ぐるりみち。

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「思考停止」は悪いことなんです?

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 イケダハヤトさん(@IHayato)のブログを読んでいて、おもしろい記事があったので、自分でも少し考えてみる。

 

 「思考停止」とは何かを考えてみる

 

 この「思考停止」というのはとても便利な言葉で、他者批判をする際によく用いられるイメージがあります。

 あることに対して、考えることを放棄し、無批判に受け入れてしまっている状態。僕は逆に自分を戒める意味で、「あー今の自分は流されちゃってるなー」なんて感じるときに使っているかな。

 

 

とりあえず指摘できることとしては、「考えることをやめて、信じることにした」状態を「思考停止」と呼べる、ということでしょう。信じるという作用と、「思考停止」は強く結びついているということです。

 

 イケダハヤトさんは、冒頭の記事でこのように説明しています。

 「信じる」ということは、ある物事に対して「結論を出す」こと。そう考えると、僕らは日々「思考停止」しながら生活していることになります。

 

 違うのは、どのタイミングで結論を出す=思考停止するかというポイント。

 

 例えば、まとめサイトの記事。「どこどこの団体が、誰々を批判している」というエントリがあったとして、以下のような読者が存在すると想像できます。

 

  • 本文を読まず、記事タイトルだけを見て憤る人
  • まとめられた記事に目を通した上で、同意する人
  • まとめ元・転載元のスレッドや記事を確認し、真偽を確認する人
  • 同様のニュースについて書かれた別サイトを複数参照し、比較検討する人

 

 僕の勝手な印象だけど、記事ひとつ取っても、これらのような受け取り方があると思う。下の人ほど、考える時間が長い、結論を急がない人。

 

 この、思考停止する=結論を出す、という行為について、ほぼ日刊イトイ新聞で山田ズーニーさん(@zoonieyamada)がこんな説明をしていました(おとなの小論文教室。)。

 

自分の頭でものを考えるとは、
常に「揺らぎ」続けることでもある。
絶対というものを持たず、不安定なまま、
自分の内面、まわりの人間や状況に応じて、
その場、できる限りの
ベストな判断をしていこうとすることだ。

ところが、これは、なかなかしんどい作業だ。
だから、
揺らぎを止めて、ゆるぎないものに
どかん! と腰を下ろしたくなる。
それが「思考停止のポイント」だ。

 

 考える=揺らいでいる状態が不安定だからこそ、結論を急ぎたくなる。その不安定な状態から脱するために、僕らは「こういうことだ!」と結論を出す。それが、「思考停止のポイント」

 思わず画面の前で頷いてしまうくらい、納得のいく説明ですっきりした。……って書くと、「思考停止じゃないか!」と言われてしまいそうだけど。

 

 何かを考えるとき、必ずどこかで「思考停止」しなきゃいけないポイントは訪れるわけで。だからと言って、安易に結論を急ぐことはしたくない。何事においても。

 

 だからこそ、僕らは考え続ける、「揺らぎ」続ける必要があるんだと思った。

 

 「信じる」ことは安定していて、気持ちのいい状態だけど、どこかで「実は違うんじゃないか」「こういう考え方もあるんじゃないか」という「揺らぎ」を持っていたい。そうすれば、その問題や議論がもっともっと良い方向に行くかもしれないから。

 

 何事に対しても疑いの目を向ける——なんて書くと人間不信のようだけれど、常に最善を尽くすように、思考し続けることは大切なんじゃあないかと思いました。