あした転機になあれ #わたしの転機


夕暮れ時

 入社2年目。学生に毛が生えた程度の社会人だった僕は、「あした転機になあれ」と願うばかりの日々を過ごしていた。

 

「病気」という転機

 大学を卒業したばかりの1年目はまだよかった。やるべきことが盛りだくさんで、明日がどうなるかなんて考える暇もなかった時期。営業の仕事を覚え、車で走る道を頭に叩きこみ、お客さんと仲良くなり、飛びこみ営業のコツを勉強する。覚えることだけでもいっぱいいっぱいで、思考回路はショート寸前。今すぐ辞めたいよ──と思う暇もないくらい、忙しい日々を過ごしていたから。

 いや、それだけならば、まだ余裕があったんじゃないかと思う。あれこれと頭で覚えるよりもキツかったのが、朝夕の営業車への商品の詰めこみと、営業先での運搬作業。それは、「『営業』とは名ばかりの運送業者だったのでは……?」と何度も頭をよぎるくらいには、驚くほどに肉体を酷使する仕事だったのだ。覚えることだらけで禿げ上がりそうな頭と、筋肉痛に悲鳴を上げ続ける全身。精神的にも肉体的にも疲れ切った毎週末は、泥のように眠るのが常だった。

 それでも続けているうちに鍛えられ、数ヶ月もすれば慣れてきてしまうのだから、人間というものはまっことたくましい。入社から半年が経つ頃には重い商品を運ぶのにも慣れ、仕事も覚えて、それなりに会社員生活を楽しんでいる自分がいた。多分、20代前半という若さもあったのだろう。入社当初の不安と絶望はどこへやら、すっかり「社会人」になっていたのだった。

 

 ところがどっこい。「慣れ」にはどうしても、「マンネリ感」がつきまとう。年末にもなると、体力的な辛さとは別の気だるさを感じるようになっていた。12月にはノロウイルスで1週間ほど寝込み、軽く “我に返って” しまったという出来事もまた、倦怠感に拍車をかけていたように思う。

 そう、社会に出たばかりの入社1年目、仕事を覚えようと夢中になっていた時期は、肉体に相応の負荷がかかっていたとしても、それなりに充実した気持ちで勤労に励んでいられたのです。今になって考えてみれば、あれがいわゆる「やりがい」だったのかもしれない。新しい仕事を任されるのが、商品知識が身につくのが、お客さんと仲良くなるのが楽しく、充実した日々を過ごすことができていた。

 しかしその充実感も、すべてノロウイルスが吹き飛ばしてしまうことになる。ちょうど仕事にも慣れて余裕が出てきたタイミングで感染し、1週間も休むことになってしまったのだ。

 とは言え、最初の数日は辛かったものの、症状が落ち着けば暇なだけ。周囲への感染を防ぐために仕方なく引きこもり、悶々と数日間をやり過ごすことになる。すっかり馴染んだ寮のベッドで天井を見上げ、入社してからの生活を振り返り、ぼーっと物思いに耽っていたことで……ふと、我に返ってしまったのです。

 

 ……あれ?
 どうして僕は、この仕事をしているんだっけ?

 

 もともとは別の業界の中小企業を志望していたのに、「そこしか内定が出なかったから」という消極的な理由で入社した、大手メーカー。そもそも就職活動を続けようと思えば続けられたのに、震災が重なって精神的に疲弊していたことや、周囲の友人が早々に内定を決めて悠々自適に最後のモラトリアムを満喫していたのを見て、自分も「アガリ」を選ぶことにしてしまったのだった。

 そうして入社した企業で、聞いたことのない田舎の支店に配属され、営業職として仕事に勤しんでいる。それが、自分がここにいる理由。夢も目標もない割に、営業成績はそこそこ。だけど、それも別に嬉しいわけじゃない。流れ流され、ただなんとなくここにいる。やりたいことはなく、昇進に関心もなく、将来のことは何もわからない──。

 そんなことを考えはじめると、あとはもう止まらなかった。普段は抑えていた上司への不満や、理不尽なクレーマーへの文句、非効率にしか思えない職場のシステムへの負な感情がわき出して、頭の中をぐるぐる回り出す。おかしい、変だ、どうして、ダルい、面倒だ、キツい──。募り募ったネガティブな思考は、呼吸をするだけでも自分の外へと吐き出されていくかのよう。病床にあって閉めっきりだった自室の空気が、ますます淀んで重くなったように感じられた。

