SHOWROOM社長の『人生の勝算』を読んで自己分析の大切さを思い出す

 “ワケ” あって、SHOWROOMにどっぷりと浸かる生活を送っていた昨年末。

 以前に東雲めぐ*1ちゃんや輝夜月*2ちゃんといったVTuberの放送を見るために利用したことはあったものの、日常を乗っ取られるレベルで張り付くことになるとは思わなんで……。あそこまで生活を投げ打って動画サイトを見ていたのは、ニコニコ動画の黎明期以来だったんじゃないかしら。

 とは言え、それもイベント期間中だけの話。現在は「気が向いたら好きな配信者さんの放送を見る」程度に落ち着き、ほどほどに利用している格好です。冷静になって見ても、視聴者側にもアバターがあるライブストリーミングは新鮮。配信者さんとの距離も近く感じられるから、ふらっと覗きに行っちゃうのよねー。

 そんなSHOWROOMについて、これまた “ワケ” あっていろいろと思うことがあり、新年一発目に読んだのが本書。SHOWROOM創業者・前田裕二@UGMDさんの著書『人生の勝算』です。

 前田さんと言えば、今をときめく若手起業家。陰キャの自分はなんとなく苦手意識を感じていたのですが……いざ読みはじめてみたら、そんな印象は吹き飛んでおりました。紛うことなき努力の人であり、肩書きに関係なく尊敬できる人。SHOWROOMというサービスに対する見方が変わるほど、熱量にあふれた1冊です。

 

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「Fate[HF]」2章感想|オルタの戦闘に興奮し、イリヤと切嗣の補完に泣き、慎二に感情移入した

 

オルタ戦、マジでヤバくね?(語彙が死んだ感想)

 

──はい、というわけで、第1章に引き続き観てきました。

10年以上待ち望んでいた『Fate/stay night』桜ルートの映像化。その映画の第2章『劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」 Ⅱ.lost butterfly』が昨日から上映開始となり、速攻で映画館に足を運んでまいりました。

 

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「平成ネット史(仮)展」をマターリ楽しむつもりが黒歴史を叩きつけられて氏んだ

平成ネット史(仮)展・場内風景

 いよぅ(=゚ω゚)ノ

 生まれは平成、おもしろFLASHをきっかけに電子の海に飛び込み、多彩なカルチャーに触れ、ソーシャルメディアをテーマに卒業論文に書く程度には、インターネットが好きな僕です。こんな記事↓も書きました。

 日常的に親しみ、画面越しに友人ができ、過去にはその存在によって「救われた」とまで断言できる。正直に言えば、良いことばかりではなかったとも思うけれど……それでも、自分にとっては良くも悪くも特別な存在であるインターネット。

 そんな「インターネット」「平成」という枠組みから取り上げたイベントがあると聞いたら……そりゃあ、足を運ばずにはいられないでしょう!

 というわけで、年始にNHKで放送され話題になった番組、『平成ネット史(仮)』を再現した企画展「平成ネット史(仮)展」に行ってきました。

 

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人に優しくありたい

人に優しくありたい。

──20代後半にもなって掲げるような言葉ではないような気もするけれど、2019年の豊富を考えていて、真っ先に思い浮かんだのがこれだった。

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一口に「優しい」と言っても、それが指し示すものはさまざま。

身近な人への気遣い。何を言われても怒らない寛容さ。困った人を助ける親切心。どれもこれも紛れもなく「優しさ」と呼ばれるもの。でも一方では、そのような行動を受けて反感を覚える人もいるし、場合によっては「怒ることが優しさ」「何も言わずに見守ることが優しさ」だったりすることもある。

他人への働きかけも、あえて何もしないことも、「優しさ」になる。
笑顔で口にする慰めも、怒りで荒げた強い声も、「優しさ」になる。

ひっくるめて言えば、「他人への思いやり」こそが「優しさ」と呼ばれるものなのでしょう。ただしそれは常に同質ではなく、相手との関係性やその時々の状況によっても変化するもの。口にした言葉は、相手を癒すこともあるし、傷つけることもある。一方通行の働きかけは、きっと「優しさ」とは言えない。

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いつだって相手のことを思いやって行動できれば、それがベストなのは間違いない。けれど、優しくあればあろうとするほど、それが相手にとっては押し付けがましく感じられてしまうこともある。相手のことを理解していなければ、思いやりは不要なお節介にしかならず、両者の間の溝を深めるだけにもなりかねない。

