同調圧力との付き合い方


 2020年の東京オリンピック開催決定に際して、Twitter上では様々な反応があった。そんな中で、「同調圧力」についての意見がちらほらと見られたので、ちょっと自分なりに考えてみる。

 

 

 このまとめで取り上げられているようなツイートが、まさに「同調圧力」と呼ばれるもの。上記の内容だと、ちょっと思想的に尖った言い方のものが多いけれど。やんわりと表現するならば、「おっきなイベントなんだから、みんなで楽しもうよ!」という感じ。

 

 この「同調圧力」というものは厄介で、圧力を放つ側の人たちは基本的に、自分たちが正しいと信じて疑っていない。我々こそが正義である。勝てば官軍。多数派に従え。行き過ぎると、偏狭的な思考に陥りがち。

 周囲へ同調を迫る人たちは、「多数派に属する自分の意見が正しい」と信じている。自らがマジョリティであるが故に正しく、それは揺るぎのない真実だ、と。そしてそれに飽きたらず、賛同する仲間を増やそうとする。

 

 そこに存在するのは、強い仲間意識だ。今回の場合はオリンピックという国をあげたイベントに伴って、「日本人なら~」という枕言葉が当たり前のようにくっついている。

 「国家的な催しだし、もちろんお前も賛成するよな? だって同じ日本人だもんな!(満面の笑み)」などと有無を言わさず迫ってくる様子は、さながらたちの悪い宗教勧誘のようだ。反対意見に対して「非国民」と罵る者まで現れるのを目の当たりにすると、時代が逆行したかのような感覚さえ覚える。

 

 彼らが周囲に同調を迫るのは、きっとそれが「キモチノイイモノ」だからなんだろう。誰も自分を否定しない。みんないっしょ。それはとてもとても気持ちの良いことなのよ。

 ムラ社会というか、島国根性というか、「みんなおなじ」ことを重視し過ぎているきらいがあるのは否めない。いまだに。そんな人たちはまず、「オリンピック」がどういうものなのかを再確認する作業から始めるべきじゃないかしら。

 

 僕らは同調圧力に対して、「付き合う」必要はあっても、「戦う」必要はないと思う。

 「同調圧力? ふざけんな! やっつけてやんよ!」という気概が強すぎると、同調圧力に逆らう自分を演出してしまう恐れがあるからだ。マジョリティと戦う俺、かっこいい。あいつらとは違うんだ。一匹狼バンザイ。

 

 だから、同調圧力とはうまく付き合っていこう。そういう多数派があるのを理解しつつ、「そういう考えもあるよね」と認められること。その上で、自分の意見を表明できること。場合によっては、「楽しそうだからそっち行く!」と圧力に屈してもいいかもしれない。はい、私です。

 それでも、考えることを辞めなければ、どの立ち位置に居たっていいんだと思う。結論、この前の「思考停止」の話と似たような感じになってしまった。うん、揺らぎ続けよう。

 

 同調圧力の処方箋は、考え続け、揺らぎ続けること。

 

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