僕には、故郷と呼べる場所がない。
もちろん、物理的に “生まれた” 場所はある。生まれは東京。母親の実家近くの病院で、平成初期のクリスマスにすぽーん! とこの世に生を受けた。それが僕だ。
現在も都内に住んでいるため、それだけ聞けば「ただの東京人じゃん」と思われるかもしれない。「てやんでえ! こちとら江戸っ子でぇ!」と、迷いなく啖呵を切れればよかったのだけれど……自分がそれを言うのは、江戸っ子に失礼だ。
と言うのも、僕が生まれた頃、両親は東京に住んでいなかったから。出産のタイミングで母親の実家に帰省していたに過ぎず、普段は父親の職場がある茨城県のアパートで生活していたらしい。当然、しばらくするとアパートに戻り、赤ん坊の僕はバブバブアウアウ言いながら茨城の大地を這いずり回ることになった。まだ立てないからね。仕方ないね。
ところがどっこい。言葉もままならない僕が茨城の野っ原をうねうねしていたのは1年にも満たず、一家は別の土地へと引っ越すことになる。父親の転勤先となったのは、北海道。それから約3年は札幌市内のアパートで暮らし、試される大地をうねうねしていた僕も、徐々にうにょうにょと縦方向へと成長していった。
ところで、世の中には「胎内記憶がある」「赤さん時代にも意識があった」という人がいると聞くが、あいにく僕にはそのような能力はなかったらしい。茨城時代の記憶は皆無であり、自分の「記憶」の始まりは札幌に住んでいた頃のものになる。
詳しくは、もしかしたら今後【札幌編】みたいな形で書くかもしれないけれど──とりあえずここでは、「おぼろげながら意識はあった」くらいの感じで。ひとつだけ挙げるなら、おもらしの記憶は鮮明に焼き付いているのじゃ……。
ともかく、札幌自体の記憶は断片的なものでしかない。個々のエピソードとして「こんなことがあった」という出来事がいくつか思い浮かぶ程度で、ようやっと人語を解するようになった自分が何を考えていたかは知れないし、当時の感情ももにゃもにゃとしていて思い出せない。
そのような漠然とした「記憶」でなく、「物心がつく」瞬間はいつだったか……と考えると、おそらくは5~6歳くらいのことだったんじゃないかと思う。その頃、一家はすでに北の大地を去っており、自分の記憶はその引越し先──関東平野のとある街から始まることになる。
気づくとぼくは、埼玉県富士見市にいた。
その街で過ごしたのは、4~7歳の約4年間。うにょうにょしていた幼児がやがてブリブリするようになり、小学校に入学し、最初の1年間を終えるまで。小学生にもなればある程度は自意識も形づくられつつあったのか、当時のこともなんとなく覚えている。
2年生に進級するタイミングで引っ越すことになったため、それ以来、富士見市には足を運んでいない。まだ幼い頃に過ごした土地ということもあり、自分にとっては「故郷」と言えるかどうかも怪しい。しかし、少なからず縁のある街であることは、紛れもない事実だ。
そんな富士見市に、ふらっと足を運んでみた。
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