それ以前に、自分自身が問題となっているケースもある。ざっくり言えば、何かしらの面で「余裕がない」人ほど、他人へ向けた言動が空回りしやすい傾向にあるんじゃないかと。

忙しくストレスフルな日々を過ごしていて、精神的に余裕がない。
出費が多かったり収入が減ったりしていて、金銭的に余裕がない。

はたまた、相手のことを思いすぎるあまりかえって利己的になってしまっている──なんて場合もあるかしら。強すぎる友情や情愛が原因になっているパターン。これは割と自分もやりがちなので、気をつけないといけないんじゃが……。

つまるところ、人に優しい人間であるためには、自分自身が心穏やかでないと難しい。根っからの優しい人も中にはいるけれど、生活面で余裕があり、自分に優しくなれないと、他人を思いやるのは難しいんじゃないか……とも思う。他方では、良くも悪くも他人本位の自己犠牲マンも少なからずはいるものの。

より正確には、「自身が心穏やかでなければ、他人を思いやることはできても、その言動が相手にとって好ましいものかどうなのかの判別が難しい」と言ったほうがいいかもしれない。相手の感情よりも自分の感情や満足感を優先して、求められていない言動を押し付けてしまう格好。これ、自分もむっちゃやる……というか、年明け早々やらかしたので、マジで気をつけます。はい。

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そう、結局のところ、自分はそんな人間なのです。昔から「お前は優しいよなー」と言われることは多かったけれど、そんなことはまったくない。というか改めて言うまでもなく、「優しい」なんて「誰にでも使える便利な褒め言葉」の常套句ですしおすし。

精神的にも金銭的にも疲弊していた昨年は、特にいろいろと酷かった気がする。何においても自分が最優先で、あまり他人を顧みようとしなかった。そんな心持ちを漠然と自覚していたからこそ、なるべく人と関わらないようにしていた節もある。

でもだからこそ、今年は「人に優しくありたい」と思ったのです。

この結論に至るにはいくつかの要因があったのだけれど、一番は「他人の優しさにふれて、それを尊いと感じたから」なんじゃないかなーと。

年齢も性別も国籍も肩書も関係なく、「優しさ」と「楽しさ」に満ちた環境に身を置く機会があったから。そしてその場所で、「他人を応援することで自分自身も救われる」という体験をしてしまったから。この2、3年ほどで募っていた人間関係やネットに対する諦観が、いい具合に浄化された格好。

そして、他人にも自分にも「優しくありたい」と思いつつ、それ以上に今は「がんばっている人を応援したい」という気持ちも強くなっている。

特に2017年はVTuber界隈をずっと眺めていたこともあって、その気持ちは強まるばかりでございました。夢に向かってがんばっている人もいれば、創作者として活動に励んでいる人もいて、ただただコミュニケーションを楽しんでいる人もいる。スタンスは十人十色──だけれど、そこにいる誰も彼もが、最っ高にてぇてぇんだ。

2019年は、そんな人たちを積極的に応援したい。そこにいる当事者になるというよりも、少し離れた場所で力になりたい。……まあ個人の発信力でできることなんてたかが知れているけれど、自分なりにやれることはやってみたいと思うんですよね。自分を救ってくれた人たちに、恩返しがしたい。

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もちろん、身近なところでも「優しくある」ことを基本スタンスに。

他人に対しては、その人が気持ちよく過ごせるように。
自分に対しては、必要以上に落ち込みすぎないように。

目標設定や活動方針のたぐいは具体的なほうがいいと言われるけれど……まあ1年の「抱負」程度なら、このくらいシンプルでもいいのかもしれない。

大切なのは、胸に抱いたその気持ちを常に忘れず、実際に日々の行動で示すこと……ですよね? 判断に悩んだときには、「人に優しく」あれるような方向で考えてみる。

冷静になってみれば、20代後半にもなってこのような文章を書いている時点で、未成熟な精神性をさらけ出している格好ではあるのだけれど……。でもまあ、このブログ自体が「どうしようもない自分」を記録するべく始めた一面もあったので、それも今更かしら。

 

2020年に、改めてこれを読んだ自分へ。
──この1年で、少しは優しい人間になれたかな?

 

今週のお題「2019年の抱負」

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