立川の韓国料理店『安家』で石焼ビビンバ定食ランチ

立川『安家』の石焼ビビンバ定食ランチ

──映画を観たあとは、不思議とお腹が空く。

ただ「大スクリーンで映画を観る」というそれだけなのに、全力でカロリーを消費しているような気がするのです。座りっぱなしで動くわけでもなく、むしろポップコーンをもぐもぐしていることすらあるのに、なぜだか映画のあとには腹が空く。たとえ、映画の直前に飯を食っていたとしても。

この日、映画館から出てきたのはお昼すぎ。

空腹になっているのは当然として、それ以上に体が刺激物を求めていた。上映中はド派手なアクションに興奮し、久々に目の当たりにするキャラクターたちを見てノスタルジーに浸っていたから──かしら。単純に空腹を満たすよりも、刺激のある食べ物を体が欲していたのです。

立川の韓国料理店『安家』

というわけで、立川シネマシティからほど近く。モノレールの下を通るサンサンロード沿いにある韓国料理店『安家』さんにて、おひるごはんをいただたいてまいりました。

 

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思いやりと、善意の押しつけと、コントロールできない他人(と自分)

子供の頃から、RPGをプレイするのが好きだった。

RPGの主人公の多くは、何らかの使命や目的を持っている。魔王を倒す宿命を持つ勇者だったり、気弱ながら人一倍の勇気と優しさを持つ少年だったり、秘密組織で活躍するイケメンの若手エースだったり。

彼らは決して近所の裏山で段ボール滑りなんてしないし、そのまま勢いよく木に激突して半泣きで家に帰るようなこともない。毎日のようにチャリンコを乗りまわして、調子に乗って手放し運転をした結果コケて小指の骨を折るようなこともしない。……さてはこいつ、アホだな!?

そんなアホなガキンチョだった自分とはまったく似つかない、RPGの主人公たち。それでも、手元のコントローラーで操作したとおりに動くゲームの中の彼らを見ていると、本当にそれが「ぼく」自身なんじゃないかと思えてくることがあった。……というのは、さすがに言い過ぎかしら。

実際、遊んでいるゲームの主人公に感情移入して、心を揺さぶられることは珍しくなかった。少年テリーとしてミレーユと再会したときには、自分にも生き別れの姉がいるんじゃないかと錯覚した。聖剣使いとして共に旅した少女と妖精族の子供は、古くからの友達のように感じられた。そして、パパスが死んだときには「ぬわーっ!」と叫んだ。

自分で動かすからこそ、そこに自身の姿を重ねて考えてしまう。主人公になりきることで異世界の物語を自分事のように体験し、劇中のイベントに心を震わせ、喜怒哀楽の感情を抱いてしまう。そう考えると、ゲームのみならずあらゆる「物語」は、他者への共感力を養ってくれる──と言ってもいいのかもしれない。

友達が泣いて悲しんでいるのを見ると、自分も悲しくなる。その理由に強く共感して、心を痛め、もらい泣きしてしまうこともある。だからこそ「どうにかしてあげたい」と考えるようにもなる。

逆に、友達が楽しそうに笑っているのを見ると、自分も嬉しくなる。楽しいことは誰かと共有したくなるし、たとえ理由を聞かなくても、意味もわからず釣られて笑ってしまうことすらある。

「どうにかしてあげたい」に代表されるように、「共感」の力は、自身に感情表現以外の行動を促すことがある。がんばっている人を見ると、応援したくなる。苦しんでいる人を見ると、手助けをしたくなる。周囲に迷惑をかけている人を見ると、それをやめさせたくなる──というように。

そこで自分を突き動かしているのは、おそらくは「優しさ」や「正義感」と呼ばれるもの。それらは別に批判されるようなものではないし、共感と感情の赴くままに動けばいい。そうすることで現状が良くなるのなら、誰かのためになるのなら、ためらう必要は一切ない。

 

──でもやっぱり、そんな単純な話でもないんですよね。

 

応援は「邪魔だ」と拒絶され、その人を思っての手助けは「余計なお世話だ」と一蹴され、正義感は「そんなの頼んでいない」と空回り。個人の感情をきっかけにした「誰かのため」の行為は、見方を変えれば「善意の押し付け」でしかなく、必ずしも正しいとは限らない。

行き過ぎた共感は、相手を置き去りにしてしまう。「おおなんてことだ! 彼は今、間違いなく悲しみの淵にいる! 私が助けてあげなければ!」とどれだけ決意をみなぎらせようと、相手からすれば別に大きな問題ではなく、「え? 疲れて寝てただけだよ?」とケロッとしている──なんてことがあってもおかしくはない。

「あの人は今きっとこういう状態だから、私がこうしてあげないと!」という思い込みは、時として相手を逆に傷つける。そんなことは求めていない。ウザったくてありゃしない。むしろ傷を抉られて辛いだけだからやめてほしい──。