 流されて、片田舎。どうしてこうなった──と振り返ってみれば、結局は自分の性格の問題に行き着く。どうにも僕は昔から、いつも周囲に流されるばかりで、主体的な行動をほとんど取ってこなかったのだった。

 

「転居」という転機

 学生時代、なんとなく選んだ第一志望の学校には、高校受験のときも大学受験のときも合格できなかった。仕方なく、これもまた “なんとなく” で選んだ、そこそこ偏差値の良い学校に入学する。浪人はせず、留年もせず、成績も「無難」の一言で済ませられるような学校生活。それでも、部活動やサークルは自分なりに選んで、結構楽しんでいたとは思うけれど。

 では、自分はいつから「流される」ことを良しとしたのかと、受験以前まで遡ってみる。小学校時代は絵に描いたような優等生。ただ、6年生の春に転校した先で軽度のいじめに遭い、中学時代は目立たないように過ごすようになった記憶がある。そのあたりの時期が関係していそうな気もするけれど、でもそういえば、そもそもの生活環境も大きな一因となっていたのでは……?

 

 と言うのも、我が家はいわゆる転勤族。
 少年時代、自分にとっての「転機」とは、すなわち「転居」のことだったのです。

 

引っ越しと寄せ書き

顔も覚えていないクラスメイト、彼らの言葉に励まされることが、今もある

 小学校に入学し、学校生活に慣れてきたと思ったら、転校。新天地でクラスに馴染んだと思ったら、また転校。耳慣れなかった方言が自然と口をついて出るようになったと思ったら、またまた転校。最終的には、初等教育の6年間を4つの小学校で過ごしたことになる。

 その実績から、「プロ転校生」を名乗ってもいいんじゃないか──と考えたこともあるけれど、それでも上には上がいるもので。転校先で “お仲間” と出会うこともあり、多い人は1年に1回、さらには計10回の転校を経験した人もいるというのだから驚かされる。ちなみに、転校初日の登校中に曲がり角で美少女とぶつかってフラグを立てたことはないけれど、春休み中に公園で知り合った少年が同じクラスにいて、「あー!あのときのー!」となったことはあります。あれは、たしかに(親友の)フラグだった。

 それでも、全国各地の街を転々とし、行く先々で友達をつくるのは楽しかった。それは間違いない。しかし同時に、「生活環境や人間関係は簡単にリセットされてしまう」ことを少年期に繰り返し体感したことで、ある種の諦観が生まれてしまったことも否定できない。

 良くも悪くも「なるがまま」というか、「自分が何もしなくても、勝手に転機は訪れる」という、諦めにも似た何か。何かを失敗したとき、予期せぬ別れがあったとき、自分の思いどおりにならないことがあったときに、「まあそういうこともあるよね」と、割と早い時期から考えて飲みこんでいたんじゃなかろうか。それが諦め癖や流され癖に結びついたとは言い切れないものの、現在の自分を形づくる価値観のひとつとなったことは間違いなさそうだ。

 

積極的受け身の姿勢

 だからこそ入社1年目、ノロウイルスから回復した自分が最初に思ったのは、「あした転機になあれ」という、漠然とした希望だった。自分から辞める気はないが、きっかけがあれば進路を変えてみたい。あまりにも人任せというか、運任せ過ぎるというか……聞く人が聞けば、「社会人らしからぬ主体性のなさだ!」と怒られそうな思考ではありますが。

 もちろん、ただ待っているだけでは「転機」なんてものは転がりこんでこない。それはわかっている。きっかけに出会えるかどうかは自分の行動次第だし、それを良いタイミングで掴めるかどうかも自分次第。でも、自分から積極的に動くことはしない。ダルいから。

 そんなときに自分は、決まって「積極的受け身の姿勢」でもって動くようにしていた。言い換えれば、消極的な主体性。自ら進んで大きく動くことはないけれど、それとなーく周囲に働きかけることできっかけをつくり、自分が行動せざるを得ない状況へと誘導するのだ。

