不謹慎な話題、ネタツイートは、どこまでなら許される?


「AKB48ファンが国立競技場の椅子を破壊している!頭が悪い」と画像付きで嘘情報をツイートし非難轟々→「ネタツイなんですけど」 | Web論(※記事削除済)

 

 読みました。この手の話題は、イベントやライブがあるたびに火種となって現れているような気がします。パッと見では、ちょっと前にネットを賑わせた、飲食店での写真投稿とやっていることは変わらないようにも見える。どうなんでしゃろ。

 

最低限のモラル:「人に迷惑をかけてはいけない」

 今回の件に関しては、冒頭のWeb論さんの記事でまとめられている通りだと思います。ネットリテラシー以前に、モラルが欠如している。

 「おもしろいネタならば、何を言ってもいい」なんていうのは、それが認められるとしても、仲間の間でだけじゃないかと。ネット上に書き込むとしても、クローズドSNSの限定公開の中でのみ。誰もが見れるTwitter上で世界に向けて発信するものではない。そもそも、僕はおもしろいとも思えない。

 

 今回の件や、去年のTwitterでの炎上案件が問題となるのは、それによって「不利益を被る可能性がある人」が存在する点だ。

 今回ならば、AKB48ファンの悪評に繋がる。昨年の炎上では、店が閉店に追い込まれたり、該当店舗の商品を廃棄したりと、金銭的な被害にまで発展している。前者は画像の転載、後者は自らの撮影写真という差はあれど、1人のユーザーの身勝手な投稿により、他人に迷惑が及んでいるという点では、同質の問題であると言える。

 

 「人様に迷惑をかけるな」という考え方には、極論に走ったり、モンスタークレーマーを生み出しがちだったりという欠点もあるとは思う。

 でも、それにしても、無関係の他人に不利益をおっ被せる可能性を孕んだ、身勝手なネタツイートに関しては、きっぱりと否定したい。繰り返しになりますが、これはリテラシー云々以前、モラルの問題です。……と言っても、モラルも明確な基準がないため、線引きが難しい場合もある気はしますが。

 

許されるネタ

 じゃあ逆に、「許されるネタ」にはどのようなものがあるだろう。まずは単純に、「誰にも迷惑のかからないネタ」がある。

 

 例えば、仮想のキャラクターについておもしろおかしくツッコンだもの*1だったり、自分の身体を張ったネタだったり。

 後者に関しては、分かりやすい。自分の身体とキャラ一本で、アホなことをやってファンを集めているユーザーはたくさんいる。YouTuberのMEGWINさんは動画で*2、ライター?のセブ山さんは画像と記事で*3、たくさんの人を笑わせている。時には、意図せず汚い絵面が目に入って、ドン引きすることもありますが*4

 

 「自分をネタにする」のならば、その範囲だけでやっている限り、基本的には誰かの迷惑になることはない。もちろん、とても許容できない行為を見て、「精神的被害を受けた!」と言うこともできるけれど……その場合は、何が嫌だったかを伝えるとか、次からは見ないように自衛策をとるしかないと思う。

 

線引きが難しいネタ

 他方では、多くの人が笑える、おもしろいネタでありつつも、それを不快に感じる人も相当数いる、線引きが難しいネタも存在する。というか、ウェブ上で消費されるコンテンツとしての「時事ネタ」の多くが、そうなんじゃないかしら。

 具体的には、最近の話題で言えば、小保方氏の論文捏造疑惑や、佐村河内氏のゴーストライター問題が挙げられる。

 

 

 正直に言って、これはもう風物詩というか、インターネットの持つ文化のような、抗えない大きな流れとなってしまっているようにも思う。有名になった人を持ち上げて、その人の思いや意図とは全く無関係に、「ネット」という内輪の中で大喜利化していく流れ。

 端から見れば、個人を複数人で寄ってたかってバカにする、「いじめ」のようなもの、もしくは「いじめ」そのものなのかもしれない。しかし、その様子に嫌悪感を覚える人もいる一方で、照英*5さんのように「ありがたい」と寛容な姿勢を見せる人もいる。それらを鑑みれば、個別に判断するしかないようにも思えるけれど……うーむ。

 

