約20年ぶりの通学路

氷川神社(富士見市)の猫

 

 僕には、故郷と呼べる場所がない。

 

 もちろん、物理的に “生まれた” 場所はある。生まれは東京。母親の実家近くの病院で、平成初期のクリスマスにすぽーん! とこの世に生を受けた。それが僕だ。

 現在も都内に住んでいるため、それだけ聞けば「ただの東京人じゃん」と思われるかもしれない。「てやんでえ! こちとら江戸っ子でぇ!」と、迷いなく啖呵を切れればよかったのだけれど……自分がそれを言うのは、江戸っ子に失礼だ。

 と言うのも、僕が生まれた頃、両親は東京に住んでいなかったから。出産のタイミングで母親の実家に帰省していたに過ぎず、普段は父親の職場がある茨城県のアパートで生活していたらしい。当然、しばらくするとアパートに戻り、赤ん坊の僕はバブバブアウアウ言いながら茨城の大地を這いずり回ることになった。まだ立てないからね。仕方ないね。

 ところがどっこい。言葉もままならない僕が茨城の野っ原をうねうねしていたのは1年にも満たず、一家は別の土地へと引っ越すことになる。父親の転勤先となったのは、北海道。それから約3年は札幌市内のアパートで暮らし、試される大地をうねうねしていた僕も、徐々にうにょうにょと縦方向へと成長していった。

写真

うにょうにょした結果

 ところで、世の中には「胎内記憶がある」「赤さん時代にも意識があった」という人がいると聞くが、あいにく僕にはそのような能力はなかったらしい。茨城時代の記憶は皆無であり、自分の「記憶」の始まりは札幌に住んでいた頃のものになる。

 詳しくは、もしかしたら今後【札幌編】みたいな形で書くかもしれないけれど──とりあえずここでは、「おぼろげながら意識はあった」くらいの感じで。ひとつだけ挙げるなら、おもらしの記憶は鮮明に焼き付いているのじゃ……。

 ともかく、札幌自体の記憶は断片的なものでしかない。個々のエピソードとして「こんなことがあった」という出来事がいくつか思い浮かぶ程度で、ようやっと人語を解するようになった自分が何を考えていたかは知れないし、当時の感情ももにゃもにゃとしていて思い出せない。

 そのような漠然とした「記憶」でなく、「物心がつく」瞬間はいつだったか……と考えると、おそらくは5~6歳くらいのことだったんじゃないかと思う。その頃、一家はすでに北の大地を去っており、自分の記憶はその引越し先──関東平野のとある街から始まることになる。

 

 気づくとぼくは、埼玉県富士見市にいた。

 

 その街で過ごしたのは、4~7歳の約4年間。うにょうにょしていた幼児がやがてブリブリするようになり、小学校に入学し、最初の1年間を終えるまで。小学生にもなればある程度は自意識も形づくられつつあったのか、当時のこともなんとなく覚えている。

 2年生に進級するタイミングで引っ越すことになったため、それ以来、富士見市には足を運んでいない。まだ幼い頃に過ごした土地ということもあり、自分にとっては「故郷」と言えるかどうかも怪しい。しかし、少なからず縁のある街であることは、紛れもない事実だ。

 そんな富士見市に、ふらっと足を運んでみた。

 

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約15年ぶりに「写ルンです」で写真を撮ってきた

写ルンです シンプルエース

 「フィルム写真」と聞いて思い出されるのは、小学校の校外活動のこと。

 遠足や社会科見学、宿泊学習や修学旅行のあとに、決まって教室前に貼り出される数々の写真。同行したカメラマンさんが撮ったそれらのなかから、自分が写っている写真を探していた光景──そんな一種の恒例行事が、ふと思い出された。

 そういえば、その際に「好きな子の写真をこっそり買う」という高等テクニックがあるんですって? 当時の自分はそんなことを考えもしなかったので、大人になってからその発想を知って「プロか!?」と思った。いいんだ……かわいいあの娘の笑顔は、マイハートにしっかりと刻まれているのだから……。

 

 ──とまあ、ありもしない甘酸っぱい思い出の妄想はさておき、「写真」の話でございます。

 

 数年前から考えていた思いつきを実行するべく、ひさしぶりに『写ルンです』を買ったのが先日のこと。押入れのアルバムと自分の記憶を探るに、おそらくは中学生以来──約15年ぶりに使い捨てカメラを手にした格好です。何か思い出が蘇るような、蘇らないような……。

 で、実際に『写ルンです』で写真を撮ったうえで、現像まで済ませてきました。すっかりデジタルカメラが当たり前になった現在、「カメラ屋さんで現像をお願いする」という体験がひさしぶりすぎて、軽くドキドキしながら足を運んできました。プリントなしでデータ化できるとか、便利な世の中になったもんじゃ……。