そもそも話を聞かなければ、相手の気持ちなんてわからないのにね。

相手に共感し、その気持ちを推し量ろうとする心構えは大切。けれど、そこで相手の気持ちを勝手に決めつけ、ありもしない感情に共感して、自分の思いどおりにコントロールしようとしてはいけない。「きっとこう思っている」という決めつけは、その人の心と体を分離させてしまいかねない。

それはあまりにも空虚すぎるし、きっと誰も幸せにならないから。向き合う相手は、RPGのキャラクターではないのだから。自分の自由にコントロールできるものではなく、「はい」と「いいえ」の2択で決められるものでもなく、どれだけ強く共感しようとも、自分とは何もかもが異なる、生きた人間なのだから。

でも他方では、自分自身の気持ちも大切にしてあげてほしい、とも思う。

何かに共感することで抱いた感情は、間違いなくその人自身のものだから。それを無理に押さえつけて苦痛を感じる必要はないし、考えたことや思ったことは口にしていい。もしもそれが相手の望むようなものでなかったのなら──その場合は、修正してお互いに納得するような形にする必要はあるものの。

特に、精神的に不安定なときや自信を喪失してしまったとき、あるいは外部から何らかの強制力が働いたときには、無意識に自分の感情を偽ってしまうこともある。泣きたいはずなのに笑うしかない。楽しいのに感情が追いつかない。怒りたいのに声が出ない──。

自分というキャラクターを操作できるのは、自分だけ。にもかかわらず、まるでバグったかのように自分を動かせなくなったときには、要注意。心と体が分離し、頭に浮かぶ思考と胸に抱く感情の、どれが自分のものなのかわからなくなってしまう。それはやがて、無気力な諦観に結びつきかねない。

だからこそ、自分の意思に反した行動を取ってはいけないし、軽々しく信念を曲げてはいけないと思う。もちろん、他人とのコミュニケーションにおいては妥協や諦めが必要になることもあるけれど……そのあたりは、なんとかしてうまくバランスを保ちたいところ。

 

もし、上からの強制や周囲に流されるまま、己の意思を失ってしまうことがあったら。──そんなときは、ベッドを抜け出し、部屋の中心で左手を胸に突き刺し、ドクドクと脈打つ赤々とした♡を頭上に高く掲げ、そのまま鳥カゴにでもぶちこんでしまえ*1

 

人を動かす 文庫版

人を動かす 文庫版

 

 

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*1:※某ゲームのアレ。

2018年にブログで書いた記事をざっくりと振り返る

すっかり出遅れましたが、「2018年にはブログでこんな記事を書いたよ!」のコーナーですオラァ!

最近になって読者登録してくださる人がちらほらと増えてきた印象もあり、そんな方々にこのブログの雰囲気を知ってもらえれば──と。さすがに全期間を振り返るのは難しいので、2018年の記事に絞りつつ。「こんな文章を書いてるよ!」「こんなこと考えてる人だよ!」ということが伝わりましたら幸いです。

 

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夜更かしは蜜の味?

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親から「夜更かしは悪いこと」だと言われて育った。

夜遅くまで起きているのは悪い子だけ。良い子はもう8時9時にはお布団に入って、5分と経たずに夢の世界へ飛んでいるものなのだと。そう言われるまでもなく、己の体力の上限を知らず、常に全力全開でエネルギーを消費しながら過ごす少年少女を、お布団は等しくネバーランドへと誘ってくれる。

とは言え、そうやって日々をフルスロットルで生きていられたのも物心つくまでの話。小学校高学年にもなれば夜更かしの欲求がむくむくとこみ上げてきて、卒業する頃には「早寝早起き」を煩わしく感じるようになる。外では「真面目な優等生」で通っていた自分も、その例には漏れなかった。

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かーちゃんの言葉に従順だった少年も、やがて中学生になると、夜更かしを覚えるようになる。

特に当時の我が家の場合、「携帯ゲーム禁止令」が出ていたのが一因としてあったかもしれない。小学生時代にスーファミやらロクヨンやらを遊びまくっていたせいか、そこそこ早い段階でメガネっ子デビューしていた自分。視力の低下を心配した両親によって、携帯ゲームは遊ばないように言いつけられたのだ。

やんちゃな子供であれば、駄々をこねて全力で拒否っていたのかもしれない。ただ、割と聞き分けの良い子供だった自分は、若干の不満を抱きつつもそれを許容することに。……まあ当時は「スーパーゲームボーイ」なんていう便利な機械もあったしね! GBソフトはスーファミで遊べたので、特に問題はなかったのです。