ネタに対する個人の反応

 

 ネタに対する個人個人の反応としては、こちらの id:xKxAxKx さんの記事が簡潔で分かりやすくまとめられているように感じました。不謹慎ネタに関して、ネットユーザーは次の4パターンの捉え方をしているのではないか、というものです。

 

  1. 不謹慎でもおもしろければそれでいいよ
  2. おもしろかろうが何だろうが不謹慎は許さん
  3. 取り上げるネタによって反応を変えるよ
  4. 周囲の人たちの反応によって反応を変えるよ

 

 1と2の捉え方をしている人は、はっきりしていて分かりやすいように感じるけれど、印象としては、3か4の人が多いと思う。

 僕自身は、3に当てはまります。人の亡くなっている話題は完全にNG。それ以外に関しては、正直、明確な線引きはできていません。ただ、「それを笑いものにするのはどうなんよ……」と感じたトピックについても、個々のネタで思わず笑わされてしまった場合は別。それをネタにすることの妥当性は棚上げして、心の中、もしくはブコメで座布団1枚をあげています。

 

全てをネタにすることの功罪

 いつでもどこでも大喜利が始まり、なんでもかんでもネタとして消費しようとするインターネットの文化構造は、傍観者として見ている分には楽しいものかもしれない。けれど、それによって、話題の本質から目を背けることにも繋がりうる。

 一例として、佐村河内氏の問題には「聴覚障害」が関わっています。「障害」と言えば、元からそこそこデリケートな話題。この一件は、聴覚障害に対する印象すら変えかねない話でもあり、何も知らずにネタとして消費するだけという姿勢には、確かに疑問を覚えます。

 

 しかし、その一方で、ネタにされることで世間の認知度が広まり、その問題に関する知識・関心が深まるといった可能性も、あながち否定できないんじゃないかな、とも思う。

 

 具体的な統計・データを参照したわけではないので、完全に個人の印象だけれど。ネタにされることで、急速にその話題に関する認知度が広まり、興味を持つ人が現れるかもしれない。

 もちろん、マスコミの報道によっていずれ伝わる話ではある。だけど、時事問題に関するネットの拡散速度はバカにできないし、それが「ネタ」として広がることで、マスコミの報道にはないセンセーショナル性が付与される。それによって関心を持った人がいても、少しも違和感はない。

 

 ただし、佐村河内氏の件の場合は、その関心が「聴覚障害」にはあまり向けられなかった模様。僕の周囲では、普段は時事問題なんて話題にしない人もこの件に関して突っ込みを入れていたけれど、その切り口は、「ゴーストライターの是非」や「作り手の持つ物語性」などに関するものだった。

 人の興味関心の対象までは操作できないが、「ネタにする」ことによって、その問題に目を向けさせる効果が、一部では現れているんじゃないかとも思う。本当に「一部」かもしれませんが。

 

 結局のところは個別にその妥当性を判断して、「みなさんのモラルのお任せします^^」とするしかないのかもしれない。不謹慎ネタはともかく、ネタツイをして自ら燃え上がっているのって、大半が中高生のように見えるし、彼らも燃え上がるのを楽しんでいる趣きがあるので、如何ともし難い。

 無自覚の悪意を止めることはできないので、「それは悪いことだよ!」と周囲が指摘するしかない。けれど、それも圧倒的大多数の大衆によってされなければ自覚できないし、そうなってしまえば、それすらも「いじめ」の様相を持ってしまう。そもそも個々の問題の「正しさ」すらも人によって異なるのだから、もうどうにもならないような気もする。

 

 じゃあどうすりゃいいんだろう。
 僕にはこれ以上、思い浮かびませんでした。

 

 たすけて、ドラえもん。

 

 

関連記事

*1:コアなファンのついたアニメ・マンガのキャラだと、「◯◯様をバカにするんじゃねえ!」と言われることもありうるので、お気をつけて

*2:Amusing MEGWIN TV 毎日面白動画 - YouTube

*3:セブ山 (sebuyama) on Twitter

*4:ネットの有名人について、「被害を受けた!」などの悪評・噂を目にすることもありますが、部外者では判断できないので、何とも

*5:照英 - Wikipedia