ぐるりみち。

平成生まれのフリーライターのブログ。本・映画・マンガ・アニメの各種レビューに、旅行・グルメ・街歩き日記など。

ぐるりみち。

【50%OFF多数】Kindleセールまとめ|人気コミック・ビジネス書ほか

僕は「偽善」という言葉が嫌いです。

http://www.flickr.com/photos/13836188@N04/5534685534
photo by wstera2

 「偽善」って、なんだろう。

 

スポンサーリンク
 

 

「偽」の「善」ってどういうこと?

 僕は、「偽善」という言葉が嫌いです。

 まず、「偽」「善」ってなんじゃい? という話。自分がやった行動が「善」でないならば、それは「悪」と呼べるものだろうし、もしそれが周りから見て「偽」の物ならば、その判断基準はどこにあるのか、ということにある。

 客観的な評価として、「正しい」か「間違っている」かを指摘するならまだしも、それを「偽」と表現するのはいかがなものか。

 

 「偽」であるとすることと、「否定」することは、ちょっと違う。

 

 否定は、「それは違うよ!」と間違いを指摘し、場合によっては正すこと

 論破してそれで終わり。あとは知らん。なんて人もいるが、否定された側が言い返し、議論になるような余地もある(それが建設的なものとなり、結論が出るかどうかは別問題)。

 

 一方、「偽」は、「なーに思ってもないこと言ってんの?うぷぷぷぷ!」と相手がそれを「偽って」いたり、「ごまかして」いたりすることを指摘するものだ。

 指摘者本人に主張はなく、相手の偽りやごまかしを推測しているだけ。指摘された側は、「それが偽でない」ことを説明するしかないが、推測に過ぎない考えを正そうとするのは難しい。相手の推測が「思い込み」だったらアウト。本当にごまかしているのなら、その時は認めるしかない。

 

「偽善」は便利な言葉

 そもそも「偽善」って、自分のことを「悪」だと思っている人が、自分を良く見せかけるような行為のことなんじゃないのかしら。

 周りでの使われ方を見ると、ほとんどが「あいつは偽善者だ」だの「そんな行為は偽善的、自己満足」だの、勝手に推測して決めつけている場合が大半だと思う。

 

 で、これが、ひっじょーによろしくない。

 

 よく耳にする「偽善」の代表格が、災害時の募金、ボランティアなどの諸活動だ。特に、そこそこ名の通った人物がそんな活動をしていると、「偽善」だの「自己満足」だの「売名行為」だの叫ばれる。もうね、アホかと。

 

 もしかしたら、彼らの中には、「はっはっは、本当は裏でいろいろやらかしてる俺が、こんな良いことやっちゃって、マジ偽善者ー!」なんて人もいるのかもしれない。

 だけど、そうと見えないものまで疑って罵声を浴びせて、いったい何の意味があるのかと。彼らが良いと思ってやっていることならそれでいいし、さらに援助される人達が喜んでいるなら、それは立派な善行でしょう。

 

「ありがた迷惑」はどうなの?

 募金やボランティアと言うと、じゃあ「ありがた迷惑」はどうなるのか、という話になりますが。「千羽鶴なんて邪魔になるだけだ!」みたいな。これはちょっと難しいところ。mixiの「手つなぎ隊」なんてものもありましたね…(遠い目

 ただし、「余計なお世話」ってのは、往々にして出てくるもの。良かれと思ってやったことが、相手からしたら「ふざけんな!」という行動だったということは少なくない。

 

 ボランティアなら、まだ分かりやすい。それまでの実績もあるだろうし、相手の求めるもの、不要なものを予め把握した上で、「良いモノ」を提供すればいい。

 千羽鶴のような、受け手によって評価が変わりそうなものは考えどころだけど。子供には喜ばれるけど、お年寄りには不要、のようなこともあるし。

 問題は、それが相手にとって必要か不要か分からない場合。日常生活における、些細な気遣いとか、手助けとか。その多くは見知らぬ人が相手だから、関わっていいのかどうなのか、判断が容易じゃない。

 

 その辺はもう、ぶっちゃけ分かんないです!!!!

 

 明らかに体調が悪そうだったり、助けを必要としていたり、向こうからあからさまにヘルプミーアピールをしている人だったら、遠慮はいらないはず。助けを申し出ましょう。……それでも、たまに理不尽なことはあるけれど。

 日常的に、他人の手助けを申し出ることができる人は、強い。電車で席を譲ろうとする兄ちゃんが怒鳴られてるのを見ていて、そう思う。自分の善意を断られて、「失礼しました(ニコッ」で済ませられる彼らは超絶イケメン。

 

 もうね、強くなるしかないんだと思います。

 「あの人にとっては余計なお世話だったのかー、悪いことしたなー」で済ませて、次へ向かうしかないんです。「俺は良いことだと思ってやった!だから良い!」と考えるしか。あ、でも、これが行き過ぎたら、善意の押し付けになりますね。ぐぬぬ。

 何事も、程々に。そう考えるしかないのかな。

 

「偽善」って言うな!

 繰り返しになるけれど、僕は、自分の主観だけで人の行為を「偽善」と決めつけるのはおかしいと思う。そういう人がいることによって、自分が「良い」と考えている行動を起こしづらい、起こせない人がいるのはもったいない。

 確かに、相手にとってはそれが余計なお世話だったり、押し付けだと感じるような場合もあるでしょう。その時はその時で、反省すればいいだけのことですよ。周りからの謎の圧力によって、やりたいこともやれないこんな世の中はおかしい。ぽいずん。

 

 そんな偽善偽善言いたい人たちは、「俺が、俺達が、偽善者だ!」と叫んでいる人を探して好きなだけ言ってあげてください。

 「フッ……悪の俺が、またこんな良いことをしてしまったぜ……」みたいな自称偽善者さんは、もっと積極的に口外していいんだよ!

 

 このまま書いていると、収拾がつかなくなりそうなので、この辺りで。

 

 ――そういえば、偽善者の逆って「偽悪者」になるの?「普段は暴力的で悪ぶれてるけど、影では猫の世話をしてたり、雨の日に子犬を拾っちゃったりするヤンキー」みたいな?

 

関連記事