 例を挙げるなら、学校の教室で「あー、放課後ヒマだわー。予定がないわー。誰かヒマな人でもいたら、一緒にカラオケでも行けるのになー? どうしようかなー?(チラッチラッ」などと、 “誘われ待ち” をしているイメージ。アレです。自分で書いておいてアレだけど、あまりにも残念というか姑息というか、かわいそうな人だなこれ……。

積極的受け身の姿勢

※「積極的受け身の姿勢」の一例です

 自分から積極的には飛びこまない。けれど、それとなく自身の希望やアイデアが周りに伝わるような状況をつくり、いざとなれば自分も飛びこめるような状態に持っていく。そして実際に周囲から声がかかったら、「しょうがないなー」と満面の笑みを浮かべつつ、喜んで巻きこまれにいくのだ。内心では「その言葉を待っていた!」と大喜びしながら(意訳:構ってくれてありがとうございますマジ感謝っす嬉しいっすひゃっほぅ!)

 とは言え、現実のコミュニティでこれをやりすぎるのはあまり勧められない。この手の「構ってちゃん」は忌避されやすいし、回りくどいわりにはメリットも少ないから。面倒くさがり屋や引っ込み思案な人のための、ちょっとした処世術に過ぎない。

 しかし他方では、この「積極的受け身」が適した空間もある。面と向かって連発されるとウザく感じるそれも、文字にして読めば印象は和らぐ。その文字も、基本的には興味のある人の目にしか留まらず、スルーするも反応するも読んだ人次第。そんな、程よい距離感でやり取りのできる空間。

 それが、インターネット。そしてブログです。

 

「ブログ」という転機

ブロガーズフェスティバル2014

2014年のブロガーズフェスティバルより

 ブログって、見方によっては究極の「構ってちゃんメディア」だと思うんですよね。

 日記を書くなら何もネット上に公開する必要はないのに、わざわざ人の目がある場所に投稿する。本にせよ映画にせよグルメにせよ、レビューを書きたいなら各種口コミサイトがあるのに、あえて自分のブログに掲載する。ちょっとしたやり取りや友人との交流ならLINE・Twitter・Facebookでも事足りるのに、なぜか長文で思いの丈を語り出してしまう。

 それを「構ってちゃん」と呼ばず、何と呼ぼうか!

 もちろん、交流がメインではなく、自己表現やおこづかい稼ぎを目的にブログを運営している人もいることでしょう。というか僕自身、このブログはもともと、本の感想や会社への鬱憤を書き連ねるための「日記」として始めたものだった。それが今や、自分の生活の中心になっているのだから、我ながら驚きではあるのだけれど。

 

 ──そう、これが僕にとって、唯一の主体的な「転機」

 

 ノロウイルスによって “我に返った” 自分が、しかしすぐに会社を辞めようとは思わず、それでも何かしらの「転機」があれば──などと考えながら過ごしていた時期。ゆるやかな絶望と、漠然とした希望を抱くようになった入社2年目。「あした転機になあれ」と下駄を蹴り出しつつ、でも願うだけでは何も起きないとわかっていたから、積極的受け身の姿勢でもって始めた活動。

 それが、「ブログを書く」ことだったのです。

 というか実際、まったく自慢にならないけれど、この数年間の自分は「ブログを書く」以外、ほとんど主体的なことをしていない。厳密には「会社を辞める」という一大決心もあったけれど、それはブログとは関係がないので。

 先に「退職した」という事実があり、その後の転職活動中にブログの更新頻度が増え、想像以上に多くの人に記事を読まれるようになり、文章を書くことでお金をもらえることを知り、ノリと勢いで開業届を提出した。──自分がやったことと言えばそれくらいで、あとはいつだって「受け身」の姿勢。会社員時代にあれだけ楽しんでいた営業とも無縁になり、外から舞いこんでくる仕事を「喜んで!」と受けさせていただいている格好。

 前から薄々そんな気はしていたけれど、この「ブログ」という存在は、びっくりするほど「積極的受け身の姿勢」と相性が良いのだ。営業の必要はなく、自分の興味関心や好きなことを自由気ままに書いていれば、勝手に向こうから見つけてもらえる。仕事はもちろん、共通の趣味嗜好を持つ人や、価値観が近い同世代の人ともつながれる。自ら積極的に他人と関わろうとしなくても、「話は聞かせてもらった! 私もあなたと同じく、ボクっ娘を愛する者だ!」などとどこからか同好の士が現れ、楽しく交流することができるのだ。構ってちゃんにとっては、なんと生きやすい世界か……!

