「恋愛」と「ときめき」は消費コンテンツなの?


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 「恋届」なるものが話題になっていた。公式サイトによれば、千葉県流山市が、映画『百瀬、こっちを向いて。』(5月10日公開)のロケ地となったことを記念した企画、らしい。ネタとして消費されて終わりのような気もするけれど。ちなみに、映画の主演はももクロの青い人だとか。

 ロケットニュース24の記事を読んでみると、「実在しない人物と恋愛中でも利用することが可能」とある。さあ集うのだ、全国の二次元愛好家よ*1

 

 これはひとつの企画に過ぎないけれど、現代において「恋愛」は、ひとつのコンテンツ市場を形成するものとなっている。

 2000年代には、いわゆる出会い系サイトが社会問題となって、出会い系サイト規制法なんて法律が施行されたりもしたけれど、今やネットを通じて他人と出会うことは、珍しくない。「恋活」「婚活」という単語で検索してみれば、リクルートなどの大企業が運営するものも含めて、たくさんのサイトが出てくる。関心のない人間からすれば、「呼び方が変わっただけで、昔からある出会い系と何が違うんだろう……?」と思わなくもない。

 その一方で、自分の周囲の人間の恋愛模様を聞いたり、ウェブ上の他人の恋愛話を読んだりしていると、僕らにとっても「恋愛」そのものが一種の消費コンテンツとなっているような気もする。その辺、どうなんでしょうか。

 

あなたにとって「恋愛」とは?

 一口に「恋愛」と言っても、それに対する考え方や、生活における重要度などは、人によって変わってくるものだと思う。「今はそういうのないからいいやー」という人もいれば、「私はいつだって全力で恋するんだあああああ」と、暇な日は全て合コンで予定を埋めるような猛者もいるかもしれない。

 「恋愛は楽しいもの!うふふふふ!」と断言する者もいれば、「恋愛?そんなの、辛いだけだよ…(遠い目)」と冷めた見方をする人だっているだろう。その辺は、個人の経験に裏打ちされたものになると思う。

 恋のときめきを原動力に生活している人は、積極的に出会いを探しまわるだろうし、何らかのトラウマがあれば、色恋沙汰からは距離を取ろうとするはずだ。そもそも、「恋バナ」自体を忌み嫌うような人間だっている。いったい、何があったんだろう……。

 

 僕はと言えば、「恋愛」からは距離を置いている人間だ。自ら意欲的に、「恋をするんじゃああああ!!」なんて突っ込んでいく気はないし、恋人を作るくらいなら、友達を増やしたい。色恋に発展するとしたら、その中からでしょ。たぶん。

 という見方をしているのも、僕にとっての「恋愛」が「面倒くさいもの」であるためだ。恋愛そのものが、という意味ではない。恋における駆け引きは嫌いじゃないし、相手の一挙一動に対して、一喜一憂する日々も悪くはない。むしろ楽しい。

 面倒くさいのは、「自分」が、という意味で。色恋にのめり込みすぎた結果、周囲に害を及ぼし、迷惑をかけた経験があるので。ほどほどにすればいいんだろうけれど、「恋は本気じゃなきゃ……!」的な乙女思考と、中途半端は好きじゃない、という想いがある。ほどほどにすればいいんだろうけど、それも未熟な自分には難しい。

 まあ機会があれば、程度の感覚が楽でっせ、はい。

 

「ときめきが欲しい!」という願望

 そんな、冷めて伸びきったラーメンのような自分の話はともかくとして。僕の周囲の友達の間で恋愛の話題を挙がると、しきりに「ときめきが欲しい!」という話をされる。男女関係なく、だけど、どちらかと言えば女性が多い印象。

 相手は、大学のサークル仲間や、ネット繋がりの友達など。どこに行っても「ときめきときめき!」と鼻息を荒くして、妖怪酒飲み太郎or花子に変化し始めるので、恋愛とは無縁の僕は隅っこで震えて縮こまるしかない。ときめきがなんだよぉ……メモリアってろよぉ……。*2