ところがどっこい。

中学生になり、ゲームボーイアドバンスが隆盛を極めるようになると、聞き分けの良い少年の考えも変わってこようというもの。友人からGBAを借り、やがて中古で購入し、夜な夜なゲームを楽しむようになる。お布団に潜り、明滅する画面の中でポケモンを捕まえ、スライムを配合し、電脳世界にプラグインしていた。

ただ、その頃は純粋にゲームを楽しんでいたので、「夜更かしは悪いこと」とか「夜遅くまで起きているのが楽しい」とか、そういう風には捉えていなかったように思う。反抗期らしい反抗期はなかった自分だけれど、そうやって隠れてあれこれやるのがある種の “反抗” だったのかなーと、今更ながら思った。……ぶっちゃけ、親にはバレていた気もするけれど。

その後、高校時代は高校時代でサウンドノベルや深夜アニメにハマり、週末には夜更かしをするのが当たり前の生活に。つまるところは中学の延長線でしかなく、家族が寝静まったあとの夜の静けさに紛れて、ひたすらコンテンツ消費に勤しんでいた格好です。生まれて初めてオールしたのは、某同人ノベルゲームを夢中になって読んだときだったかしら。嫌な事件だったね……。

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「夜更かし」の性質が変わったのは、大学に入ってから。

大学生にもなれば、サークルに所属してなんやかんやと遊びまわるようになるもの。──と言っても、所属していたのは自分を含め陰キャ気質の人間が集う文芸系サークルだったので、カラオケでオールするとか、安い居酒屋で朝まで飲むとかが関の山だったけれど。

それでもやっぱり、気の置けない友人と遊ぶ時間は楽しかった。

暗い部屋でひとり、明滅する画面に向かって延々とゲームを遊んでいた「夜更かし」とは違って、趣味や気質の近しい仲間と過ごす「オール」は特別なもの。学生ならではの面倒なあれこれがあったり、黒歴史を生産したりしていた気もするけれど……思い出そうとすると頭が急に痛くなってくるのでやめておこうそうしよう。オホホホホアイタタタ。

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社会に出て数年が経った今も、そしてここまでに書いてきた過去を振り返ってみても、考えてみれば、いつも「夜更かし」は楽しいものだった。

さすがに入社1年面は自重していた──というかオールする余裕なんてなかった──けれど、週末にはしばしば千葉のド田舎から都心へ繰り出し、友人と翌朝までバカ騒ぎすることもあった。そういえば「うっかり終電を逃し、ネカフェで仮眠をとって、始発でそのまま出勤した」なんてこともあったなー。アホだなー。

でもきっと、それだけ楽しかったんだろうな、とも思う。

もちろん、深夜帯はいつも100%ポジティブでハッピーうれピーよろピくねーというわけでもなく、稀にメンタルがボロボロになり、あーだこーだと終わりのない思考のネガティブスパイラルに陥ることもあった。

けれど、それもここ数年は格段に減った気がする。嫌なことは日中のあいだに言語化し、文章として吐き出して、ゴミ箱にポイするようになったから……かもしれない。あと、夜はどちらかと言えば「深夜にメンタルが崩れやすい人の話を聴く」機会のほうが多かったからかも。僕まで凹んじゃいられない。

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他方で、フリーランスになったことで会社員時代よりも夜更かしする機会が増える──かと思いきや、逆に減ったのは意外だった。

正確には「夜更かし」はするのだけれど、朝方の5時6時あたりまで「オール」することはほぼなくなった感じ。仕事やゲームをするにしても、3時にはオフトゥンに包まれて ( ˘ω˘)スヤァ するようにしているし、睡眠時間は最低でも6時間。理想的ではないにしても、生活習慣は少なからず意識して整えている……と思う。

そうなった理由はおそらく、過去に体調を崩してクライアントさんに迷惑をかけたから。そのとき、会社勤めしていたとき以上に「体が資本」であることが、身に沁みて理解できたのです。──ちがうよ? 決して「30歳間近になって体力的に夜更かしが辛くなってきたから」とか、そういうことじゃないよ? まだまだ朝までフィーバーできるくらいには元気だよ? お酒だって飲み続けられるよ? ……たぶん。

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──なーんて書きつつ、年末年始にかけてのつい最近まで、夜更かしぎみの生活が続いていたわけですが。うふふふふ。

いやー、夜更かし最高! 朝まで推しの声を聴きながら仲間とわっほいわっほい楽しく会話できるとか、そりゃあ眠気も吹き飛ぶってもんっすよ。「ぼくちゃん喋るの苦手だから……」などと言ってこの10年、頑なにSkypeの通話も断ってきてたのに、即オチでボイスチャットっすよ。マイク買っちゃったよ。ひゃっほぉ!