「好き」が仕事になった

「好き」を表現していたら、お仕事として「好き」に関わることができた、なんてことも

 ただし、好き勝手に書いていれば確実に “構って” もらえるかと言えば、当然そうとは限らない。特に仕事をもらおうとするのなら、やはり何かしら秀でた部分がないと声がかかりづらいという実感はある。その分野の深い知識・知見を有している人、高確率でバズる企画力がある人、魅力的な文章を書ける人、デザイン・構成力に優れた人、インフルエンサー、などなど。

 しかし同時に、そのようなスキルは必須条件ではないとも思う。だって、そうでもなければ、自分は今ここにいなかっただろうから。文章・デザイン・撮影といったスキルを持っているわけでもなし、バズとも縁遠く、僕という個人に魅力があるわけでもない。にもかかわらず、ありがたいことに、ちらほらと声をかけていただけている現状があるので。

 理由はいくつか考えられる。でも突き詰めれば、シンプルなところに落ち着くような気もしている。──継続的にブログを書いていること。純粋に「好き」なものを取り上げていること。炎上やステマをしていないこと。目立たなくても、そういった基本的なことを積み重ねていけば、少なからず認めてくれる人がいる。そういうことなんじゃないかしら。そんな優しい人たちに、今日の自分は生かされている。

 

あした転機になあれ

 だからこそ、もし自分のように内向的で受け身になりがちな性格で、仕事や生活にモヤモヤを抱えている人がいたら、とりあえず、何かを発信してみることをおすすめしてみたい。別にブログである必要はなく、YouTubeやPodcastでも良いかもしれない。自分のやりやすい方法で、積極的受け身の姿勢で。

 もちろん、生活に大きな変化をもたらそうとするのなら、もっと何か具体的な行動を起こすべき。それができる人は、そうするべきだと思う。転職活動を始めるとか、引っ越してみるとか、資格取得のための勉強に励むとか。夢や目標へ最短距離で向かおうとするのなら、そのための行動を取るべき。

 でも一方で、夢も目標もなく、ただなんとなく漠然とした不安やモヤモヤを抱えている場合は、どうすればいいのか。そんな人にこそ、「積極的受け身の姿勢」を勧めたいのです。

 具体的に起こす行動はひとつだけでOK。「ブログ書く」とか「動画を投稿する」とか。自分の興味関心を載せて発信し続けながら、受け身で待つだけ。続けているうちに楽しくなってきたら、自分から同好の士を探しに行ってもいいかもしれない。周囲をぐるっと見渡せば、きっとどこかの柱の影から、チラッチラッと周囲を窺っている人がいるはずだから。僕みたいに。

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 「転機」と聞くと、何か具体的な行動を起こさないといけないんじゃないかと思えてくる。意識は高く、本を読み、知識を身につけ、試行錯誤を重ね、準備万端の状態で試合や試験に臨むように。

 けれど、適当に過ごしていても唐突にそれは訪れるかもしれないし、理不尽に襲いくる嫌な「転機」だって中にはある。自分から「転機」をつくるべく具体的な行動を起こすにしても、忙しい日々をやり過ごすのにいっぱいいっぱいで余裕がない。そんな人だっているはずだ。それに、実際に動いたところで何も起こらないかも……と考えたら、なんだか行動するのがバカみたいに思えてくる。実際のところは、何においても「行動ありき」であるとは思いますが。

 それならば、自分が起こすアクションはひとつだけにして、あとは運を天に任せて待ってみてもいいのではないかしら。面倒は最小限に、自分に適した方法で、判断は周囲に一任する形で。文章でも、動画でも、音声でも、何でも良いけれど、とりあえず、自分の「好き」を口に出してみよう。そうすれば、何かが起こるかもしれないし、何も起こらないかもしれない。そのくらい適当だっていいじゃないか。

 どんなにダメダメな人でも、口にすれば、きっといつか転機はやってくる。だから、どうしようもなく残念な自分も、こうして生きていられる。今日もブログを書き書き、近所の土手を歩き歩き、いつ訪れるともしれない漠然とした希望を足下の下駄に託して、明日へと向かって蹴り飛ばすのだ。

 あした転機になあれ、と。

 


 

 

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