 彼ら彼女らの主張も分かる。恋愛活動の主成分こと「ときめき」は、僕らの精神を豊かにするものだと思う。「恋する女は綺麗さ〜♪*3」は真理だと思う。見ているこっちがきゅんきゅんさせられるほどに。この気持ち、まさしく恋……じゃないよ!勘違いだよ!*4

 

 けれど、恋愛消極派の僕からすれば、「ときめきが欲しいなら、疑似モノで補完すればいいじゃん」と思わなくもない。人の恋愛話を聞いてきゅんきゅんしたっていいし、恋愛モノの物語作品に触れたっていい。……と、彼ら「ときめき厨」に言えば、おそらく「そんなんじゃ物足りないんだよおおおおおお」と突っ込まれそうな気がするけれど。

 実際、恋愛を主題とした作品はいつの時代も安定して売れるものだ。確かに、現実の恋愛を自らが体験するのと比べれば、得られる「ときめきポイント」は微々たるものかもしれないが。でも僕は、それで満足しちゃうので。

 

「恋愛」と「ときめき」は消費物?

 そう考えてみると、消費されているのは「恋愛」というよりも、その中の一要素としての「ときめき」であるようにも思える。酸いも甘いも含めた「恋」ではなくて、それを構成するポジティブ要素としての「ときめき」。

 「恋愛」の中の「ときめき」を目的として、それらを消費物として捉えてしまうことは、見方によっては恐ろしい。自分と相手、2人がいて成り立つはずの恋愛において、そこにいる人間ではなく、生み出される生成物を主体としているからだ。

 つまり、2人の間で生まれる「ときめき」を消費し、吸えるだけ吸い終えたら、それで終わり。満足したことで、また次の「ときめき」を探してさまようことになる。それは、恋した相手も消費物でしかないということだ。人間が主体のはずの「恋愛」という関係性において、その前提が揺るぎかねないほどの見方ですらある。怖い。

 思うに、ぽんぽんと頻繁に恋人が変わるような人にとって、「恋愛」は生モノであり、「恋人」は消費物でしかない……のかもしれない。ある人に恋をして、その好きな気持ちは本物なのだろうけれど、彼または彼女の持つ「好き」の要素・成分=「ときめき」を吸い取るだけ吸い取ったら、それでおしまい。ばいなら〜。

 

 長く付き合っていると、「倦怠感を覚え始めたら注意!」と助言されるのも、それゆえなのかも。定期的に「ときめき」を摂取しなければ、その関係に飽きてしまう。

 だからこそ、「刺激が足りない!」などと言って浮気に走る人は絶えないし、それを容認するような流れも醸成されているのだろう。「ときめき」も、あながち馬鹿にはできませんね。

 僕個人は、「ときめき」を切らすと禁断症状に陥るほどではないけれど、でも定期的にきゅんきゅん成分は欲しくなる。なので、物語を読むのです。基本的には小説やラノベ。映画などの映像作品は没入し辛いので、あまり「ときめきポイント」は高くない。

 「ときめきが欲しいのなら、少女漫画を読め!」が、僕の主張です。幼い頃から慣れ親しんでいた人には効果は薄いかもしれないけれど、たまに読むと効果覿面。ときめき成分が強過ぎて、キュン死にするか否かのレベルである時もあるので、僕にとっての最終兵器でござる。

 

 「現実でもそんなことないかなー」と、全く考えないわけではないけれど。今は、物語の消費で満足できちゃうので。疑似作品の消費なら、まあいいよね?

 とは言っても、少女漫画的展開はごめんです。テンプレみたいな不良がいたらそれはそれで怖いし、髪に芋けんぴなんて付いてないし、一晩で法隆寺は建てられません*5。速水真澄*6ごっこは楽しそう。紫のバラ、贈ります。

 

 

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*1:実在アイドルを含む

*2:思えば、男性向けゲームの女性向けスピンオフは、ときメモが走りだったのかしら。

*3:お嫁サンバ 郷ひろみ - 歌詞タイム

*4:俺が!俺たちが!出会い厨だ!

*5:【芋けんぴ】カオスすぎる現代の少女漫画【髪に付いてたよ】 - NAVER まとめ

*6:速水真澄 公式ツイッター (masumi_hayami) on Twitter