夜型生活は健康にもお肌にも良くないと知りつつも、それでも気づけば夜が更ける。さすがに「夜更かし&睡眠不足」が常態化するのは避けようと思いつつ、本当に自分がやりたい、心から楽しめる活動がその時間にしかできないのなら、充実した夜を過ごそうとしたっていいじゃないか──とも考えてしまうのです。

夜更かしは蜜の味。これからもほどほどに、若いうちだから通用するとも言われる「夜」の時間を、楽しむときには全力で楽しもうと思ったのでした、はい。

 

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ご近所異世界転生のススメ

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2018年に撮った写真を雑然と並べただけ - ぐるりみち。

 自慢じゃないけれど、僕は海外に行ったことがない。

 ちょっとイイトコの高校に進学した友人が「修学旅行はLAを満喫しましたわよオホホ」と話し、大学時代にウェイ系のサークルに所属していた学友が「卒業旅行はワイハをエンジョイしてきたぜウェーイww」と海外体験に話を咲かせる傍らで、取って付けたようなニコニコ顔で「え~! すっご~い!」と相槌を打つ。それが僕だ。

 誤解のないように言っておきたいのですが、別に彼らが羨ましいわけではございません。

 アメリカ西海岸に憧れなぞありませんし、キラキラと輝くビーチで「アローハー!」と叫びながら泳ぐなんてガラじゃない。ユニバーサル・スタジオ・ハリウッドでスポンジボブと記念撮影したいなんて考えたことは数えるほどしかないし、南国の青空の下で透き通るような海でプカプカと浮かぶ自分の姿を夢に見たこともあまりない。

 

 ──そう、別に、羨ましくなんて、ないんだから、ね!

 

 まあそんな「お約束」としての現地観光はさておき、自らの足で異国の地に立ってみたいという気持ちはあります。

 「自分探しの旅」と称してアジアを巡ったりなんだりするのではなく、単純に「異文化に触れてみたい」という思い。自分が暮らしてきた「日常」とは遠く離れた街の、「非日常」的な空気に身を置いてみたいという欲求。そんな「非日常」のわかりやすい形のひとつが、「外国」という異世界なのだ。

 とは言え、同時にこうも思う。「異世界」と表現すると大層なものにも感じるけれど、実はそんなに珍しいものでもないのでは──?

 北は北海道、南は高知、西は北九州まで足を伸ばしたことはあるものの、それより外の世界を知らない自分。ただ、父親の仕事の都合で幼い頃から各地を転々としていたこともあり、見方によっては、訪れる場所訪れる場所が「異世界」だったと捉えることもできるんじゃないかと。

 札幌から埼玉に引っ越したときは「あったけえ!」と感じただろうし、茨城に引っ越したときは「すげえ! これが方言か!」と謎の感動を抱いた覚えがあんだっぺ。取って付けたような「だっぺ」を使おうとしたところ、サッカークラブの監督から「さいなぁ!」と全力キックしたボールをぶつけられたのも、今となっては良い思い出だ。──方言とはすなわち、物理攻撃である。

 そして何より、思春期を陸無し県・埼玉で過ごした自分にとって、「海」とはすなわち「異世界」を指すものでもあるのだ*1。我らサイタマゲットー民は海を見ると途端に我を失い、諸々の症状を発症することがある。たとえば「ウェミダー!」と叫びながら興奮状態に陥ったり、それによって全身の血が逆流したり……そして最悪の場合、死に至る*2ちくしょう……瀬川……川井……川島……みんな、幸せそうな顔をして逝きやがって……。

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 ともあれ、埼玉県民にとっての「異世界」が海であるように、未知なる世界への入り口はそこら中に存在している

 一軒家で育った人からすれば、ニュータウンの構造が珍しく感じられるかもしれない。いつもチェーン店で食事をしている人が、ふらっと入ったスナックで新境地を切り開くかもしれない。インドア派がアニメやマンガをきっかけに、キャンプや山登りやロードバイクに目覚めるかもしれない*3

 ただし昨今は、「異世界だと思ったら沼だった」なんてことも珍しくない。みんな、友人からの誘いの手招きには気を付けような! お兄さんとの約束だぞ!(親指を立てながらVTuber沼へ沈みつつ*4

 ──そう、トラックにひかれたり、駅のホームに飛びこんだり、暴漢に襲われたりして命を落とすまでもなく、異世界への入り口はそこら中にあり、転生したり召喚されたりする必要もなく、ふらっと迷いこむことができるのだ。Welcome to ようこそジャパリパーク。ザナルカンドにて。ハルケギニアぁああああ!!

 極端な話、「帰り道にいつもと違う場所で曲がってみた」だけでもひょっこりと顔を覗かせてくれることがある。それこそが、異世界くんなのです。

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 ちなみに、彼らは「猫」の顔をしていることが多い。「異世界体験&異文化交流としての猫カツ」は個人的にもおすすめしたい趣味なので、気が向いたら書いてみようと思います。

 

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