、考えて書いている人は結構多いように見受けられます。Twitterのように複数のツイートで補足することもできないので、その「100字」に全力で向き合う形。
もちろん、たかが100字ですべてを語るのは難しい。それでも、一言の共感・賛美・罵声で済まされがちなTwitterと比べれば、はてなブックマークからは個人の意見や感情が表面的ながら見て取れるため、ネットならではの多様性が担保されているように思います。
意味のある批判は、できるだけ素直に受け止めたい*2。せっかく忌憚のない意見を書いてくれる人があれだけいるのだから、しっかりと読んでおきたい。フォロー関係のあるTwitterだと、どうも共感的な感想ばかりになってしまうので。
こちらの記事へのブコメを読んだときにも感じたのですが……。わざわざコメントしてくれる人って、意外と優しい人が多ように思うんですよね。そう、意外と。
単に「働け」「無職くたばれ」で済ませるのではなく、「こういうふうにやってみれば?」とか「俺はこうだったから気をつけろ」とか、想像以上に助言してくれる人が多くて驚いた覚えがあります。ありがたやありがたや……。
罵詈雑言はスルーでOK。
助言はありがたく頂戴しつつ、賛否の両論は受け止める。
ネットならではの清濁を併せ呑みつつ、今後もはてブと付き合っていこうと思います。