 

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『恋する寄生虫』を読んで、人間の愛おしい「バグ」に思いを馳せる

 1年に2、3冊ほど、本を「ジャケ買い」することがある。

 本を買う際にはネットの口コミを頼りにし、すっかり電子書籍で読む習慣が染みついた近頃。事前知識も誰からのおすすめもなく新刊を手にする機会はとんと減ったが、それでもふと、書店に並ぶ本に引き寄せられることがある。

 著者名に見覚えがあるわけでなく、イラストや装丁に既視感を覚えるでもなく、「なんとなく」で手が伸びてしまう本。そんなことは年に何回もないため、普段は選り好みしがちな自分もたまには己の直感を信じてみたくなる。実際問題として、 “直感” が当たるかどうかは五分五分といったところなのだけれど。

 その直感に従って手に取ったうちの1冊が、この『恋する寄生虫』という本だった。過去形なのは、本書を買ったのが結構前──2016年10月のことだったので。なんとなく気になってレジまで持っていったはいいものの、電子でポチった本の消化を優先するあまり、読むのを忘れていたのです。いやはや、もったいない。

 そう、本当に “もったいな” かった。連休の気まぐれに本書を片手に外に出て、普段は入らないような喫茶店に迷いこみ、アイスコーヒーをちびちびしつつページをめくり始めたら、いつの間にか読みふけっていた。2、3日かけてゆっくり読むつもりが、1日で読み終えてしまった。……本当に、おもしろかったのだ。

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30年以上のロングセラーには理由がある!『日本語の作文技術』で作文の基礎を学ぶ

 どのような分野においても、大勢に支持される「入門書」の存在がある。

 学問にせよ技術にせよ、何かを学ぶにあたって最初に読むことを勧められる1冊。常に新しい本が出版され、数多くのハウツー本が並ぶ書店の棚からも撤去されることなく、長年にわたって存在感を発揮し続ける良書。そんな「最初の1冊」が、きっとどのようなジャンルにもあるはずだ。

 こと「文章」の分野においても、多くの人の支持を集める「入門書」がいくつか挙げられる。『文章読本』の名を冠した良書は数多く、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫といった文豪たちのほか、丸谷才一や井上ひさしによる同名書籍も評価が高い*1

 とはいえ、数十年も前に書かれたそれらの本はどこか古めかしくも感じられる。どちらかと言えば近年出版されたハウツー本のほうが若者には親しみやすく、大勢に読まれているのではないだろうか。僕自身、これまでに読んできた「文章本」には00年代以降の本が多く、ブログでは「最初の1冊」として『新しい文章力の教室』(2015年発売)を勧めている*2。ビジネスシーンやインターネット上で書く文章に限れば、この本に書かれている知識だけでも事足りるように感じられたからだ。

 しかし一方で、「これだけは読んでおけ!」と並みいるライターが勧める本の存在も目に入っており、それがずっと気になっていた。仕事の企画書だろうが趣味のブログだろうが本格的な小説執筆だろうが関係なく、ありとあらゆる「文章」を書くにあたっては抑えておきたい──いや、抑えておかねばならない基礎がまとめられた必読書。それが、『日本語の作文技術』だ。

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強さの源は“普通”であること?プロゲーマーが語る勝負論『1日ひとつだけ、強くなる。』

 はじめは「勝ち方」について書いた本なのかと思っていた。世界で活躍するトップゲーマーが教える、「勝負に勝つ」ための考え方。そこにはビジネスシーンにも応用できる勝負論が書かれており、ゆえにビジネスマンからも高い評価を得ている1冊なのだ──と、そのように思っていた。

 しかし読み進めていくうちに、その認識が間違っていたことを知る。筆者が論じていたのは「勝ち方」ではなく「勝ち続ける」ための方法であり、ひいては「戦い続ける」ための考え方だった。何もゲームに限った話ではない。仕事や私生活にも当てはまる「成長」のための視点が、本書には散りばめられている。

 しかも、それで終わりではない。「勝つ」「戦い続ける」「成長する」というそれまでの認識は、読み終える頃には別のものに上書きされてしまっていた。残ったのは、一口に言えば「自己肯定感」。徹底的に自分と向き合い、理解し、認めて、日々を前向きに過ごしていくための考え方が、この本には記されている。

 自身を突き動かす原動力はどこにあり、どのように育んでいけばいいのか──。梅原大吾さんの著書『1日ひとつだけ、強くなる。』は、勝負事に留まらない「生き方」を教えてくれる1冊だ。後ろ向きになりがちな自分ですら感化される部分が多く、前に進むためのモチベーションを得ることができた。

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